<エンタメ界の30代 Vol.18>
 変革期を迎えているエンターテインメント業界。テレビ最盛期やミリオンヒットが続出した時代に青春を過ごした30代は今まさに、その最前線で活躍している。彼らは今何を考えているのか、どう時代の変化に立ち向かっているのか。リレー形式でインタビューする本企画は、エンタメ業界で働く大手事務所マネージャーが同世代で活躍するキーマンに話を聞き、それぞれの背景や想いに迫っている。今回は、人気アーティストや『告白』『銀魂』『永遠の0』などの映画ポスタービジュアル、その他にも様々な分野の作品を撮影しているカメラマン『太田好治』氏。2005年に独立し、数多くのジャケット写真やライブ写真、映画のポスタービジュアルを撮影。カメラを片手に、たった一人で戦うカメラマン『太田好治』氏に迫った。【企画・取材・文=山本圭介(SunMusic)】

『写真しか褒められたことがなかった』

 誰もが見たことのあるポスターやCDジャケット、アーティスト写真やライブ写真などのクレジット表記に数多く記載されている名前がある。カメラマン『太田好治』。

 中学時代、映画の最後に流れるエンドロールを見て「名前を世の中に残すことが出来る仕事」に心を奪われた。高校を卒業後に上京。映画学校に進学して録音や映画撮影の技術を学んだ。ただ、カメラは独学だった。21歳の頃、写真家『野村浩司』さんとの出会いが彼の人生を変えた。

 「他の職業は星の数ほどあるのに、僕は『写真』を選んだし選ばされた。写真以外、人生の中で褒められたことがないんです。僕が学生時代に映画を撮っていた時も、周りの友達からは褒められなかった。生きていくすべが、唯一『写真』だけだったんですよね。『写真』があって、僕はやっと生きられた。

 気鋭のフォトグラファー「太田好治」氏。彼が歩んできた道と「写真」への想いとは――。

カメラとの出会い

――学生時代、好きだったエンタメコンテンツは何ですか?

 僕は「映画」と「音楽」この2つですね。宮城県名取市で生まれ育ったのですが、その地域で手に入る情報は有名なハリウッド映画ばかりで、フランス映画やインディーズ映画、海外の情報などはあまり入ってこなかったんです。高校生になってから仙台にある『DISK NOTE』というインディーズを中心としたレコードショップに通って、海外のアンダーグランドの音楽を聞くようになりました。

――映画もかなり観ていた?

 作品数を見ていた方だと思っていましたが、上京して映画学校に入った時に井の中の蛙だったと思い知らされました。映画の事が本当に詳しい人が沢山集まる学校だったので。僕は2時間の物語の中で「文化」を背景にしている映画が特に好きなんですよ。例えば『ロッキー』を見たら、フィラデルフィアの状況や、アメリカのベトナム戦争で不景気だった当時の空気感を感じられる。『地獄の黙示録』を見たらベトナム戦争を知り、その映画で流れていた音楽を知ることでワーグナーも学べる。映画はフィクションなので、例え実話ベースだとしても脚色されているもので、事実としては受け取らないんですが、「映画」や「音楽」を通して人の「想い」に触れられる事が好きだったと思います。

来る/太田好治・撮影(C)2018「来る」製作委員会

来る/太田好治氏・撮影(C)2018「来る」製作委員会

――当時から「映画」の仕事にも興味があった?

 中学生の時、父親を亡くしたことで、物作りをして何かを残すという事を考え始めて。映画の「エンドロール」を見て感動したんですよ。制作者の名前やスタッフの名前が流れてきて、自分の仕事を「エンドロール」を通して誰かに伝えることができて、名前を残すことができる。それは素晴らしいことだなって。だから、エンドロールはずっと見ていました。邦画でも洋画でも、どんな仕事があるのかをチェックしていました。

――高校卒業後、東京に出て来ようと思っていた?

 父親が亡くなった後に、過労で母親が倒れてしまって、夢も何もなかった僕は早めに働いて、自立して家族をサポートしようと思っていたんです。それで工業高校に進学して、卒業したら地元の企業に就職するつもりだった。

 でも、母親の体調がなんとか回復して「東京に出てもいいよ」と。その時『今村昌平』さんがやっていた『日本映画学校』(注:現在は日本映画大学)のことを知り、自分のやりたいことに近づけるんじゃないかなと思ったんですよね。それで高校を卒業後、上京して『日本映画学校』に入りました。

――プロのカメラマンになりたいと思ったのはいつ頃ですか?

 もともと、「写真」を仕事にして生きていけるとは思っていなかったんです。でも、写真家『野村浩司』さんの写真集『短編写真』と出会った瞬間に衝撃を受けた。プロのカメラマンで、これだけ自由に作品を撮っている方がいるんだと。『野村浩司』さんの作品で有名なのは、岩井俊二監督『スワロウテイル』やMr.Childrenの『深海』。90年代の音楽シーンにおいて、「CDジャケット」というジャンルでトップクラスの方です。音楽雑誌やファッション誌の表紙とは違って、CDジャケットは表現の自由度が高く、被写体の顔が見えなくても良いし、ピントが「背景」と合っていても良いわけです。そういう発想が出来るのはとても面白いなと思いました。音楽に歩み寄りながら、作品を翻訳している。同じアーティストだとしても、それぞれのカラーを「人」を通して表現する。それが本当にカッコ良かった。野村さんの作品を見て決めたんですよね。プロのカメラマンになろう。野村さんを目指そうと。本当に大きな出会いでした。

――野村さんとは一緒にお仕事を?

 実は野村さんにお会いした時に「弟子にしてください」とお願いしたんです。普通、アシスタントになるには基本的なカメラの「知識」や「技術」が絶対必要です。でも、当時の僕にはそれが全くなかった。そんな僕を野村さんは現場に連れて行ってくれて「太田、あれをやれ、これをやれ」と指示してくれたんですよ。でも、もちろん僕は何も出来なかった。野村さんは「出来ない事」を分からせてくれたんだと思います。本当に悔しくて、泣きました。その現場はずっと心に残っていますね。弟子にはなれませんでしたが、野村さんに出会えた事は僕の宝物です。まだまだ野村さんには追いついていないですけど、今も僕の目標なんです。

――それから基礎を学ぶためにスタジオに就職して、2005年に独立された?

 野村さんに「基礎がないからダメだ」と言われ、すぐにスタジオに就職しました。当時はネガフィルムとポジフィルムがメインで、デジタルはようやく認知が始まったタイミング。スタジオでのライティング、アシスタントワーク、現像方法やカメラの扱いなども、色んな事を勉強しました。沢山の現場を経験させていただき、2004年末に独立しました。フリーになり14年ほど経ちましたけど、僕は業界的にはまだまだ新人から中堅の間だと思っています。学ばないといけないことは年々増えていて、どんどん時代も変わっていきます。新しいカメラもライトもたくさん出ているので、まだまだ勉強しなければならない、頑張らなければいけない。常にそう思っています。

ラプラスの魔女/太田好治・撮影 (C)2018「ラプラスの魔女」製作委員会

ラプラスの魔女/太田好治氏・撮影 (C)2018「ラプラスの魔女」製作委員会

――フリーになって多くの作品を撮影されています。映画簿ビジュアルやCDジャケット、ライブなど、撮り方はそれぞれ変わりますか?

 それぞれカメラも違いますし、技術も違います。撮影に向かう為の姿勢や準備も違います。ですが、人が写っているのというのは変わらないです。例えば映画のポスター撮影なら、撮影の5時間前。ライティングを組んで、スタッフとコミュニケーションを取りながら準備します。ライブの撮影でいうと、午前中から現場に入ります。曲の流れと演出効果、媒体数、それに求められている写真の種類。それを想像して自分なりに考える。楽曲によっての狙いを事前に決めて撮影します。僕は予測では絶対にやらない。全部「理詰め」です。ライブが2日間あるなら、昨日とは違う動きで角度を変えたりします。ライブハウスは「熱気」や「気持ち」を撮って、横浜アリーナや武道館などの大きいステージは「物語」や「テーマ」をしっかり捉える。ただ撮影するだけだとレポート写真になってしまうので、ライブ撮影でも事前準備は本当に大切ですね。

――写真を撮るうえで特に意識していることはありますか?

 「写真を撮る」ということは、僕らカメラマンの心の中で描いた「絵」を「写真化」していく作業だと思います。一枚の写真を撮るには必ず『理由づけ』が必要で、「なんとなく」撮りましたという写真は「なんとなく」しか写らない。明日、明後日、仕事が急に入ったとしても自分がそれを撮る「必然性」を考えることが第一優先です。僕はいつも、「なぜ自分が撮らないといけないのか」、「撮るべきなのか」を考えます。その次にカメラを選びます。写真を撮るという事は、人が見る行為に対して参加させてもらう。相手から時間を頂き「これを見てください」「見て欲しいです」というのを提案するわけです。自分が精一杯、出来る限りのことをやらないと「驚き」も「感動」も与えられないですよね。あと、文脈を考えて「絵画的」に撮った方がいいのか「写真的」に撮った方がいいのか、それとも「コンセプト」を撮るのかそれを崩す「躍動感」がいいのか。毎回、何を求められているのかを間違わないようにしています。

――プレッシャーを感じることはありますか?

 もちろんあります。毎回、プレッシャーを感じています。怖くて仕方ないし、心配ばっかり。どんな現場でも、何度撮影させていただいた方が被写体でも、現場の中では一期一会です。「何か準備を忘れてたらどうしよう」とか、「カメラがちゃんと動くかな」とか。充分にカメラテストをやっても、本番にうまくいかないことがあります。そのときにどうするか。カメラマンは現場にたった一人ですからね(笑)

椎名林檎さん/太田好治・撮影

椎名林檎氏/太田好治氏・撮影

――そういった緊張感の中でも、仕事をしていて「感動する瞬間」はどんな時ですか?

 写真を撮るのを目標にしていた方がいらっしゃって、今年初めて撮らせて頂いた。それは嬉しかったですね。長く活躍されている方には、絶対的な才能がありますし、誰よりも影で努力されている。常に厳しいところで戦っています。圧倒的な存在感もあります。人としてお会いした時の「力強さ」とフレームにおさまったときの「覇気」。それらを全て、長年活躍されている方は持っていますし、そういった方々にお会いできるのは本当に光栄なことですよね。

――常に「目標」は立てているんですか?

 1年に1枚、「日本中の人が見た」という写真を撮りたいと思っています。つまりそれは「その時代を撮る」という事なんだと思います。過去の作品で言うと、映画『告白』がそうだったと思います。大きい案件になればなるほど、見ていただけるチャンスが増える。そういう写真を撮り続けたいと思っています。

――太田さんにとっての「写真」とは?

 「他の職業は星の数ほどあるのに、僕は『写真』を選んだし選ばされた。写真以外、人生の中で褒められたことがないんです。僕が学生時代に映画を撮っていた時も、周りの友達からは褒められなかった。生きていくすべが、唯一『写真』だけだったんですよね。『写真』があって、僕はやっと生きられた。

――最後に、太田さんの原動力を教えてください。

 まだ僕は、目指しているところに到達していない。悔しい気持ちもありますし、日々技術、ハードを勉強しています。先ほども言いましたが、僕には「写真」しかない。その写真には「四角のフレーム」しかなくて、その中で構図があります。光があって、色があって、写真にしか表現できないものがあります。これからもどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

野田秀樹さん/太田好治・撮影(Yahoo!ニュース)

野田秀樹氏/太田好治氏・撮影(Yahoo!ニュース)

 自分が観に行ったライブ写真を見ると、その日の感動や熱気、アーティストの想いまでもが蘇ってくることがある。その1枚には、アーティストや主人公の想いを届けるための念密な準備、その写真を待っているファンの想いを背負っている「カメラマン」の存在がある。僕らにとってはたった1枚の写真でも、カメラマンにとっては何万枚と撮影した「1枚1枚の積み重ね」の結晶。太田氏の「写真」に対する想い、1つ1つの仕事に対する熱意。たくさんの情報が溢れている世の中で、ともに流れてくる「1枚の写真」に、これからは是非注目して欲しい。カメラマン『太田好治』というクレジットとともに。

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