日本と密接な関係にあったクイーン(1975年)

日本と密接な関係にあったクイーン(1975年)

<日本で2度の大ブレイク果たしたクイーンの背景を追う(後編)2004年編>
 英ロックバンド・QUEEN(クイーン)は1975年4月に初来日を果たし、本国に先駆けて日本でブレイクした。(詳細は前項『日本で2度の大ブレイク果たしたクイーン、背景を追う』を参照)。初めての日本公演の成功がグループ躍進の契機になり一挙にスターダムを駆け上がった。その29年後の2004年。クイーンは再び、日本で復活した。(文・石角隆行=六角堂)

 『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』がフジテレビ系の月曜9時ドラマ「プライド」の主題歌に起用され、同曲が収められたベスト盤CD「ジュエルズ(2004年1月28日発売)」は160万枚を超えるセールスを記録。1977年1月発売の5thアルバム「華麗なるレース」以来となるアルバムチャート初登場1位まで獲得。1975年に続く空前のクイーン・ブームが再び日本中で巻き起こったのである。

 ボーカルのフレディ・マーキュリーは1991年に急逝しているので、この時点でクイーンは活動を休止していたにも関わらずだ。突如、振って湧いたようなこの日本での2度目のブレイクは、いかにして起きたのだろうか?

男子がクイーン好きとはいえない風潮

クイーンとポール・ロジャース(2005)

クイーンとポール・ロジャース(2005)

 1975年から始まったクイーン・ブームを支えたのは女の子だ。少女コミックから抜け出してきたような王子様ルックスはティーン・エイジャーのハートを射止め、この頃の日本でクイーンはアイドルとして人気を博した。このブームは日本語曲『手をとりあって』が収録されたアルバム「華麗なるレース」が、オリコンチャート初登場1位の快挙を成し遂げた1977年頃まで、およそ3年続いた。

 この期間、男子のクイーン・ファンはもちろんいた。しかしルックス先行のアイドルバンドと見られていた事もあり、硬派な洋楽ロックファンからは彼らを敬遠。男子がクイーン好きを公言するのは恥ずかしいという風潮すらあって、この時期の男子ファンは地下に潜らざるを得なかったのである。

 11月20日に発売された「オデオン座の夜/ハマースミス1975」は彼らが日本でブレイクした同じ年のクリスマス・イブにロンドンで行われたコンサートの映像。そこに映し出される客席の男女比率は半々で、むしろ野太い声援が会場内を飛ぶ。日本でのアイドル的熱狂は、世界的に見れば異様な現象だったのだ。

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