パンクロックバンドの175Rが3日、結成20周年を記念したオールタイムベストアルバム『ANNIVERSARY 1998-2018』をリリースした。2003年にメジャーデビューし「ハッピーライフ」や「空に唄えば」などヒット曲を連発、青春パンクブームを牽引したバンドのひとつ。2010年には無期限活動休止を発表、ソロ活動や各々のバンドで活動。2016年の12月に再始動し、翌年4月にはアルバム『GET UP YOUTH!』をリリース。その直後にギタリストのKAZYAが脱退したが3人で活動を継続。今作は20周年ということで20曲というCDの容量ギリギリまで収録し、過去曲のほとんどを再録し現在の息吹を注入した。さらに「みんなの求めている175Rを意識」したという新曲「ANNIVERSARY」を書き下ろした。SHOGO、ISAKICK、YOSHIAKIの3人にこの20年間を振り返ってもらった。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

この20年を振り返る

SHOGO(撮影=冨田味我)

――活動休止期間もありましたが20年は早かったですか。

ISAKICK 20年も経った感じはしないですね。気づいたらこの歳になっていた感じなんです。

YOSHIAKI 良く30代から時間のスピードが速いと言いますけど、本当にそれですね。

SHOGO あっという間でした。結成した時は20周年が来るなんて思ってもいなかったですし、2枚目のベストアルバムまで出させてもらってそういう意味では幸せな環境なんだなと思います。

――10周年の時とはまた違った感覚もありますよね。

SHOGO 全然違いますね。本当に僕らはデビュー前後がすごくめまぐるしかったバンドなので、当時は大変だったなと思います。インディーズシーンから飛び出て、メジャーデビュー、紅白歌合戦、日本武道館と濃い年月をそこで過ごしているので。逆にそこからの方が長いですから。

――デビューから大ブレイクしましたからね。20周年ということで、バンド結成から振り返ってみたいのですが、プロフィールを改めて見させていただいて、SHOGOさんのわがままで結成と書いてありました。そこが引っかかりまして。

SHOGO 僕らは友達とか知り合いじゃないところから結成しているんですけど、僕が組んでいた高校時代のバンドを解散して、高校を卒業したタイミングで175Rを結成しました。僕はもうこれを最後のバンドにしようと考えていて、地元で実力のあるメンバーを口説いたんです。それもあって「わがまま」でという。

――ヘッドハンティングですね。

ISAKICK 急に知らない人から電話が掛かってきて(笑)。間に知人がいて、その知人を通じて「電話が来るかもよ」ぐらいな話は聞いてはいたんですけどね。その時にバンドに誘われたので「いいよ」と即答して。

YOSHIAKI 僕はドラマーとして2代目なので、ヘッドハンティングではないんです。

SHOGO 最初は僕の高校時代のドラマーがそのままやっていて、実家の家業を継ぐので辞めてしまって。その時ちょうどコンテストに出場していて決勝まで残っていたんですけど、ドラマーが見つからなくて、ギターのKAZYAの弟のYOSHIAKIに頼むことになったのがきっかけで。

ISAKICK 決勝の1週間ぐらい前に辞めちゃったんですよ。

SHOGO 逆に良くそのタイミングで辞めたなと今思いますけど(笑)。KAZYAは兄弟ということもあってYOSHIAKIをバンドには入れたくなかったのでギリギリまでドラマーを探そうとなって。

――YOSHIAKIさんは見つからなかった時の保険だったんですね…。

YOSHIAKI なのでコンテストでやる1曲だけ叩くという約束で。

SHOGO そうしたらそのまま居座っちゃって。

YOSHIAKI 良く言うよ(笑)。コンテストは優勝出来て良かったなあと思っていたら、「次、来週ライブだから宜しくね」って言われたんですよ。

SHOGO そうだっけ?

――このすれ違っている感じが20周年感が出てますね(笑)。

SHOGO みんな都合の良いように解釈してるので(笑)。真実は誰もわかんないんですよ。

YOSHIAKI 真実は俺やわ(笑)。

SHOGO 厳密に言うと、結成は1998年なんですけど、YOSHIAKIは99年に入ってるので、まだ19周年なんですよ。

YOSHIAKI そこはもう20周年でいいでしょ(笑)。でも、僕はまだ加入するとは返事はしていないので、いまだに仮メンバーなんです。

――20年でまだ仮メンバーというのもすごいですね(笑)。さて、今年もフェスにもたくさん出られたと思うのですが、いかがでした?

SHOGO 最近はアイドルの方とも一緒になることがあって、その子たちが楽屋に来て、「小さい時に好きで良く聴いてました」と言われることが再始動してから増えましたね。

――長く続けているとそういうことが増えて来ますよね。あと若い人たちにも良い背中を見せていかなければいけないですよね。

SHOGO まだまだそんな立場でもないと思うんですけどね。自分たちのやるべきことをやるしかないなと思っています。

――この20年の印象的なことは皆さんは何でしたか。

ISAKICK 意外と覚えてないんですよね(笑)。東京出て来てからの何年間は目まぐるしく動いていたので、特にその辺があやふやで。なので、覚えている衝撃的なことは上京したことです。初めての一人暮らしで、当時は三軒茶屋に住んでいたんですけど、ずっとウロウロしていました。というのも、上京タイミングにみんなタイムラグがあって、SHOGOはプロモーションの関係で後から上京して、僕とYOSHIAKIが最初に上京して1週間ぐらい何もない日があったんです。三茶は裏道も含めてめちゃくちゃ詳しいですよ(笑)。

YOSHIAKI 僕はまだ東京に住んでいない時の話なんですけど、ラフォーレ原宿にクリスマスのイベントに呼んでもらって出演した時ですね。「これがラフォーレか」みたいな感動があって。そこで人気のあったバンドと対バンしたのが印象に残ってます。

SHOGO 僕らの地元にラフォーレ原宿小倉というのがあって、そこでよく自主イベントをやっていたんです。そこのライブを終えてそのままラフォーレ原宿に向かったのを覚えてますね。

――そのラフォーレ原宿小倉はまだあるんですか。

SHOGO 建物はあるんですけど、ラフォーレは無くなりましたね。

――思い出の場所がなくなってしまって。

ISAKICK もうほとんどそういう場所はなくなってしまいました…。

――20年ですからね…。寂しいことですけど。さて、SHOGOさんの印象的なことは。

SHOGO 僕は(テレビ朝日系)『ミュージックステーション』に出たことです。邦楽が好きで小さい時から良く番組を見ていたこともあって、テーマソングに乗って、階段を降りての登場時は衝撃でした。

――確かにあの階段を降りる憧れはありますよね。

SHOGO インディーズ時代に『ミュージックステーション』に出るまでは認めないと言っていた人がいまして、ちょっと心の中で「出ましたけど」みたいなね(笑)。あと、その時はランキング1位で出たので、最高のシチュエーションということもあって特に印象に残ってます。その時はKinKi Kidsさんも出ていて、誰が1位になるかその時までわからないという緊張感もありました。

――ちなみにNHK『紅白歌合戦』はどうだったんですか。

ISAKICK もちろん衝撃的なことなんですけど、あの時が一番忙しさのピークだったんです。ちょうどツアー中で大阪から東京に行ってまた大阪に戻るみたいな感じで。大変だったことの方が大きかったです。

SHOGO その時ちょうど風邪を惹いていて、大阪の救急病院で点滴を打ってライブをやって、紅白の楽屋でも点滴を打ってという感じだったので。

――デビュー当時は目標や夢を聞かれた時はなんて応えていたんですか。

SHOGO ずっとメジャーデビューが夢だったので、叶ってしまったという感じだったんですよね。そこから先というのは考えていなかったです。場所でいったら日本武道館でしたけど、それは今もありますね。

ISAKICK 同じですね。アリーナとかでやっているイメージは持ったことはなかったですね。

――武道館は特別感がやっぱりあるんですね。

YOSHIAKI ステージからの景色がやっぱり凄いんですよ。それとお客さんが近いというのもあります。SHOGOは当時から武道館って言ってましたけど、その時自分はそれに乗っかっていただけだったんです。でもステージに立って「こういうことか」と聖地と呼ばれている意味もわかって最高の場所でした。

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