俳優の小手伸也が、4月20日から東京・赤坂のTBS赤坂ACTシアターで上演される舞台『良い子はみんなご褒美がもらえる』に出演する。俳優の堤真一と、A.B.C-Zの橋本良亮をメインキャストに迎えた舞台。戯曲家のトム・ストッパード原作の舞台作品で、オーケストラを従えた特徴的な演出が注目を集めている。今回は小手に稽古入り前に取材する機会を得た。今作のストーリーの印象や自身の取り組みへの思いなどを、自身にとっての音楽というものへの認識を含めて語ってもらった。【取材=桂 伸也/撮影=大西 基】

キャスト

 本作は、政治犯として精神病院に入れられた男と、オーケストラを引き連れていると妄想する精神病患者という2人の病院での出来事を、彼らを取り巻く精神病院の医師、家族らとともに描いたストーリー。タイトルの『良い子はみんなご褒美がもらえる』(英題:Every Good Boy Deserves Favour)は、音楽の五線譜の横線の音を覚えるための、英語の語呂合わせとして知られる言葉から由来している。(一番下からE(ミ)、G(ソ)、B(シ)、D(レ)、F(ファ)となり、英題の頭文字と一致する)。また本作の音楽は、2月28日に逝去した音楽家のアンドレ・プレヴィンさんが担当しており、舞台では35人のオーケストラが、役者陣とともに物語を展開する。

 メインキャストとして、誹謗罪でつかまった政治犯の男・アレクサンドル役を堤、自分はオーケストラを連れているという妄想に囚われた男・イワノフ役を橋本が演じる。その他にもシム・ウンギョン、外山誠二、斉藤由貴らが共演として名を連ねている。

 小手は、2人のアレクサンドルとイワノフを診る医師役を担当する。ドラマ『コンフィデンスマンJP』『SUITS/スーツ』(いずれもフジテレビ系)での演技で高い評価を得て注目を浴びたが、芸能活動は1998年の劇団innerchildの作品までさかのぼり、舞台作品を中心として活動、近年は映画やドラマへの出演に、美声を生かしてのナレーターと、幅広く活動を展開している。

舞台の魅力は「お客さんにダイレクトに届くということ。イコールお客さんと一緒に作れること」

小手伸也

小手伸也

――本作の出演が決まったときの気持ちをおうかがいできますでしょうか?

 とにかく嬉しかったです。2017年に三谷幸喜さんがプロデュースをされた『子供の事情』という舞台に出させていただいて以降、今はもうちょっと知名度を上げる意味でも率先してテレビの仕事をやっていく時期だと思い、舞台からは遠ざかっていました。でも僕自身は本当に演劇が好きなので、この忙しさが一段落したら、必ずまた舞台をやりたいと思っていたんです。

 それが青天の霹靂みたいな感じで、急にオファーをいただきまして。だから若干スケジュールに不安はあったけど、叶うことなら出てみたいと思い、ほぼ二つ返事で参加させていただくことになりました。

――小手さんご自身としては、できれば舞台に活動の主軸を置きたい、という思いもあるのでしょうか?

 “主か? 副か?”という考え方は、最近はしないようにしています。今までは僕のメイン、主戦場はあくまで舞台であり“舞台で培った経験があるからこそ、僕はドラマの現場でも戦える”という自負が、僕自身の根拠になっていたんですが、当然それだけで片が付くほど甘い世界ではないし、ドラマならではの手法といったものに色々気付かされたこともあったんですね。

 なので最近は、ドラマや映画の現場で学んできたことを演劇に、という考えもあって「演劇からドラマへ」という一つのベクトルだったものに対して、ある意味双方向の関わり合いが、自分の経験的に可能だなと。そう思い始めてからは、これからはどんな環境でも戦っていきたいという意味で“主戦場”というよりは“軸足に置いていく”くらいに思っています。

――舞台の魅力、舞台に出る魅力というのは、小手さんご自身としてはどのようにとらえていますか?

 やっぱりお客さんとダイレクトにつながれることだと思います。つながることで、何に向かってやっているということが非常に明確なんです。僕が昔、ドラマとか映画の映像の仕事が苦手と思っていた一つの要因として「誰に向かってやっているのかわからない」という部分が大きかったんですね。現場にあるのは1、2台のカメラで、それを監督さんの目線を通して、さらに編集なり何なりを経て、電波に乗ってお茶の間へ、というその先、届け先が全く見えない、という状況。

 そんな中で、僕は何に向かって集中し、演技を作っていけばいいのかというのがわからない、ということが僕からドラマを遠ざけたというか(笑)。さらに苦手だからこそ、逆に「俺は演劇でいいや」とちょっと斜に構えさせちゃったり。そんな逃げの姿勢があったんです。

 でもやっぱり経験を経ていくうちに「どうすればみんなが喜ぶか」ということを考えるという点では同じ、実はテレビ制作も舞台制作も変わらないと思うようになったんです。映像はお茶の間に届くまでに、いろんなフィルターがかかる。演劇はそこがダイレクトです。でもフィルターを取り去って、誰に何を届けるかという意味論においては、まったく同じことがいえる。だから苦手意識とか差別、区別という意識を持つのは、ちょっと早計だなと思うようになりました。

――演じる、という部分での共通点ですね。

 その上で演劇ならではの楽しさというと、やはりお客さんにダイレクトに届くということ。イコールお客さんと一緒に作れるということだったりするんですよね。どんなに稽古場でいいものを積み上げて、そこが100点だと思って本番に臨んだとしても、「お客さんが入ってみないことにはわからない」ことって実は一杯あるんですよね。むしろお客さんの反応とか空気、そういうものを含めて初めて完成する芸術というところがあるんです。

――音楽のライブみたいな印象があります。

 まさしく。お客さんと一緒に「世界」を作る、という感覚はやはり演劇体験ならではだと思います。最近はSNSなんかの発達で、一緒にドラマを盛り上げていくということは、ちょっと方法論、意味論は違うかもしれないけど、視聴者とメディアの関係がより劇場に近くなっているような気がします。やっぱり演劇的なライブ感というか、「世界」を作る当事者意識を求めた人たちが、SNSの力で一緒に盛り上がって、みたいなところがあったりするんじゃないのかな、と僕は勝手に分析しているんですけど。

――リアルに感想なども、SNSで入ってきたりしますよね。

 まあその感想次第で、テコ入れとか軌道修正が入ったりすることもありますけどね(笑)。テレビ業界自体も、視聴率や社内の評判しか判断基準がなかった時代とは、色々変わってきているんじゃないかなと思います

――ドラマなどの映像と舞台、それぞれの現場で、気持ちの違いとかはありますか?

 そもそも方法論が違っているので、何ともな話なんですが、最近は双方の違うところ以上に、共通点を見出す努力をしています。例えばドラマ等で、シーン毎でバラバラに撮ったりする場合のことなんですけど、演じている方の気持ちとしてはつなげにくいというか。演劇は一度発進してしまえば、2、3時間を真っ直ぐ進めるけど、映像ではそこがすごくブツ切りになって、さらに撮影順によって前後が変わったりする。だからどうやって集中力を維持したらいいのかがわからなかったりするんです。昨日は泣いていたシーンを撮って、今日は笑ってるシーン、明日は泣いているシーンの途中から行きます、とか言われたり(笑)

 そんなところがほんとに難しかったんです。でも、よくよく考えれば演劇の稽古でもシーン毎にブツ切りで、毎日別の個所を急にやらされるなんて日常茶飯事ですし、ドラマではそれを本番として毎日やっていると思えばいいと。そう柔軟に思えるようになったからこそ、集中力の持続の仕方みたいなものも、完全にとは言い切れないですけど、ようやくやり方がわかったり。そうなってくれば応用の仕方も思いついたりもする。すると、さっき言った、演劇と映像との、どちらで学んできたことも、どちらにも生かしたい、みたいな相互の関係につながっていくと思っています。

小手伸也

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