「未完」という成熟

大木貢祐

大木貢祐

――話は変わりますが、忖度という言葉が多く聞かれるようになって。流行語大賞とかそういう以前に、社会的にみて忖度することが多くなっている気がしますね。なぜこういう社会ができたのか。

 それは何でなんでしょうかね? めちゃくちゃ考えたいところですけどね…。

――こうことを書いたら炎上するから、叩かれるからやめましょう…と。萎縮している感じでもありますね。

 そういう流れをポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)って言うじゃないですか? それはやっぱりSNSなんだろうと思います。よく考えもせずに感情が伝播するようになったので。誰もが何でも言えるからちゃんと判断されないまま膨らんでいって、クレームやらなんやらと。それに乗っかると気持ちが良いので、それでではないでしょうか?

(※ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス):性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指す)

――SNSの先駆けとなったネットの匿名掲示板などの影響も大きいかもしれませんね。

 昔の匿名掲示板くらいまで遡ればそんなに悪くないというか、マイノリティの方々が特別なコミュニティと離れて繋がれるというような、そういうツールになっていたはずなので、初期のインターネットと、今のTwitter、Instagram的なものというのはまた分けて考えないといけないかもしれないんですけど…でも「インターネットでもって」ということだと思いますけどね。

――匿名掲示板で、大企業の対応の悪さを書いたらそれが波紋を呼んで、その企業は対応せざるを得なくなったというのがだいぶ昔にありました。一人の発言で1つの大企業が動いた、と当時は話題になりました。

 それならポリコレの先駆けですね。納得できる意見もあって、それを噴出できるツールができたことはいいかもしれないですけど、何事もやり過ぎちゃうのは…。

――この先どうなっていくと思いますか? 大木さんはそういうことを考えたりするのでしょうか。

 そういうことを考えるのをやめられないんですよね。「これからどうなっていくんだろう」とか「何で生まれたんだろう」とか「死ぬって何?」とか「何で働かなきゃいけないの」「結婚? 出産? 何?」って。そういうのをやめられないんです。子供が抱いている思いというか。大人になるにつれて、そういう答えの出ないことを考えるのをやめて現実を見ましょうというのが成熟とされているじゃないですか?本当にそうなんですかね。そういう謎に切り込んでいくための考え方の道具というのは、哲学とか色んなところに転がっていて、それを使って考え続けるというのをずっとやるというか。

大木貢祐

大木貢祐

――それで答えは見つかりますか?

 それは空虚でぽっかり空いた穴みたいなものがあって、逆にそこに答えとしての何かを入れないようにして、ずっと考え続けてどんどんアップデートしていくことの方が大事なんじゃないかと思います。そこにバシっと何か解決策みたいなものを入れると失敗するので。それが昔だったら神だとか、今だったら科学とかお金がそこに入ったり。そうするとそれぞれの「そこに入れた何か」みたいなものを信じているコミュニティみたいなものがあって、それが全部事実で、それを全部認めないといけないという風になっちゃうので。そうじゃなくて、その核心みたいなところをうまく避けながらそれについてずっと考え続けていくというのが成熟の在り方というか。

――未完のままという?

 そう、未完のまま突き詰めていくしかないという。その絶望を受け入れる、引き受けるしかないというのが。でもいきなりポンと見つかるかもしれないですけどね。カンタン・メイヤスーという哲学者が『有限性の後で』という本を出しているんですけど、その人が自然法則が偶然的であるということそれ自体は絶対的に必然的である、と言っていて。その人がその本の後に言っていることが「今は神がいないけど後から神が出てくるかもしれないんだ」という。今まではいなかったかもしれないけど、偶然的な出来事によって急に世界の物理法則や何やらが変わりうるということを前提にしたうえで、「これから神来るかもしれないんだよ」って凄いじゃないですか? たしかにそう言われちゃうと来ないとは限らないですけどね。でもずっと考えていかないとやっぱり…。

――その人にとってはそれがゴールだったのかもしれないですよね。そのゴールに近づけるためにこの考えがある、みたいな。

 そういう風にも見えましたけどね(笑)。数学的に還元して、「ものは絶対に今ここにある」というのを言ったんですけど。結局は、そこを納得できるかできないかというところを僕らに委ねられている複雑な証明の部分もあって、数学でもって「ものは絶対ここにあるんだ」と言っても、やっぱり納得できるかできないかというのが残されるんですよね。数学だって何だって「基礎づける」というところにおいて不可能な部分があるので。基礎づけるって難しいですよね。

――言語も基礎づけるような感じですよね。例えば「食べたい」のニュアンスはそれぞれの状況によって変わってくるじゃないですか? 同じ言語でも「お互いの考えの基礎」がないと通じないというか。

 そうですね。「食べたい」というそれぞれの意思も絶対同じとは限らないですからね。「私の見える『赤』とあなたの『赤』が同じである」ということは証明しようがないのと一緒ですから。それを基礎づけるのは難しいですよね。

――冒頭の「伝えられない空虚」というのはそこに繋がる?

 そうです。「伝わる」という確信を持つことはできないという。空回りして進んで行くしかないと。

――今こうして話合っていても実はズレている場合もありますしね。

 お互いここにいない可能性すらありますからね。

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