ピアニストの清塚信也が12日、アルバム『connect』をリリース。クラシック・ピアニストの枠にとどまらず作曲家、そして俳優としても活躍する清塚が今回挑んだのが、クラシック音楽と人々、クラシックと現代(いま)、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンと我々現代人を「connect=つなげる」という試み。クラシック・ピアノの名曲を清塚ならではの現代の解釈で再現した1枚だ。インタビューでは組曲やソナタという形式の解説、今回選ばれたクラシック界を代表する3人が清塚の中ではどのように見えているのか、「前提を持つとクラシックは聴こえ方が変わってきます」と話す清塚に、クラシックをより楽しく聴く、感じるためのエピソードを語ってもらった。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

本当は怖かったモーツァルト

清塚信也(撮影=冨田味我)

――今作はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンと各時代を代表する音楽家を選ばれましたが、今作のコンセプトをお聞かせください。

 色んな動機があるんですけど、最近オリジナル曲に寄っていたこともあり、そろそろ、もう一つのラインであるクラシックをやりたくなったというところから始まったのと、『関ジャム』でやっているような、楽曲を専門的に分析して解説すると言う立場が少しずつ出来てきたので、ただピアノを聴いてもらうだけではなくて、曲にまつわる話や面白さを伝えられるコネクターとしての自負が出来てきたと思っていて。

――この3人を選ばれたのもクラシック界において重要人物であるということも?

 CDは収録時間が決まっているので、どこまで出来るかなというのもあったんですけど、改めて立ち止まってクラシックを聴いてもらおうと思った時に、やっぱりこの3人かなと思いました。とりあえず音楽の父のバッハから始めて各時代を考えていきました。

――ということは続編もあるということですね。

 このアルバムの売れ行き次第ですね(笑)。声が上がればベートーヴェン以降の作曲家たちもやっていきたいと思っています。

――是非、続けて行って欲しい作品です。さて、まずはバッハなのですが、清塚さんにはどのような作曲家として映っていますか。

 バッハは同じ鍵盤楽器でも、ピアノとは違う楽器を使用していました。当時はチェンバロとかオルガンでグランドピアノもまだ存在しないし、ピアノに今の機能が付いたのもここ100年ぐらいなんです。一番致命的なのは当時の楽器は強弱がなくて一定の音しか出せなかったことです。

――それでバッハはこういった音になったわけですね。

 そうなんです。あと、背景に宗教が絡んでいることもあり、飾り付け過ぎるのも神に対してあまり良くないという考えもありました。あとバッハは1685年に生まれたので、モーツァルトやハイドンなどと時代的に重なる部分もあって、バロックとしては古臭いことをやっていた感じもあります。なので、バッハが死んだあとは100年間ぐらい名前を忘れられてしまい、誰も知らないという状況がありました。それを呼び戻したのがメンデルスゾーンで、彼が凄いと絶賛したのがきっかけで知名度が上がったんです。

――あのバッハが忘れ去られていた時代があったなんて驚きです。さて今回、そのバッハの楽曲を清塚さんは強弱を付けて演奏されていて。

 はい。今の楽器はそれが出来るんですけど、敢えてみんな強弱を付けずに演奏しています。それは、バッハの環境に近づける為なんです。今回はそれを割り切って辞めてしまうというのはどうかなと考えました。今のグランドピアノの機能を全て取り入れて、『イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV.808』を新しいバッハの解釈をするというものです。今の時代の人をバロック時代に連れて行くのではなく、バッハを今にコネクトするということなんです。

――新しいバッハを清塚さんの表現で演奏されたわけですね。続いてのモーツァルトはどのよう感じているのでしょうか。

 モーツァルトの曲ってすごく可愛らしい曲、繊細で煌びやかで冗談を言っているかのような明るい曲が多いんです。でも、今回は「本当は怖かったモーツァルト」というテーマを掲げています。というのも、モーツァルトは実はすごく闇を抱えていたと思っています。彼の生きた時代は作曲家や演奏家に個性を求めた時代ではなく、青写真があって委託されて曲を作る、劇伴作家みたいな感じでした。例えば、貴族たちがパーティーをする為の曲みたいな、用途がある上で貴族たちの環境音楽として存在していました。それもあって煌びやかで可愛らしい、会話を邪魔しない曲が多かったわけです。ということは、モーツァルトのパーソナリティが出た曲というのは殆ど無いということになります。

――そういった曲はレアなんですね。

 時々、ドン・ジョバンニの父親が出てくるシーンや、「レクイエム」などでモーツァルトの本質がこぼれ落ちることがあるんです。今回、僕はそこに着眼しまして、「ピアノソナタ 第14番 ハ短調 k.457」には怒りみたいなものがあった、彼の確信や意外性が出ている曲だと思っています。その怒りや悲しみといったネガティブな感情はどこに向いているかと言うと、モーツァルトの父親であるレオポルト・モーツァルトに向いていたのではないかと僕は解釈しています。

――それはなぜですか。

 幼少期からエリート音楽家だった父親にずっと連れ回されて、コンサートをして、時にはストリートライブみたいなことをしたり、3歳から音楽家として仕事をしていたんです。当時は交通手段も馬車で隣町に行くのにも3日間掛かったり、抗生物質もなかったので風邪などをひいてしまったら死ぬかもしれないという過酷な状況で数多くのコンサートをしていたわけです。父親からすれば教育ですが、モーツァルトからすれば仕打ちであるかもしれなくて…。彼はこれを愛だと感じていたのかどうか、それはすごく重要なことで、彼からすれば父親はコンプレックスだったんじゃないかなと思っています。

――この「ピアノソナタ 第14番 ハ短調 k.457」の一番の注目ポイントはどこになりますか。

 モーツァルトの持つ暗さという意外性、こういう曲を作るんだというパワーというのを感じて欲しいのと、ベートヴェンがおそらくこの曲をバイブルにしていたんじゃないかなと思うんです。というのも、ベートヴェンはフォルテとピアノという表現方法をよく使う人なんです。逆にモーツァルトは使わないんですけど、この曲ではけっこう多用していて。当時フォルテピアノという楽器が出てきたときで、強い音も弱い音も出せるというものだったんです。それを見たモーツァルトは興味を示しました。

 スマホに例えると新しい機種でしか使用できないアプリみたいな感じで、このフォルテピアノでしか弾けない曲を作りました。ベートヴェンはハ短調というのも好きだということもあって、すごく感化されて大事にこの曲を持っていたんじゃないかなと思います。ベートヴェンの「運命」や「悲愴」といった曲はハ短調で、耳が聞こえなくなったときなど作ったのがハ短調で、「悲愴」の第2楽章で有名なメロディがモーツァルトのソナタにもあるんですよ。


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