ふとしたきっかけで、昨年11月14日の女性週刊誌『女性自身』(光文社)のWebサイトに掲載された記事を拝見した。内容は、女優の満島ひかりが昨年度の映画祭にて諸々の“ドタキャン騒動”を起こしたということについてのもの。なかなか色々なことがあるものだと記事を見て目に留まった内容が、文末に書かれていたテレビ局関係者の話。

 「彼女は基本的に演技以外の仕事はやらないスタンスで、舞台に主演してもPRにはほとんど協力しません。俳優は作品だけ見て評価されればいいと思っている。だから今回のトラブルも、彼女にとっては他人からどう思われるかなんて最初から考えてもなくて、自分のわがままとも思っていないと思いますよ」(原文まま)

 果たして皆さんはこの内容をどう捉えられただろうか? もちろん最初になんらか約束事があり、それを守らなかったということであれば非難はされるべきではあろう。しかし私は「俳優は作品だけ見て評価されればいいと思っている」という部分が、至極当たり前のことのように思えてならないのだが、その意味では、近年役者という仕事に対しアイドル的な役割が、暗に求められている向きも感じられる。

 つまりは本職の役者という点はもとより、外に向けての愛想も良く、この人がいれば場が盛り上がる、そういう人が求められる。確かに作品のアピールという点では、重要なポイントかもしれない。だが時に、行き過ぎたPRやゴシップの類が、作品のカラーを薄めたり「作品に対する俳優の評価」そのもの自体を、逆にどうでもいいように考えさせてしまっているのではないか。

 正直なところ、私は個人的に芸能人のゴシップというものに、ほとんど興味がない。例えば恋愛だの破局だの、結婚したとか離婚したとか。一般的な統計からすれば分刻みで結婚と離婚が繰り返されている時代である。その他諸々のプライベートにしても、一般の人と何が違うというのだろうか。

 それを知り得たことで、何が得になるのだろうかという考えすらある。むしろ、見たり聴いたりして目いっぱい感動した映画やドラマ、または音楽などが、そんなどうでもいいことを知ることで一気に興ざめし、むしろ最初からそんなことは知らなかった方がよかった、そんな思いをしたことは数知れずだ。

 近年は個性的女優として、演技には大きな評価を得ている満島も、かつてはFolder、Folder5で活躍するアイドル的な存在だった。その実力は高く評価したいという私的な思いもあり、せめて益々の活躍を祈るばかりである。【桂 伸也】

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