amazarashiが16日、東京・日本武道館でワンマンライブ『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』をおこなった。amazarashiにとって初となる武道館ワンマン。ライブで掲げられたテーマ「新言語秩序」は仮想現実世界における言葉のディストピアと、それに抵抗する人々を描いた物語で、「新言語秩序」に対する抵抗運動をおこなうようにステージを展開。リスナー参加型プロジェクトとして、ライブに向けたスマートフォン用の特殊アプリが事前に用意されるなど、新たな試みも盛り込まれた。この日の模様を以下にレポートする。【取材=桂 伸也】

言葉をさえぎる「新言語秩序」への抵抗が始まる

ライブの模様(撮影=Victor Nomoto)

 この物語について秋田は「ディストピア物語では、権力や大きな企業が支配する監視社会がよく描かれますが、今回問いかけたいのは一般市民同士が発言を見張りあう監視社会です。そしてそれは、現在のSNS上のコミュニケーションでよく見る言葉狩りや表現に対する狭量さをモチーフにしています。昨今感じる、表現をする上での息苦しさから今回のプロジェクトを立ち上げました」とその思いの発端を語っている。

 一方、この日はステージに向けて「新言語秩序」の解除ツールなるアプリが事前に配信されており、このテーマを掲げた書き下ろしのストーリーが、アプリ内で公開されている。アプリでは検閲が加えられた虫食いの状態で公開されており、ユーザーはその検閲を解除することで『新言語秩序』の根幹となるストーリーを楽しむことができる。そして今回そのストーリーに描かれる「言葉ゾンビ」によって入手された「新言語秩序」派の極秘ファイルが、ステージの合間に披露された。

 またこのライブは、前回amazarashiがおこなったツアー『地方都市のメメント・モリツアー』が完了した時点で、秋田自身が「amazarashiをはじめたときに目標にしていた音楽と表現に、一先ずではあるが到達した」と感じており、その気持ちを引き継いでおこなわれた。このステージに対して「今回の武道館公演は、僕らが今できる表現を全て注ぎ込んだ記念碑であり、これからのamazarashiを占う試金石です」と今後のamazarashiの動向に対して大きなターニングポイントになることを示唆している。

 ステージはリスナー参加型プロジェクトとして、ライブに向けたスマートフォン用の特殊アプリが事前に用意されているなど、新たな試みも盛り込まれており、秋田自身も「傷つけられた言葉。嬉しくて嬉しくてたまらなかった言葉。そういう『言葉』の積み重ねで僕らは形作られています。是非この抵抗運動に参加して、この言葉たちの行く末を見届けてください」とステージに強い思いをこめている。その壮大で辛らつな世界観に、観衆はずっと固唾を呑んで、じっとステージに目を向けるほかなかった。

 この日のステージは、日本武道館のフロアの中心にセットされていた。四角いステージ、そして四方を透過性LEDが覆っている。そのLEDの向こうには、ドラムセットなどの楽器が既にスタンバイを完了しているのが、かすかに見える。一方、そのLEDにはこのステージのキーとなる言葉の説明が繰り返し映し出される。「新言語秩序」「再教育」「テンプレート逸脱」、そして「言葉ゾンビ」。言語を統制する「新言語秩序」、その制度に抵抗を続けるのが「言葉ゾンビ」だ。この夜、ここに集まった観衆一同は、秋田を中心として、「新言語秩序」の不条理な弾圧に抵抗活動をおこなうことになる。

 ステージ開始の3分ほど前には会場に前説が流れ、この日が弾圧への抵抗活動である旨が説明される中で、このアプリのテストがコールされる。「解除実験を開始します」すると、ビッシリと埋まった観客席の観衆一人ひとりのスマートフォンが、一斉に光を放ち始めた。様々な機能、情報伝達を促すこのアプリだが、このステージの演出の効果に、観衆は大きくどよめく。そして次の瞬間、日本武道館の場内は真っ暗な闇に包まれた。「新言語秩序」への抵抗が始まる時間だ。

 中央ステージの壁面には、洪水のような言葉が表示されては、検閲によって塗りつぶされていく。その不条理に歯向かうがごとく、秋田の言葉が音でも流れていくが、時に妨害電波のようにかき消され、皆の下には届かなくなる。そんな中、いよいよステージにはamazarashiの面々が現れた。「ワードプロセッサー」で始まったこの日のステージ。その詞は秋田の歌に追従し様々なフォーマットにより壁面に映し出されるが、すぐさま“検閲”により肝心な言葉があっという間に消されてしまう。

 それでも秋田はがなるように、そして時が過ぎるたびに、さらに熱を増してさらなる言葉を吐き出していく。“消されるのなら、その分多く吐き出してやる”そんな思いすら感じられるような、秋田の猛攻が続く。それはまさしく「新言語秩序」への激しい抵抗を表すものとなっていた。そして歌い切ると、秋田は叫んだ。「日本武道館! 『新言語秩序』! 青森から来ました、amazarashiです!」そして場内は、大きな歓声と拍手に包まれた。

「新言語秩序」に抗う、amazarashiの歌の世界観

ライブの模様(撮影=Victor Nomoto)

 おぞましいハーモニーを感じさせる「リビングデッド」。その音が流れる中、ステージの壁面には様々なSNSのコメントが溢れる。その言葉の一部が秋田の歌と重なり、言葉を表示する。が、それは次の瞬間にまた“検閲”によって塗りつぶされ、言葉を削り取られる。「フィロソフィー」まで疾走するようなリズムの中、次々に吐き出される言葉はまさに“検閲”の餌食となり、ある時は付箋を貼られ、またボカシを入れられ、消されて「言葉ゾンビ」への見せしめをまざまざと見せ付けていく。そうやって消されていく言葉とは何なのだろう…

 それはテンポダウンしレイドバックしたサウンドを聴かせる「ナモナキヒト」で明らかになった。「うまくいかない」「傷だらけ」「悪く」「悩み」「不正解」「ため息」「ぼろぼろに疲れ」「悔しさ」「悲しみ」…確かに、どちらかというとネガティブと取られる言葉なのかもしれない。しかし、必要な“言葉”、文章を作るため、思いを伝えるためには全て必要なものばかりである。それは、「ナモナキヒト」で描かれる世界観が、強く聴く者に感情的な作用を与えていくことでより深く感じられた。

 また、ライブの合間に秋田がステージ中央の椅子に座り、中央に当てられたスポットライトの中で、このストーリーを朗読する。物語は「新言語秩序」側のメンバー、実多(みた)の視点で描かれる。それは「新言語秩序」の発端となった、ネガティブな経緯から、一方で首謀者、「希明(きあ)」を中心とした「言葉ゾンビ」たちの対立のストーリーで展開していく。もちろんフィクションであるが、一つひとつ明かされるそのショッキングなエピソードに、皆文字通り“言葉”を失っていた。朗読をする秋田の立場はもちろん中立であるが、「新言語秩序」派、そして「言葉ゾンビ」たちの歩んできたここまでの道が、おぞましく、生々しく、聴くものの胸を大きくえぐっていく。

 時に優しく、そして時に厳しく、秋田の言葉は紡がれる。その言葉が流れるのに従って、“検閲”の力は言葉を殺していく。しかし、amazarashiの言葉は止まらない。“検閲”の力が及べば及ぶほど、amazarashiの音を聴くものはその言葉にじっと耳を傾け、普段音楽を聴く以上の集中力を、一言一言に傾けていく。優しいサウンドに並べられた辛い真実、激しいビートの上に乗る切ない思い。時に検閲は言葉を消しきれず、塗りつぶされたはずの言葉が溢れていく。秋田が歌にこめていく力に呼応するように、観衆のスマートフォンは強い光を放ち、ステージの印象をより強いものへと変えていく。

 そして、ステージの端々で目に留まる言葉が現れる。「言葉を取り戻せ」と。秋田の紡ぐ言葉に、なおも“検閲”は追従するが、そのうちamazarashiの音、秋田の吐き出す声一つひとつが体に浸透し、“検閲”の追従はいつのころか、どうでもいいものと思えるようなものと化していた。一つひとつの曲のイメージが、「新言語秩序」の不条理を超えていく。ストーリーのエンディングは決してハッピーエンドにはならなかったが、「独白」で締めくくられたエンディングでは、「新言語秩序」側であった実多が押し殺していた言葉が「言葉ゾンビ」の思いとリンクして溢れる。この曲の歌詞は、CDやブックレットでは“検閲済み”という形で、歌詞のほとんどの部分が伏せ字で隠されているが、秋田は思いを一気に吐き出すかのように、言葉を叫び続ける。

 そしてラストには何度も繰り返された「言葉を取り戻せ」というメッセージ。気がつけば誰もいなくなったステージで、その言葉が胸の中に残る。最後に彼らの“抵抗活動”に、観衆は惜しみない拍手を送った。彼らがこの日見せたこの行動は、言葉だけでなく音楽にも、いや、未来の様々なことに対して種々の問題を提起するとともに、大きな希望を与えたようにも感じさせた。

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