この5月から7月までアイドル、元アイドルの舞台取材にてその作品を目にする機会が度々あり、それぞれに感じることも多くあった。舞台、ミュージカルはもとより、もちろん他のジャンル、たとえば映画やドラマへの出演に関しても、アイドル、元アイドルが出演するということは、昔からよく見られた傾向であり、そのこと自体が特に目を引くものではないが、ここまでアイドルというステータスが前提に置かれる作品が多く出てきたと考えると、これ自体は新たな流れが出てきているのではないかとも感じられる。

 「やっぱり本職の舞台俳優なんかと比べると…」こういった作品に対して知人の意見やネット記事の反応の中には、なかなか手厳しい意見も告げられている。確かに元々舞台での活動をメインにその道を歩んできた俳優陣と、“初挑戦”が珍しくないアイドルの舞台では、その完成度に雲泥の差が出ることは、否めないだろう…

“アイドル”がおこなうからこそ「面白い」ポイント

 しかし“アイドル”という面をクローズアップしたことで、面白いと感じられるものが生じるメリットも、諸々には感じられる。“アイドル”という、舞台を見るきっかけを作ることで、見る側としては、なかなか“舞台が好きな人じゃないと見に行かない”という舞台作品の敷居の高さを取り払い、身近に“見に行ってみようか”と思わせるものにしてくれているようにも感じる。

 合わせて観衆、そして出演者、制作者側がそれぞれ新しいアプローチを試みたり、あるいはそれ自体を感じたりする機械を得る可能性もある。たとえば『劇団れなっち「ロミオ&ジュリエット」』は、映画監督の堤幸彦氏を演出に迎え、古典の名作『ロミオとジュリエット』を、原作からアプローチを一新して作り上げた。そこには“アイドル”として活動してきた彼女らの経験が、うまく生かされているようにも感じられる。

 また『乃木坂46版 ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」』では、視覚効果で斬新な手法を試みている場面もある。さらにその中でアニメ、マンガのキャラクターと、個々のアイドルの性格的な部分に妙に親和性を感じるところもあり、“アイドル”を前提とした舞台、ミュージカルという意味では、大きなポイントとなるものもあると感じる。また斬新な手法、コンセプト、あるいは従来ではなかなかイメージを定着しづらかった原作の舞台化には、本流と少し違った“アイドル”をメインに置いたステータスは有利に働くようにも感じる。

「不完全」だからこそ、興味をそそられるものも

 また、そもそも世間では今、エンタテインメントにどのようなものが求められているのか、という根本的な命題を考えたときに、ふと腑に落ちるような傾向を感じたことがあった。それは、近日話題となっている映画『カメラを止めるな!』を観覧したときに受けた所感だった。

 MusicVoiceでも作品を手がけた上田慎一郎監督のインタビュー記事を掲載しているこの映画だが、その話題について言及したニュース記事などを見ても「知られていない俳優を起用」「長回しの撮影」など、どうも断片的な情報しか見えてこない。一般の視聴者目線から考えれば「これは“口コミ”という言葉を隠れ蓑にした、計画的な宣伝戦略ではないか?」という疑問もあった。もちろん大衆の目にさらされる作品だけに、それなりの完成度には達した作品だろうという予見はしていた。だが果たしてそれが騒ぐほどの作品なのだろうか?という疑いは拭えなかった。

 ところが、作品を見てその思いは一変した。連日の混雑状況を避け、新宿の映画館で深夜の上映回を選んだのだが、映画のクライマックスでは場内大爆笑、公開からある程度の時間が過ぎているというのに、映画が終わると拍手をするものも多くいたほどだった。映画に関しては、上田監督がインタビューでも言われているとおり、「テーマを設けずに」作られている。それゆえにこの映画を「こんな映画」と絶対的な尺度で縛ることはできない。様々な解釈や、この作品を見ることで受ける印象があるように思われる。

 そんな中で私が作品に感じた印象は、「不完全なものの面白さ」という部分である。映画を見ている中で爆笑に包まれながら、心の中で全ての制作に携わる人たちの気持ちを思った。たとえば演技、舞台、演奏といった中でのミスは、当事者にとっては隠したくなるものだが、この作品は、そういった認識を逆手にとって、面白さにしている。ひょっとしたらあの映画が終わったときに起きた拍手、そしてこの作品が大きな話題を呼だことは、そういった部分が現在世間で求められているものと、合致する傾向があるからではないだろうか。

 たとえ、AKB48は元々それほど完成された形で世に出てきたものではない。むしろ何者でもない少女たちが成長する様を見守る、そういった新たな“アイドルのトレンド”的な傾向を作り上げたものであり、未完成な部分から様々な印象、刺激を披露することで、その存在を印象付けてきているようにも見える。そう考えると今、まさに世では“未完成なもの”が求められているようである。その意味では“アイドル”を前面に置いた舞台作品で出演者なりにできることを見せるというのは、一つの面白い傾向と見ることもできるだろう。

 先日公開された、歌手・女優の知英が主演を務めた映画『私の人生なのに』でメガホンをとった原桂之介監督が、インタビューの最後で「すごい普通というか鉄板の王道のお話を、ドヘタクソで一生懸命な不器用で真面目な人を大真面目に撮る、ってことをやってみたい」と語られことがあったが、正直それを語られた際には、内心その真意を完全に理解することはできなかったことがあった。だが、こういった傾向をふまえると妙に腑に落ちる点がある。

 そういった観点からいえば、「アイドルだから」とこういった傾向を否定するのは、面白いものを追及する側としてはもったいない気もする。また、こういった道を通っていくことが、少女たちが“不完全”から“完全”への脱皮を図る、より大きなきっかけになるかもしれない。そんな可能性を、今後もおりに触れて追っていきたいと考えるところだ。【桂 伸也】

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