NYに住んで固まったスタイル

TKda黒ぶち

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――その後は?

 大学に入ってからも、高校の惰性みたいにラップをしていたんです。別に大学も意味があって行ったわけじゃなくて。とりあえず行くという感じ。そんな大学で、ある教授との出会いがあったんです。その人はジャズが好きで、研究室に行くといつもジャズがかかっていました。黒人文化にも精通していて、今のアメリカが抱える問題を映像で見せてくれたりしました。なぜラッパーが反政府的なメッセージを発信するのかとか、よりヒップホップについての知識が深まりました。

 そこから<学ぶ>という事に目覚めたんです。世の中は面白いもので溢れているなと。それで読書も好きになりました。元々大学生のノリみたいなのが苦手だったんです。かと言ってそれを避けて1人でいる孤独の時間を持て余していて。でも図書館が友達になりました。ひたすら色んな人の本を読んだりして世界を広げていきました。

 20歳の時に、あることがきっかけでアルゼンチンに行きました。アメリカのダラス経由だったんですけど。帰りの便を待つ、ダラス空港で面白い事がありました。ずっと目が合っているドレッドヘアの男の人がいたんです。結局声をかけて「日本人のラッパーだ」と言ったら、「今から俺のスタジオに来ないか?」と言われたんです。「あと30分でゲートに行かなきゃいけない」と断りましたけどね。元々ニューヨークのヒップホップは好きでしたけど、そんな事が起こるなんて「アメリカってヤベえな」と改めて思いました。

 あと『ライム&リーズン』(2005年)という映画があって、その中でラッパーのKRS・ワンが「ニューヨークのサウスブロンクス(ヒップホップ生誕の地)に訪れた事のない奴は所詮ラッパー止まりだ。ヒップホッパーではない」と言っていたんです。それにカチンときて、お金を貯め始めました。就職難の時代だったのでそれなら、ラップで食っていこうと思っていたし。大学卒業と同時にアパートを1部屋借りて、1カ月間ニューヨークで生活したんです。

 日本のヒップホップって夜というイメージがあります。日中にヒップホップを聴く機会は少ない。だけどニューヨークは日中でも、日本でJポップを聴く様な感じでヒップホップを聴いているんです。それで楽しんだり、モチベーションを高めたりする。それを見て、もっと日常に近い自分の音楽を作る必要性を感じました。ヒップホップは夜のアンダーグラウンドな文化ではないんですよ。日本のヒップホップも独自の昇華をした良いスタイルもあるんですけど、僕はやっぱりニューヨークのヒップホップの普遍性・ポピュラーさが好きです。それが2010年。そして2011年の東日本大震災で完全に自分のスタイルは固まりました。「当たり前が当たり前じゃなくなった時に、その当たり前の大切さをラップしなきゃ」と。

送り手と受け手のギャップ、正社員として働く意味

TKda黒ぶち

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――帰国してからは?

 帰国後はフリーターで音楽だけができる環境でした。もう本当に音楽をやりまくって、適当にバイトしていれば食える。そんな感じでダラダラやっていましたが、ニューヨークで感じたポピュラーさとは違う生活スタイルでした。アンダーグラウンドで夜の文化に没頭していて、「何か違うな」という違和感があって。よくライブに来てくれる友達と飲んでいる時に、仕事の悩みを相談されたんですよ。「理不尽な上司がいてさあ」とか。でも自分は理不尽な上司に囲まれる生活をした事がなくて。所詮はバイトじゃないですか。だからそいつの痛みが全然わからなかった。だから逆に「ラッパーとリスナーという関係の時、こいつは俺の言っている事もわからないだろうな」と気づいてしまったんです。その時に<フリーターで音楽をやる>という事の天井が見えてしまった。

 ちょうどそのタイミングで、今働いている職場から「社員にならないか?」とお誘いがあったんです。「もし音楽に支障が出れば辞めれば良いし。とりあえず一般社会に潜り込んでみて、どんな事を自分が感じて、どんなリリックが出てくるのか。果たして正社員になって、自分が音楽を続けられる本物なのか突き詰めたい」と思い、正社員になりました。そこから<働きながら、そこで感じた事をラップする>というスタンスが出来上がりました。それが2012年のことです。

 高校生とか大学生の時は、ノリや勢いのラップやフロウ(リズム)で勝ち上がれたんですけど、ちょうどフリーターの天井を感じている時期は、全然バトルで勝てなかったんです。2012年は就職1年目の年でしたが、働きながら音楽をやっていると時間が無くて。そこで時間の重要性に気づきました。スタンスが定まったというのも手伝って、2012年は勝ちまくりましたね。でも年末は優勝候補とまで言われながらも、“ぽき”っと負けてしまいました(笑)。それと同時に自分の中で<バトル>という物に関しての何かも“ぽき”っと折れたんです。でも、その折れたものを音源に向けようと。それがきっかけで、固まったスタンスを音源として残るものにしようと思えたんです。

 逆にバトルも楽しめる様になりました。「2012年以降、TKは劣化した」という人もいるんですけど、劣化したのではなくてベクトルが変わっただけなんですよね。後世に残るのは書いている作品なんだという事に気づいたんです。フリースタイルは<瞬間の芸術>なんです。

 面白いのはフリースタイルバトルが1人では成立しないこと。たまたま目の前にいるラッパーとの共同作品だと思うんですよ。ラップのスキルだけ上手くて、適当に韻を踏んで、ごまかす様なやり方は好きじゃないんです。それはこの先、AI(人工知能)が発達したら、そういうスキルは「AIでいいや」となると思うから。だからラップは人間力が魅力になっていきますね。バトルというのも、人間力vs人間力というのが面白いところかなというのが個人的な見解です。

 バトルには勝ち負けはあるけど、それで勝負がつくのかは正直わからないですね。勝ち負けは審査員やオーディエンスに認められた結果。でもKOとはならないじゃないですか。だからある意味、勝負というのは目に見えないと思うんです。だから勝ち負けはあまり当てにしていません。勝っても自分の中で負けてる、という事もありますし。

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