役を愛してあげたい

――それとゲーテがマリの部屋で服従させようとするシーン。マリはかなり追い込まれていましたけど、演じるにあたってはどういう感じだったんですか? ゲーテの演技に従う感じ?

 マリの部屋に来たのは、私の事が好きだったカミヤマさん(伊藤麻実子)と看守長のゲーテだけだったんですね。カミヤマさんがドアをノックしたときは、私はまだ同性愛だと知らないので、安心してドアを開けられたんですけど、足音だけで男性が来るのか、女性が来るのかは分かると思うんです。そういうのは感じるだろうなと思っていましたし、それとカミヤマさんの後にゲーテが来るんですけど、ノックの違いとかでも訪れた人の違いが分かると思うんです。それに加えて「ゲーテです」と言われた瞬間に、何かされる、怒られるというのは感じるので、だからこそ私はドアの開き具合も意識したり。カミヤマさんがだったらためらわずドアを開けるけど、ゲーテだと「あ!」となるだろうし、なのにそれをこじ開けて部屋に入ってくる怖さだったり。

――繊細なところまで意識されたんですね。それは監督と話して決めて?

 言っていないです。自分自身でそうなるんじゃないかなと思ってやりました。

――すごい。でもなかなかしんどいですね。いろんなことを考えないといけないから。

 しんどいです(笑)。

――でもそういうきめ細かいところに意識がいくというのは、普段からそういう所に目がいく、意識がいくんでしょうね。

 わりと昔から「あ、この人しゃべっていないな」とか「ちょっと、いい気分じゃなかったんだろうな」とか顔でそういうのが感じるタイプだったので、それが逆に生かされているというか、

――でもそれだけ傷つくことも多いんでしょうね。

 気づくことで疲れたりすることはありますけど、それが役として生かされることが多いし、この性格が嫌ではないので。

――この映画については、一人一人の人生背景が見えてきて、堀田さんは今回主演ではあるけど、一人一人が主演でもあるような気もします。これまでの作品とはやや違うような。

 主演だとまた違った責任感はありますけど、ほかの作品であっても番手は関係ないと思っているんです。例えば料理で例えると、その作品のなかでどう自分が調味料や素材になって美味しくできるか、みたいな。自分がどう色を出したり、どう味を出せばおいしいごはんができるだろう、良い作品になるだろう、ということしか考えていないんです。マリという役も形としては主演ですけど、みなさんにいろんな人生があり、一人一人が主演で寄っていますし。

 それと、ほかの作品をやっていても、いかにその役を自分自身が愛せるか、一番大好きになってあげられるかということも大事にしています。この作品に入る前にマリが自分に近いところもあったので「この台本は私自身とは少し違うかな」というときは妥協せずに「ここはもう少しこうしたいです」と相談するようにしていました。マリとは逆ですけど、強い役をやるときもわりと嫌な奴ということで終わらせたくなくて、やっぱり嫌なところは出しているけど、彼女なりの考えがあって、誤解だったとか、きっと何かがあると思う。それを感じてもらえるように芝居を意識しています。

 私自身は人のことを嫌いになることはなくて、苦手はありますけど、「この人嫌いだな」とかで分けたくなくて、良いところももっともっと知ってから判断したい。そういう面でどれだけその作品をやるうえで愛してあげるかはとても重要。だから主演でしたけど、いつもと変わりはありませんでした。

――そういう考えは昔から? それてとも両親の影響? あるいは役者を通して形成されていったもの?

 両親は自由で「ああしろ、こうしろ」というのはなくて、東京に行くときも「NO」とは言わなかったですし、実際にいままで生きて来て親に「NO」と言われたことがなくて、それって逆に信頼してくれているからだと思いますし、自分で考える時間を与えてくれているから、私自身もそうはいかないような道に選択して進んでいたり。昔からそういう風な家庭で育ったので、自分自身で考えるのは好きですね。

堀田真由

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