物事を「点」ではなく「線」で捉えないと本質は見えない、という事は昔から言われていることだが、ネット時代になり「点」でしか見られなくなっているのではないかと思うことがしばしある。ネットの登場で個人が気軽に意見を発信できるようになった。様々なところから情報が発せられ、まさに氾濫しそうな勢いである。そんな状態では溢れないよう情報という水を受け流すだけで精一杯。時系列さえも把握できな状態だ。情報過多の分、真剣に向き合わなければ「知った気」になってしまう。

 年始、番組で黒人を差別したのではないかと、日本で「ブラックフェイス」問題が起きた。お笑いタレントが、米人気俳優が演じた映画のキャラを真似て黒塗り顔、縮れ毛で登場し、笑いを取った。その行為が差別ではないかとある識者が憂いた。これが論争となった。映画のキャラに扮したのだから差別に当たらないや、そもそも日本人にはそういう差別意識がないという擁護派と、国際基準に則ることが大事、黒人の歴史をもっと知るべきだなどという批判派がいた。

 先日、アフリカ大陸などを半年かけて旅をしたミュージシャンにインタビューをした。現地の人や音楽に触れてそのパワーに圧倒されるとともにエネルギーをもらったとして音楽を始めた当時の思いを甦らせてくれたそうだ。一方、歴史的建造物などを通じて改めて黒人奴隷の歴史にも触れたとも。その時に感じたのは、彼らは悲しいことも音楽や踊りなどで乗り越えようとした。いわゆるブラックミュージックは彼らの悲しい歴史とともにあるとも語った。

 現代ポピュラー音楽のほとんどは、ブラックミュージックが源泉にあるとも言われている。いま聴いている音楽は、突然と現れたのではなく、歴史を積み重ね、音や歌声、メロディーやリズムなどを積み重ね、変化して、今に至る。例えば、演歌は日本民謡の流れをくみ、そして、ブルースなどが加わり派生したのは日本歌謡曲と言われている。

 現代では静かなイメージとして受け取られる傾向のフォークロックはもともと、社会性を訴えるアンチテーゼの役割があった。また、ハードロックとアイドルを掛け合わせた新形態に見られるように、アイドルいわる可愛い文化との掛け合わせは新たな日本のお家芸として世界に認知されている。もっと言えば、欧州音楽とアフリカ音楽が掛け合わさってジャズが生まれ、さらにブルースから派生したのがロックともされている。

 新しいジャンルが生まれるには様々な背景がある。ガーナの音楽・ハイライフは、西アフリカの音楽と西欧の音楽が融合して成立した音楽でそのきっかけは19世紀後半、ガーナに派遣されたイギリス軍のフラスバンドと言われている。ジャンルとジャンルが組み合わさって生まれることもある。

 話をブラックフェイス問題に戻すが、日本の歴史のなかで黒人差別というのは聞いたことはない。番組側も毛頭、そういう意識ないだろう。この番組に限らずこれまでもそうしたキャラに扮したことはあった。これもこれまでの流れから見れば、番組にはそういう意図がなかったことがうかがえる。しかしながら、今回を機に、世界の流れや歴史的背景を踏まえた番組づくりは必要になってくる。

 そもそもブラックフェイスは19世紀に米国で流行したが、1960年代のアフリカ系アメリカ人公民権運動により差別的表現とされ、使用されることはなくなった。昨年、韓国のテレビ番組でも今回と似たようなことが起こり、謝罪した。グローバル時代、ましてや先進国でなおかつ五輪の開催が近づいている。そういう意図はなくても、今回の件がきっかけでもう知らないでは済まされないというところに立った。

 あるミュージシャンはインタビューで「無知は罪」と語っていた。かつての文豪もそう述べている。情報という「水」を流すだけでなく、時にはその「水」を汲んでしっかりと見つめてみるのもこの時代だからこそ必要でないかと思うのである。本人はそういう意識を持っていなくても、そう思われてしまう時代。とても難しい時代だが、それに対応していかなければならない。【木村陽仁】

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