演歌歌手デビュー15年を迎える森山愛子が22日、15年の軌跡を振り返るベストアルバム『森山愛子全曲集~15周年記念盤~』をリリースする。森山といえば、TBS系『王様のブランチ』でブランチリポーターを約7年間務め、お茶の間の認知度も高い。昨年、髪型をロングヘアーからショートカットに変えイメージチェンジし、“新生・森山愛子”として新しい自分でぶつかりたいと挑戦したご当地ソング「会津追分」で更に成長。今作では同曲を主軸にデビュー曲「おんな節」など全16曲を収録。インタビューではこの15年を振り返ってもらうとともに、演歌の世界でやっていくことに葛藤があったという20代半ばの心境についてや、歌う時に心がけていること、森山が考える人生観について話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

葛藤があった20代半ば

森山愛子

──この15年は早いと感じましたか。

 15年とキリのいい数字ではありますが、20年、30年とやってきた方々と比べたらまだまだ中途半端な年だなと思います。だから、早かったような短かったような、フワフワした感じはあります。歌以外にもテレビやレポーターなど、色んな経験をさせて頂いた15年だったなと思います。

──15年という月日は、生まれた赤ちゃんが中学校を卒業するという長さですからね。

 そう思うと、自分が凄い歳をとった感じがしますね。19歳でデビューして今33歳なのですが、20代の青春と女性としてのいい時期を全て演歌に捧げました。これが自分の歩む道だったと思います。

──改めてデビューした時の気持ちと、この15年を振り返っていかがでしょうか。

 デビューした時は本当に嬉しかったです。10代でしたしね。私の名付け親がアントニオ猪木さんということもあって、明るい元気いっぱいの曲でデビューさせていただいて。それから割と明るい曲を歌い続けて、たまにカバーもさせていただいたり、15年経って、今やっと大人の曲にチャレンジしているところです。

──デビュー曲の「おんな節」を聴いて、当時のご自身の歌はどのように感じていますか。

 今聴くと勢いとフレッシュさがあります。業界や歌の世界も何もわからず、怖いもの知らずのハツラツとした歌い方をしていたなと感じます。

──当時のレコーディングは覚えていますか。

 覚えています。もう本当に嬉しくて嬉しくて、嬉しさだけで歌っていましたね。作曲家の水森(英夫)先生から要望も特になく、何度か歌ってスムーズに終わりましたから。

──流れとしてはとても良いデビューだったのですね。

 その時は良かったですが、その後が色々大変でした。歌という壁にぶつかる時が来て、このまま歌っていって良いのかと悩みました。

──やめたいと思った事があるとお聞きしたことがあります。

 確か23歳とか24歳で、自分にぶつかった時でしたね。自分がこのまま世に出ていられるという保証はないし、この先何年歌っていくのだろうと。だけど、このまま栃木の故郷へ帰ったとしても何が出来るのだろうか。そこでとても葛藤していました。20代半ばで女としての普通の幸せを得たい、親ともっと一緒に時間を過ごしたいとか、一種のホームシックだったのかもしれません。

──誰かに相談などしていたのでしょうか。

 私は自分の意思ではこの世界はやめられないと思っていたのですが、事務所の社長と話をした時に、「お前の人生なんだからお前が決めろ」と仰ってくれました。その言葉に救われて、自分の道は自分で決めていいんだって思ったら、もうちょっと頑張ってみようという気持ちになりました。それからはやめようと思った事もなく、ただひたすらがむしゃらにやってきました。

──そこから、歌に対する向き合い方も変わったのでしょうか。

 デビュー当時からあまり変わっていないと思います。15年経って今やっと、歌ってこうやって歌うのか、お客さんに対してこうやって訴えかけていくものなのか、とジワジワわかってきた気がします。「おんな節」は嬉しい気持ちで歌っていましたけど、年月が経つにつれ、ここはもう少しこうやって歌ってみようとか出てきます。そうなってくると、歌と自分がぶつかる時があります。

 どんどん進化していくということもあってレコーディングの時が一番ベストな状態じゃないんです。その時のベストはもちろん尽くしますけど、何度も何度も歌い込んで、やっとお客さんに認めてもらえる喜びがあります。CDも聴いて欲しいですが、やはり生の歌を聴きに来て欲しいです。歌って答えがないなとも思います。歌い手としてのゴールってきっとないのだなって。だからこそやっていけるのかもしれません。

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