『MANRIKI』は総合芸術――、斎藤工

――劇中では細かい仕掛けもありましたね。例えば、スーパーの休憩室のシーン。ふくよかな女性店員同士がダイエットなどについて話している後ろの看板が「チャーシュー祭り」と書かれていたり、途中で出てくる男のTシャツが「暴威」(BOΦWYの初期の頃の名前」だったり。そういう細かな作りはあえて入れたのですか?

斎藤工 気づいてくれたんですね。

永野 あれはさまざまです。「チャーシュー祭り」に関しては狙っていなくて。スーパーに本当にあったんですよ、あの看板が! 嘘みたいでしょ(笑)。「チャーシューという括りで祭りを開催するんだ」って言うので。

斎藤工 「なると」とかでもやってほしいですよね(笑)。

永野 ね! なんで「チャーシュー」なんだろう(笑)。それで「暴威」については僕が考えました。でも面白かったのが、海外で上映したときに、英語字幕では「Danger」だったんですよ(笑)。「暴威」のTシャツを着た男を避けようするので理にかなっていると思いましたけど(笑)。でも世界的には「暴威」は「Danger」で「BOΦWY」ではない、世界的には「BOΦWY」じゃないんだってショックでしたね(笑)。それ以外にも犬とかさまざま小ボケみたいなものを作りました、ノリで。いや、ボケというよりも一つ一つに思いはあるんですけどね。

永野

永野

斎藤工 監督は清水(康彦)さんなんですが、現場には永野さんがほぼいらして、最後の味付けは永野さんが現場でする感じでした。神野三鈴さんが演じた、50歳の美人局がいるんですが、彼女のセリフで「負けないぞえ」というのがあるんですよ。本来の台詞であれば「負けないぞ」なのに「ぞえ」にするという。それは永野さんが鈴木蘭々さんのデビューシングルの「泣かないぞェ」に絡めて末尾を「『ぞえ』にして」って。神野三鈴さんは日本を代表する舞台女優で、世界的な演出家に演出を受けられている方なんですよ(笑)。神野さんも唖然として「こんな演出は受けたことがない、素晴らしい」って(笑)。以来、永野さんの大ファンになってしまって。「永野さんの精神世界を体現しなきゃ」と。その「ぞえ」だけで神野さんの心を掴んでしまった。

 彼女の走り方や手信号とか、現場で永野さんが手を加えていくんですよ。その速度がすごくて。だから永野さんが仕上げているというように感じた部分が全編にありました。それと、神野さんが演じた役は設定として若作りしていますが、ふとしたところで年相応のところが出るようにしてあって。例えば「つれないな」という言葉。20代の子でなかなか言わないと思うんですよ。先ほど話題にして頂いた「暴威」もそうで、劇中では「暴威」のTシャツを着た男を見て僕が「ボウイだ」と言うシーンがありますが、その「ボウイ」のイントネーションも違う。永野さんは小ボケと言いましたが、そうした細かいところも含めて、全員、一個一個に思いがありました。

斎藤工

斎藤工

――永野さんは私小説みたいになった、と話されていましたけど、展開や精神性を描いている部分ではフランス映画のような印象も受けました。描写もしかり、哲学もしかり。

斎藤工 『MANRIKI』に関しては総合芸術感がすごいと思っています。映画って本来そうあるべきだと思うし、監督の清水さんはじめ撮影チームがファッション界の重鎮達なんです。荒井俊哉さんも、ファッション、スチールアートで大御所、その方が初めて今回、映画を撮ってくださって。彼の画角とか光の使い方と、永野さんの世界が合致して。僕もいわゆるB級スプラッタには絶対したくなかった。この手の題材だとそうなりがちだと思いますから。そういう映画のニーズというのは、歴史を見ても日本にはありますが、でも今回目指したのはそういうものではなくて。僕は永野さんをアーティストだと思っていますから。たまたま芸人さんとして出会いましたけど、永野さんの頭の中は世界に通じる才能があると僕は思っていますし、それをどう切り取るかというのは、アートの感覚だと思っています。研ぎ澄まされた感覚を持っている人達と作っていくのは楽しいと改めて思えました。色んな事が成功している映画だと思います。制作においては、チープな描写を排除するというよりは、そもそもそんな描写は無かったと感じました。だから、切り取る段階で抽出されたものを集めて繋げていった感じでした。ラストシーンが「悲劇か非悲劇か」と聞いてくる人もいますが、そういうすっきりとした映画の文法ではないところが、僕の思う映画っぽいと思っています。

永野、斎藤工

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(おわり)

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永野、斎藤工
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