人間には困難を超越できる力がある

山中千尋(撮影=冨田味我)

――「乙女の祈り」でも少し触れていましたが、近年は社会に対して声を上げる女性が増えました。山中さん自身はどう思われますか?

 バーバラ・クルーガーという女性アーティストの「Your comfort is my silence」(1981年)という攻撃的な作品がありますが、以前からアートの世界ではフェミニストは台頭していました。そして、ここ3年で「フェミニスト」「メイル(男の)フェミニスト」と、フェミニストという言葉がより氾濫しています。人が心を動かされる強さが象徴されている様な気がしますね。「ことさら声を上げなくてもいい」という人もいれば、アメリカは「言ってなんぼ」という文化ですから、アグレッシブに主張する人までいます。政治の事もありますが、今は過渡期。

 あとは子どもたち。ニューヨークでは子どもたちの銃規制のデモもあるんですよ。セントラルパークで「Enough is enough(もうたくさんだ)」と。大統領が「教師に銃を持たせる」と言ったことで大きなデモになりました。本当に小学生から、高校生までのこどもたちが立ち上がるんです。だからアメリカは「プロテストする」という事はカルチャーなんですよ。都市部だけかもしれませんが。土地土地によって事情も違います。

 ただ政権が変わらなかったら、そういう意見の存在さえ分からなかったわけですから。それは1つの結果として、知ることができた事は良かったと私は思っています。「誰が強い」という事ではなくて、お互いの違いを皆が受け入れて共生できる世界になっていってほしいと願っていますよ。

――だんだんと日本でも女性が声を上げ始めていますね。

 1度晒すしかないというか、今まで黙って我慢してきた事を言いたい人は言った方が良いと思います。「女性が強くなった」と言われても、それが当たり前の状態だと思うので。私自身は身近にいる表現したり、社会で活動している女性の方にリスペクトを持っています。若い子たちには「女の子だから」とか「男の子だから」、「男でも女でもないから」と性別を理由にせずに、お互いを認めて仲良く出来るのが一番。

 とはいえ、日本はアメリカと時差がないように感じます。ヨーロッパの方がそういう問題に関して時差がある気がしますね。アメリカはまだまだ女性のミュージシャンが多いですが、ヨーロッパに行くと全然いないんです。日本の方が女性ミュージシャンは多いですよ。

 イタリア出身のベーシストと話した時に、ヨーロッパの北と南ではフェミニズムの感覚や社会制度も全然違うそうで、「スカートをはけ」と言われたりする事もあるそうです。アメリカでそんな事言ったら大変な事になりますから(笑)。そう意味で日本の方がリベラルなんじゃないですかなと思ってはいます。

――作品にそんな時代性が反映されているのが興味深いです。

 『ユートピア』も昔なら「女がこんな風にジャズを弾いて」ともしかしたら言われたかもしれません。先輩が一生懸命切り開いてきた道があるから認められている。30年前だったらどうでしたかね。逆にクラシックの人に「こんな風にぐちゃぐちゃにして」と言われたかもしれませんし。今「音楽に自分を投影していい」という自由があるのは、水や空気みたいに自然発生したのではなく、つかみとってくださった方がいて、できるんだなと感じます。

――そういう意味では、穐吉敏子さん(女性ジャズピアニストの先駆け・現在88歳)からのバトンも受け取っているかもしれませんね。

 本当にその通りです。それに同世代や次の世代だったりとか、皆がそれぞれの表現を続けているからできる事であって。ひとりだったら出来なかった事ですから。最初の女性ジャズピアニストのメアリー・ルー・ウィリアムス(1910−1981)もそうですよ。先日トリビュートコンサートがあったのですが、その時も「こんなに自由で枠にとらわれない表現をしていたのか!」と思いました。もちろんストレートアへッドでもあるのですが。

 それは女性だったからなんじゃないかと思う部分もあるんですよ。男性はプレイ的に原点に対して忠実なところがあって、女性はそれと違う感性があるから面白いのかなと。抑圧がなくなる様にそういう表現をしたのかもしれないですし。結果的に抑圧があって表現ができたのかもしれません。だから全てをマイナスにとらえる必要はないかなと。政治とか、社会で大変な事が起きている事は大変ですが、人間はそれを超越できる力があると信じています。

――では最後にツアーの意気込みをお願いします。

 もうツアーは始まっていて『ユートピア』の曲も披露していますが、アルバムの表現とは違った演奏になっているので聴きに来てほしいですね。実際に場所にいらして、音源との違いを楽しむのもジャズの醍醐味の1つですから。

(おわり)

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