INTERVIEW

加藤雅也『銃2020』に感じた本来の映画の姿「文学のような味わい」


主人公・東子を執拗に追い回すストーカーの富田を演じた加藤雅也。今回の役柄は「『王手』などの延長線上にあるものではないか」という。

記者:鴇田 崇

掲載:20年07月23日

読了時間:約5分

 女優・日南響子が主演を務めた映画『銃2020』は、ある日銃をひろったことで、その銃に翻弄され、運命の歯車が狂っていく主人公・東子(トオコ)の物語を描く異色作だ。作家・中村文則のデビュー作「銃」(河出書房新社)の映画化で2018年に公開された『銃』に続く、新たな視点で紡いだ本作は、東子を取り巻く登場人物の全員が狂気に満ちており、映画というフィールドでなければ成立しないような激しい内容にも注目だ。

 その本作で、主人公・東子を執拗に追い回すストーカーの富田を、加藤雅也が演じた。劇中では鮮烈な印象を残すほどの存在感だが、ストーカーの心情など理解しうるものではなく、「難解なことをしている楽しみがある一方、産みの苦しみはありますよ」と困難だった役作りを述懐する。近年朝ドラなどで演技の幅を広げ、視聴者の高い評価を得ている加藤に本作のこと、俳優業についてなど、さまざまな話を聞く。【取材・撮影=鴇田崇】

人間は自分を正当化するもの

――本作では主人公・東子を執拗に追い回すストーカーの富田という、これまでのイメージにないような役柄でしたよね。

 そのことはみなさん、よく言われるのですが(笑)、これは昔、阪本順治監督とやった『王手』などの延長線上にあるものではないかなと、自分では思っていますけどね。インディーズっぽい作品の中では、あの時はストーカーではなかったけれど、特に風貌的なところでは珍しいものではないですよね。それよりもセリフで悩みましたよ。

――意味深なことを言いますよね。自分にしかわからないようなことも。

 つまり人間はどういう人でも、自分は正しいと思って生きているわけです。自分を正当化している。だから彼にしても自分は正しいことをやっていて、相手が迷惑していることに気づいていない。自分の欲望のままに動いている。だからこそ、セリフにも本来は意味があるはずなんですよ。

 彼は、彼の普通の生活を送っていて、その中に東子をストーキングする目的の日常がある。どういう暴言であれ、セリフに何か理由があるはずなんです。でも、その理由がわかりにくい。難解なセリフが多かったです。

――難解ですよね。本人に聞きたいほどで(笑)

 だから、おいそれとは口に出して言えないんですよね。納得はしないけれど、ある程度理解というか、セリフは腑に落ちなければ言ってはいけないとうか、ただ覚えて言うだけのものではないんです。人の頭の中で考えたから、それが出てくるわけですからね。だから、わからない。基本的に理解はできないものだと思いました。富士山が見えるって、何を意味しているのか。それはエクスタシーの頂上に達するという意味であれば、そういうことなのだろうか、とか。そしてなぜ東子が標的なのか。考えることが多くて、大変ではありました。

――その大変な作業は、楽しいですか? 苦しいですか?

 難解なことをしている楽しみがある一方、産みの苦しみはありますよ。答えが出なければ苦しい。撮影までにタイムリミットがあるので、まだ準備ができていないとも言えないし、一方で、苦しんで苦しんで現場に行っても、相手の人の思わぬリアクションで、そういうことだったの? と疑問が解けることもある。だから自分ひとりでは芝居はできなくて、相手ありきだなあと思いますね。ボクサーも基本的な練習は毎日する。でも試合になったら基本的なことだけじゃなく、その時の思い付きなどがありますよね。それは基本形を極めた人のひらめきであって、やっていないと出ない。だから突きつめてやって、あとはもう自分を信じるだけですね。そのためには、自分なりにある程度の方向性を出しておくこと。奴は東子が好きなのか嫌いなのか、救うのか救われるのか、それは決めました。

――観終わった後に加藤さんの残像が残るというか、すごく影響力があったと思います。

 そうだったとしたら、ある意味成功したのかなと思います。僕自身は映っていないところでも存在していればいいという思いで演じていたので、だから奴はどこからか見ているわけですよね。家の中で鳥が死んでいることもわかっているわけで。あるインタビューでもずっといるような気がしたと言ってくださる方もいましたが、それはうれしいと同時に逆にそう言ってしまうと、そういうものだと思って観られてしまうので難しいです。

加藤雅也

意識的に役柄を広げないと

――先ほどのボクサーの日々の練習のたとえですが、俳優で言うと、どういうものになりますか?

 基礎的なことで言うと役作りの過程そのものであり、役柄をまとめることについて言うと、いろいろな要素で人間を構築しますよね。生い立ちや、思考性など、いろいろ加味して考える。舞台の場合は、本人になりきっていないとアドリブすら出てこない。だから、その人のことを作り上げて、後は出たとこ勝負ですかね。

――二枚目の線、朝ドラでは三の線を極めて話題にもなりましたが、そういう幅を意欲はますます強くなっていますか?

 メジャーな作品で三の線を表現するとみなさんが知るところになるので、そこで初めてみたいな話題も出ますけれど、小規模なところでチャレンジはしていたんです。それは必要なものとしてね。メジャーではなかなか挑戦まではいけない。マイナーな作品は多くの人の目に触れないので、メジャーで朝ドラのパーラー店主のようなキャラクターを演じると、世間は驚くわけです。僕の中ではそれまでの延長線上ではあったのですが、意識的に役柄を広げるということをやらないといけないとは思っています。それは最初にもお話ししましたが、今回のストーカーも同じことです。

――ご自身の中での課題のようなものでしょうか?

 努力をしないと、自分の目指す俳優の道が遠くなるような感じがしますね。二の線だけで行くという進み方も、もちろんあります。ただそれは、僕の中では、それほど面白味を感じないし、いろいろなことをやらないとこの世界に残れないだろうなという思いもありました。それはどっちが正しいというわけではないですよね。正解はわからない。

――最後になりますが、本作、前作を知らない人もいると思いますが、どうのようにおすすめしていただけますか?

 まず『銃』という映画を観ていただいて、中村さんの文学を知ってみてください。芥川賞作家の方が書いた原作が映画化され、今回のも中村文学の感じがする映画なんですよね。最近の映画は説明セリフが多いですが、この映画は、説明がまったくない。観て、最後にあなたはこれをどう捉える? と投げかける。むしろ本来の映画の姿のような気がしますよ。アメリカのブロックバスターなどはたくさんの人が観る前提だから、わかりやすい使命があるだろうけれど、昔の映画は自分で気づいて感じていくものが多かったんで、そういうものに戻った映画だと思う。自分の人生経験、それによって感想・結論も違うでしょう。自分が育った環境によって、正解が変わるはずなので、ほかの映画とは違います。だから不思議な映画だけれど、文学のような味わいを楽しんでもらえればと思います。

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