追い求める音楽の根本

――二階席で観ているときは「静かに燃えている」という感覚がありました。ただ、映像を観たら違ったんです。凄く燃えていたんです。みなさんはどうですか? ステージに立っていたときと、映像でと、感覚は違いますか?

大木伸夫 全然違うものにはなっていましたね。ライブのときは自分の世界であり、自分は歌を歌うことに集中していて、そして最後お客さんに抱きしめられるような感覚になって、次に涙を流してしまって。やっぱり感動をしたというところが多くて。だけど映像では、自分の世界観というよりも、凄く客観的に見えているので…とあるボーカリストがいて、その人は妙に真剣で、多分本当に嘘をついていないというのが自分でもわかるんです。この、ハットを被ったボーカルは。そしてそこにめちゃくちゃ人生を捧げているファンの人達のストーリーが見えてきて、そこに感動してしまって。客観視して、泣くんです。全然違う所の視点で見られていて、どっちも涙が出るくらい感動できたなというのだけは事実ですね。あのとき、全員号泣してました。

佐藤雅俊 大木の歌に触発されてですけどね。感極まっているのが声になっているし。その場所の雰囲気というか、“そのとき”に感動して自然と涙が溢れてきて。

浦山一悟 「世界が終わる夜」の曲の後半、ディストーションがオンになってから、歌っている大木の顔を見ながら、普通に感極まって泣きました。いい曲だなあと思って。「いい曲だ」という単純な表現で伝えきれないほど伝わるものがあったと思います。何回も演奏している曲だけど、改めて客観的に観たときに、一お客さんとして伝わるものがめちゃくちゃありました。

大木伸夫

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――その映像なのですが、「愛を両手に」の話にもありましたが、その曲に限らず、全体として生々しくて「生きている」という感じがするんです。これって何でしょうか?

大木伸夫 わかんないなあ! わからないけど、そう言ってもらえるのは凄く嬉しいです。僕はそういう風に作品を残していきたいし、そういう風に思ってくれる人がいるのが嬉しいので。答えはわからないですけど。

――他のアーティストの映像を観て、そういった感覚になることはなかなかないのですが。

大木伸夫 僕もないです。多分、僕がやっているのは音楽のようで音楽でないことをなにかやろうとしている、ちょっと変わり者だからだと思うんです。でも、芸術に感じるものでたまに似ている感覚になるときとかあったりして。映画とかもそうだけど。音楽だとやっぱり僕はエンターテインメントに感じてしまうので。もしかしたら、混ぜてはいけないものが混ざっているのかもしれなくて。でも実はそれが混ざるべきことだったような気もしていて。だからわからないんですよね。

 本当は音というのは、根源的な意味では思想と結び付くはずなんですけど、でも日本もしくは世界では、今では音楽はエンターテインメントが音である、音を楽しむと、それが音楽である、というのがあるんだけど、たぶん僕はそっちを目指していないのかもしれないです。わからないけど。これからどうなるかもわからないですし。

――音楽はそれ自体に形はないものですが、音楽って何だと思いますか?

大木伸夫 そうですね…僕はもともと根源的なものだと思っているので。これは物理的な意味で。音というのは何かの根源だと思っているから、それが形を変えて音楽になっているだけなので。絶対に何かの真理があるものだと思うんですよ。だから音楽というのと真理に一番近いと僕は信じてやっています。

――そこに結び付いていくから、その人その人の中で形が出来ていくかもしれない?

大木伸夫 かもしれないです。感情を1秒で揺さぶるって音しかできないじゃないですか? だから不思議な感覚ですよね。低音がブーンって鳴ると気持は不安定になるし、ハッピーな音が鳴るとポジティブな気持になるし。音によって自分の中にある気持ちが音によって引き出されるって、不思議な現象だなといつも思っていて。まだまだ解明されていない世界の話だと思います。裏にも世界があって、もう一個世界があって。そことリンクできるツールなんじゃないかなと。

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