川中美幸がシングル「海峡雪しぐれ」をリリースした。本作は川中にとって初となるスケールの大きな“海峡もの”。「演歌の王道を」と本作を歌う川中のプロフェッショナルとしての矜持、自身の財産になっているという亡き母親への想い、歌手としての心得や、意外な繋がりのあった王貞治氏とのエピソードなどについて話を聞いた。歌手生活47年間で葛藤や挫折を乗り越えて来た彼女の人柄と歌声の魅力に迫る。【取材=平吉賢治】

“日本の母”になりたい

――川中さんは、歌手生活はどのくらいになるのでしょうか。

 川中美幸になって43年ですね。その前も入れるともうちょっと長くなるんですけど、あくまでテイチクさんスタートでして。いずれにしても長くやらせて頂いてびっくりします(笑)。四十何年間も自分の好きなことで食べていけることは奇跡に近いと思います。

――なかなかできることではないかと思います。

 そうですよ。生活のために夢を断念しなければいけない人もいっぱいいるだろうし。そういった意味では好きなことで食べていけるのは改めて最高だと思います。そう考えるとイライラもしなくなりますね。「健康な体があったら何でもやっていけるんだ」ってね。

――川中さんは凄く明るい方という印象を受けます。意識なさっている点はあるのでしょうか。

 母ゆずりですかね。「くよくよ考えてもしょうがない、なるようにしかならないから」と、母はよく言っていました。これからどうなってしまうんだろうと思うこともありますけど、その中でも頂いたお仕事に感謝をして、前向きに頑張っていればと。一時みなさん大変でしょうけど、そこで母の声が聞こえるんです。「人生なるようにしかならへんで」って。寝る前に「健康な体があったら何をやっても食べていける」って聞こえてきたりね。最近は鏡を見て「あ、お母ちゃん」って思うことがあるんです。仕草とかも似てきて(笑)。

――明るく人と接するということは、大阪出身ということもあるのでしょうか。

 持って生まれたものなのかな…関西の方はフレンドリーな方が多いかもしれないですよね。会って意気投合したら何十年来の知り合いみたいになる感じの人が。基本は楽しいことが好きなんです。自然に身についているというか、母もそうでしたし。若い方にも興味を持って頂けるように、自分の方から努めています。

 そういう人たちにも興味を持って頂くために、そういう人達とこの業界を盛り上げていきたいと思います。自分も現役でやる限りはみなさんに自分から歩み寄るようにしていますね。冗談のひとつも言ってみたり。みなさんが「大ベテランだ!」と構えていらっしゃるのに自分のほうから行くとみなさんの気持ちがほぐれるというか、「私のこと“みーたん”って呼んでいいからね」って言ったりね(笑)。本当に“みーたん”って呼んでくれると嬉しいんですよ。若い方にも応援して頂きたいですから。応援して頂いてのこういうお仕事ですからね。

――色んなお気持ちの要素があった上での明るさなのですね。

 歳を重ねているから、若いから、という隔たりなく音楽を愛する仲間同士みたいなね。先輩後輩も関係なく、現場も楽しかったらいいなって。現場では色んな人に自分から話しかけて自分から盛り上げます(笑)。

――明るくしていると良いことしかないですね。

 「笑う門には福来たる」ってよく言うじゃないですか。同じ1日を過ごすなら笑っていたいなって思いますね。女性は特に広角を上げないと。

――意識して広角を上げたりすると、だんだん楽しくなってきます。

 そう! 笑ってないとだんだん口もへの字になってきてつまらない顔になってきて、人生もつまらなくなってきますから。楽しい人生送りたいなら笑わないとね!

――舞台やMCなどでも川中さんは凄く楽しいという声を聞きます。そういった気持ちの背景があったのですね。

 よく劇場に付き添いで来た方が「俺の方がハマッちゃった」とかありますよ(笑)。若い女の子とかがなんとなく来たのかなと思ったから「何で? 私のことAKB48とかと間違えてない?」って聞くと「ううん、可愛い!」って言われて照れちゃったり(笑)。そういう風に言われると嬉しいですよね。「ちなみにどこがいいの?」って聞くと「飽きないところ」とか「面白いところ」って言われるんです。

 とっかかりは何でもいいから興味を持ってもらって来てもらうのはありがたいです。「こんなお母さんがいたらいいな」って言われた時はちょっとショックでしたけどね(笑)。でも、それでもいいやって思えます。“日本の母”になりたいなって、そういうのもいいかなと。若い子といると楽しいですし。若い子とは話が合わないじゃなくて、若者言葉を自分から言うとケラケラ笑ってくれて、そこで心が通じ合っちゃうんです。

母親とのスキンシップが財産

――川中さんの歌は、お話を聞く前から凄く声に明るさが乗っていると感じました。明るい人間性が歌に出ていると。

 嬉しいですね。自分ではわからないんですけど、「喋っている声と歌声とあまり変わらないね」って言われるんです。

――自然に感情を歌に乗せているという点もあるのでしょうか。

 どうなんでしょうね? こればっかりは自分の中では意識はないんですけど。

――そうなのですね。ところで先ほどお母様のお話しが出ましたが、とても仲が良かったと聞いています。

 そうですね。“一卵性親子”とずっと言われていましたし。小さい頃からスキンシップがたくさんあって、母が亡くなる寸前までありました。いつも頬ずりしたりほっぺにキスをしたり(笑)。そういうスキンシップが今の私の財産になっていると思います。親子関係で何が大事かって言ったら、何かあった時に抱きしめてあげることだと思うんです。今こうして社会に出て親のスキンシップが活きていると感じます。

――お母様との関係で培ってきたものがあるのですね。やはり40年以上の歌手生活の中ではご苦労や葛藤もあったのでしょうか。

 それはありますよ! 一番はヒット曲が出ない時です。「ふたり酒」というのは川中美幸でデビューして3年目のシングルなんですけど今考えたら早かったよねって。でもヒット曲が出ない時って1年も1日も凄く長いし…川中美幸の前の春日はるみを入れると、売れない大変さというのが一番ありました。やっぱり勝つか負けるかだったら勝ったほうがいいじゃないですか。それと一緒で売れると売れないとでは全然違うんですよね。売れたからこそ夢も一つひとつ現実になっていくし。その夢が叶えられない時が一番しんどいですよね。挫折もしましたし…。

――どういった挫折だったのでしょうか。

 子供の頃『のど自慢』に出るとだいたい優勝候補だったんですよ。だから、この世界でも優勝という感覚だったんです。だけど、この世界は優勝者しか集まらないんです。その中で勝ち抜いていくのは大変なことなんですよ。歌が上手いだけではなかなか世には出られないし。歌が上手いだけではヒット曲に結びつかないという、プロとしての大変さです。プロの世界というのはお金を頂くわけですから。お金を頂くプロ歌手で一流になるには並大抵のことじゃないという葛藤はありますよね。

――川中さんにとっての“プロフェッショナル”とは?

 この間、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で萩本欽一さんが出ていたのを観ていて、あの番組では必ず最後に「プロフェッショナルとは?」という質問があるんです。欽ちゃんは「楽しくないことでも楽しくさせることがプロだ」って仰ったんです。欽ちゃんはお笑いの世界の方ですけど、それは私達にも言えると思ったんです。「与えられたひとつの作品をいかにみなさんの期待以上のものに表現できること」なのかなって。例えば、ひとつの歌でも大して良いと思わなかったけど「この人が歌うとこんなに良い歌だった?」と思われるのがプロフェッショナルなのかなとか。

 これは人に言われたことなんですけど「この歌、美幸ちゃんが歌っているのを聴いて、こんな良い歌だったんだ」っていう時に「してやったり」と思うんです。それが喜びに感じたりする時があるんです。これがプロフェッショナルなのかなと思ったりすることはありますよね。40年以上やらせて頂いている、自分には目に見えない何かが自分にはあるのかなって、ふとそう思うことがあります。

 自分ではどの位置にいるのか、どうなのかというのはわかりませんよ? でもみんな、SMAPさんの歌にもありますけど“世界に一つだけの花”じゃないですか。それを比べることがおかしいし、よくデビュー当時に「誰々に負けたね」とかあったけど、スポーツじゃないから勝ち負けじゃないってよく悩んでいたことがありました。でも、みんなそれぞれ違う花だからみんな違うわけですよね。私あの歌凄く好きなんです。

――明るくお話されていますけど、川中さんでも葛藤があったのですね。

 それはみんなありますよ! それは自分がこれから伸びようとしている気持ちがあるということだなと思うんです。壁にぶつかっている人ってみんなそうですよ。試行錯誤を繰り返してと。1曲ヒットが出たら「それでいいや」という人もいるかもしれないけど…私も1曲ヒットが出たらそれでもういいやって思っていたんですけど、やっぱり人間って「もう1曲ほしいよね」となっていくわけですよ(笑)。でも、それは成長していけるものがあるんだなと思います。今64歳ですけど、64歳にしか見えないものってあると思うんです。

――その時期でないと見えないものが?

 そう。その歳にならなきゃわからないものがあるんです。お母ちゃんがよく「しんどいわ、頭突っ込んだら洗ってくれる機械ないかな。あったらすぐ買うわ」って冗談を言ってたけど、その気持ちが今わかるわけですよ。そうなると歌に活きてくるんです。それが言霊なんだと思います。だから今、私はマイナスなことは言わないようにしているんです。マイナスなことを言うと言葉の魂がそうなっていくんだと、母が亡くなってから特に思うようになりましたね。死というのがとても身近になってきたから。

 いずれどんな人でもいつかは必ず逝くわけだから、それまでは健康で楽しく充実した人生を送りたいなと。食べたい時に食べて、飲みたい時に仲間とわいわい飲んで、色んな人と出会って壁をつくらないで。だから、母の死を見届けた時に…うちの母と死というのは全く関係ないと思っていたくらい元気な母でしたから。こういう母でもいずれ人生の幕を閉じる時が来るんだと。「いつまでもあると思うな親と金」ってよく言うでしょ?

――言い得て妙だと思います。

 それがこたえて、ひとつ一つわかってくるんです。自分はこの歳だから出る幕ないなとか、若い人達がどんどん出てきたらもういいかなっていう時期もあったけど、若い人には出せない味が今あるんだぞってね。だから、求められているうちはしっかり生きていかないと、命がけで生んでくれた親に申し訳ないと。今、母が何を望んでいるかと考える時は「私が幸せに元気で生きていく」というのが一番母が望んでいることだと思うと元気になれるわけですよ。日々人間の考えって変わるじゃないですか。

――確かに、歳でも一日単位でも変わります。

 だから“絶対”というのはないんですよ。絶対にあるのは「人は死んでいく」ということなんです。だから今は元気に前向きに明るく生きていきたいなと思います。

――晩年のお母様と過ごされてご苦労なされたということを聞きましたが、その点についてお伺いできますか。

 そうですね。介護もしていまして。

――その頃に得たことなどはありますか。

 やっぱり人ってどんな強くても、人の手を借りないと生きていけないということを改めて母を通じて思いました。「自分は一人で生きていけるんだ」とか言うけど、やっぱりどんな人でも…「人」という字はうまくできていると思うんです。一人じゃ生きていけないということを、母を介して知ることができましたね。わかっていてもなかなかね…だから人を大事にしなきゃいけないなって改めて思いました。

心境面のルーツ、王貞治とのエピソード

――今作「海峡雪しぐれ」についてですが、情念の迫力が押し寄せてくるように感じました。

 ここのところは明るいタッチの歌を歌っていたんです。それでディレクターのほうから「美幸さん、久しぶりに演歌の王道をいきましょうよ」ということで、こういう歌を作って頂いたんです。ある程度物心がついた時、「今の子はいいわよね何でもあって。母ちゃんの頃はね…」とか話していたんですけど、今はもっと凄くて目まぐるしくてついていけないじゃないですか?

――時代のスピードのようなものが速いと感じます。

 もう息切れしちゃって! ついこのあいだ新しいスマホ買ったと思ったら「もう4年経つの?」みたいな(笑)。歌舞伎の世界もそうですけど、演歌も私達が両親と聴いていた演歌の世界というのがあるわけなんですよ。それを大事にしながらね。ロック演歌を歌ったり、広瀬香美ちゃんに作ってもらったのがあったりとか、新しいチャレンジをしたこともあったんですけどね。だけど、ここらへんでこういう時代だからこそ、今までの王道にしっかりと地に足をつけてやってみようというひとつの覚悟ですよね。久しぶりに歌い甲斐のある歌だなと思って歌っています。

――素朴な疑問なのですが、演歌では“海峡”とタイトルにつくことが多いと思うのですが、これは何か理由があるのでしょうか。

 多いですね。出会いと別れみたいなドラマになりやすいですよね。2時間ドラマだとだいたいそういう場所が出てきますし(笑)。海峡というのは立っているだけで自分がその世界に浸れる何かがあるんですよね。すぐに戻れない、海を隔てた人との出会いと別れみたいな。逆に、私が今の若い方に疑問があるんですけど、何であんなに難しいメロディラインなのかなって。

――確かに近年は複雑なメロディの楽曲が多いかもしれませんね。

 でも、歌詞を見るといい詞なんです! 「だから今の若い人達に共感を呼んでいるんだ」って思います。

――若者で演歌が好きという方は比較的少ないのでしょうか。

 たまに「実は僕、演歌を歌うんですよ」という、若い方もいるんです。そういうのを聞くと凄く嬉しくなりますよ。

――若い世代に演歌をもっと広めたいというお気持ちもあるのでしょうか。

 一時はそういうところに目線を送らなきゃいけないなと思ったんですけど、今はそう思わなくなりました。だんだん高齢社会になってきたでしょ? だから「自分の歌を必要としてくれている年代の人に楽しんでもらえる作品を」みたいな気持ちになりましたね。自分が30代の後半から40代の頃は「何か挑戦したい、これからの時代は“あなた、お前”じゃないよね」っていう時もあったんですけど。でも今は、私は私でいいんだって。そういう歌は若い人達に任せればいいんだって。チャレンジする時は自分の舞台でチャレンジすればいいと、考えかたが変わってきましたね。

 今はとにかく出す以上は売らなきゃいけないと思っているので。軌道修正をしなきゃいけない時もあるんですよね。私も金髪のウィッグ被って広瀬香美ちゃんと「人生賭けてます」ってロック演歌で女性ダンサーと一緒にね。23年くらい前かな…でも今それをステージでテンポアップして歌が生きているんですよ! 人生無駄なことはないんですよ。本当にそう思いますね。だから大いに悔しい思いをしていっぱい泣いて、挫折をしたほうがいいと思う。それは社会に出て絶対に役立つから。

――勇気が湧いてきます。今の若い方々についてどのように思いますか。

 凄い才能があると思います! 尊敬する人ばかりですよ。音楽でも役者でもそうですし。選ばれてこの世界に入る人は凄いと思うんです。だから、できるだけそういう人達のところに近づいちゃったりするんです。自分が出会った若い人達が活躍して出てくると凄く嬉しくて。この世界は刺激的ですよね。お会いできないような方とお会いできるんですよ。

――これまで川中さんがお会いした方で印象的だった方はいますか?

 私は野球が大好きで高校の頃はソフトボール部だったくらいなんです。高校の時にデビューして挫折をして戻った時も、何が楽しみかって甲子園球場に行くことでした。私は大阪出身だけどジャイアンツファンだったんです。なぜかというと、王貞治さんのインタビューを聞いた時に、どんなに子供が「王さん! 王さん!」って集まってきてもとにかく「みんな並びなさい」と子供だからといって彼は邪険にしないんですって。自分が子供の時に嫌な顔ひとつしないでサインをしてくれて、それがずっと宝物なんです。その気持ちが凄く嬉しかったんです。子供の気持ちを大事にしてあげたいって。その王さんのインタビューを聞いた時に大ファンになったんです。

 それで、その後に私が川中美幸になって全然無名の頃、大阪でセ・パ両リーグの表彰式があったんです。私は前ラク(まえらく)(※または前座)で歌わせて頂いて、そのあとの表彰式が終わったあとに、知り合いのカメラマンの方が「彼女は王さんの大ファンなんです。写真一枚いいですか」と聞いてくれて、「いいよいいよ!」って。「どうせ撮るならそこの金屏風で撮ろうよ。いらっしゃい」と言って、握手して撮ってくれたんです! 「ありがとうございました!」と言った時に、王さんが「これ、ひとつ彼女にあげて」と言って花束を頂いたんです。その時の写真を頂いて、今でも大事に飾ってあるんです。

――選手時代の王貞治さんとの素敵なエピソードがあったのですね。

 王さんのコメントを聞いて、私がヒット曲をもらって、例えば色んな人にサインを求められても私はできるだけサインをするようにしているんです。

――その時に頂いたお気持ちがあってと。

 そうです。そういうことだなと思って。のちにジュディ・オングさんの結婚式で王さんとお会いして、「王さん、こういうことがあったんですけど…あの時の王さんの優しい対応は忘れません」と言ったら、「そうだったの!」って握手してくれて。王さんの人間性の大ファンなんです。それで、サインとか何があっても私は自分から行くようにしているんです。その度に王さんのことがよぎるんです。王さんは私にとって教師みたいな感じなんですよね。だから王さん大好きです。トップになる方は人間性が違うなって思いました。器が大きいんです。

――素敵な出会いがあったのですね。歌手としての変化はいかがでしょう? 歌いかたが変化した時期というのはありますか。

 自分ではわからないんですけど、ある時から音域の幅が広がりました。低音が響くようになったんです。年齢とともに歌も深みが出たと思います。ファンの方がそれをいち早く「最近の美幸さんの歌声いいね!」って言ってくれるんです。やっぱり歌って、その時々の生活とかが出ますよね。自分が色んな意味で精神的に苦しい時というのはいい歌が歌えないんです。そんな気がしますね。だから歌声がいつどうなったのか自分ではわからないんですけど、今の方が歳とともに味が出てくるんじゃないでしょうかね。

――先ほどの、葛藤や挫折がありつつも「人生に無駄はない」という部分にも繋がると思います。

 そうですね。今、この歳になって言えますよ(笑)。またこれから5年、10年経ったら思えることがあると思います。

(おわり)

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