シンガーソングライターの立花綾香が20日、ミニアルバム『HELLO』でメジャーデビュー。立花は2010年から活動を開始し、同年に熊本市のイメージソング「ときめいて・くまもと」を担当。2011年にYAMAHA主催『The 5th Music Revolution』九州ファイナルでグランプリ、ジャパンファイナルで奨励賞を受賞した実力派。また、TVアニメ『灰と幻想のグリムガル』や『サクラクエスト』などを手掛けるユニット(K)NoW_NAME(ノウネーム)のボーカルに抜擢され、アニメファンからも高い評価を得ている。今年3月には福岡の音楽フェス『F-X2019』に出演し5月2日には渋谷duo MUSIC EXCHANGでワンマン『立花の変』を開催するなど精力的に活動している。鍵盤を操り独特の視点で放つ日常と恋愛観が収められた本作について話を聞くとともに、立花のバックボーンや素顔に迫った。【取材=平吉賢治】

シンガーソングライターというスタイルに至った様々な経緯

『HELLO』ジャケ写

――まずは立花さんの音楽的バックボーンからお聞きします。よく聴く音楽は?

 私のなかで一番の癒しは大橋トリオさんです。サウンドも凄く素敵だし声も「α波が出てるんだろうな」というくらい心地良いんです! 最近は毎日朝から聴いています。テンションを上げたい時は、椎名林檎さん、東京事変を聴いています。

――音楽に触れたきっかけは何だったのでしょうか。

 私は昔からスポーツも勉強もそんなに得意じゃなかったんです。小学校の時に先生に「ピアノをやってみたら」と薦められて、じゃあやってみるかと。もともと、ボタンを押すのが好きだったんです。

――ボタン…というと?

 「カチャッ」って押すボタンが好きなんです。色んなボタンがあるなかで、ピアノって敷き詰められたボタンの代表じゃないですか?

――その捉え方は斬新かと(笑)。

 そうですか(笑)。ボタンを一つ押すと音が出るという…そこに感動して、音楽が好きというよりもピアノ自体が好きになりまして。ピアノの先生は厳しい方で、私も自分を追い込むのが好きなタイプなので、やるのならとことんやりたいと思って「コンテストに出よう」と思ったんです。とことん練習して、指が開かない時はテープで固定したりして広げたり。

――凄いですね。昭和の特訓的な練習というか。

 『巨人の星』の星飛雄馬みたいな(笑)。「目隠しして弾けるようになろう」とか、とことんやりました。お母さんとかもけっこう乗ってきてくれて「いまのは気持ちが全然込もってない!」とかそういう感じでした。クラシックの練習から音楽を始めたんですけど、だんだん「私はクラシックはあまり好きじゃないんじゃないかな?」と思ってきたんです。

――それはなぜでしょう?

 クラシックは基本的に楽譜通り弾くじゃないですか? 作曲者の意図を楽譜を読み取って、ここはフォルテで弾いて、とかクレッシェンドで、とか。そういう指定が苦手なのかなって。「自分だったらここはこう弾きたいのにな」と、自分の感情が上回るようになってきたんです。それで、大事なコンテストで飛んじゃったんです。

――コンテスト中に頭が真っ白になった?

 「何を弾くんだっけ?」と、全てを忘れてしまって。そこで「チム・チム・チェリー」(ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』劇中の楽曲)を弾いちゃったんです。

――大事なコンテスト中に全然関係ない曲を弾いたと。

 自分の思うままに弾いて…全く関係ない曲を弾いてしまったんですけど、審査員特別賞を頂きました。逆にそれで吹っ切れちゃって、「私はクラシックをやりたいんじゃないな」と思いました。そこからジャズのピアノの先生の所に行きだしたんですけど、1日目に「君のやりたいことはこれじゃないだろ」と言われて。ビッグバンドに入れてもらったこともあるんですけど、「多分、立花がやりたいことはこれじゃないから1回弾き語りをやってみたら?」と言われて。

――クラシックなどに比べると弾き語りは自由度が高いですね。それなら合うと思った?

 それで初めて家でポップスの弾き語りをやってみたら凄く楽しいなと思ったんです! 最初はYUIさんの「Good-bye days」をやりました。父が最初にその曲の楽譜を選んで買ってきてくれたので。

――シンガーソングライターとしての最初のきっかけはそこだったのですね。

 ピアノのメロディを弾くのではなく、自分でメロディを歌ってピアノを弾く楽しさが芽生えたんです。合唱部にも入って歌の練習もして。そこではアルトのパートだったんですけど、メインメロディを歌わないパートだったからか、そこでだんだん自分が目立ちたいという欲が出てきて。ちょうどその頃に高校の先生が「近くでライブをやっているから観に行こう」と言われたのが初めてライブを観たきっかけでした。そこで弾き語りをしているのを観て「これだ!」と。

 「ここに出たい」と思ったので次の日にオファーをして、そこからが私の弾き語りの始まりです。高校2年生の終わり頃で、MONGOL800さんとかをやったりしました。その頃に、父が昔音楽をやっていたということを知って、父と一緒にライブハウスで山口百恵さんなどの昭和歌謡などもやったんです。そうやってカバーをしていくなかで「自分はこういう曲を歌いたい、こういう言葉を使いたい」というのが生まれてきて自分の曲を作るようになりました。

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