[写真]シャーロットから感じた温故知新の音楽性

8月18日に行われた公開リハーサルの模様。弦楽器のバンジョーウクレレを弾きながら気持ち良さそうに歌っている姿が印象的だった(撮影・小池直也)

 先日、シャーロットのライブ取材に行った。NHK連続テレビ小説『マッサン』でヒロインのエリー役を演じた、シャーロット・ケイト・フォックス。この日は、全国8カ所をめぐるツアーの初日。報道陣にはリハーサルの様子を公開、そこで2曲を生披露してくれた。

 実際に目に触れて、耳に触れて気づいたのは、シャーロットの芸術家としての教養の高さであった。にこやかな表情で話すのでほんわかした雰囲気が漂うが、彼女はアメリカの大学で演劇を専攻し修士課程まで修めている知性的な一面もある。

 その彼女が音楽にも興味を示し、自分でソングライティングもするのだというのだから外国人が演歌を歌ったり饒舌にカラオケをするのとは趣が異なる。「同じ芸術として音楽と演劇を見ている」と語った彼女のアートへの真摯な姿勢はそこかしこで現れる。

 例えばファーストアルバム『Wabi Sabi』でカバーした楽曲を紹介したい。

 戦前歌謡の「ゴンドラの歌」、沖縄民謡「十九の春」、アイリッシュ民謡「The Parting Glass」。これだけ挙げても彼女が昨今の日本におけるカバーブームに便乗しているのではないことがわかる。

 アルバム全体を見てもカントリーやフォークの雰囲気が漂う。彼女はバンジョーとウクレレの合の子である「バンジョレレ」を弾く。

 彼女の音楽ベクトルは未来というよりも過去に向いているように感じる。しかしながら、彼女からは別の新しさが感じられる。

 第一次世界大戦後、クラシック音楽家のバルトークがヨーロッパ各地を巡り土着の民謡を採集、分類したというのは有名な話だ。そのアーカイブを彼は自己の作品にある時は直接的に、ある時は間接的に応用した。古きを学び、新しきを生み出す、その方法論がシャーロットの活動にも見受けられる。

 また、最近話題になった芥川賞作家でありお笑い芸人の又吉直樹をはじめとして「個人が芸人であったり作家である」または「個人が音楽家で役者でもある」というのは近年増えている。

 それを「浮わついている」などと軽く批評するのは一昔前の考え方ではないだろうか。1つのPCで音楽や映像、写真や文章を扱うように個人がマルチタスクで表現するのが当たり前になる時代が来ているのかもしれない。そして、それに呼応するように演じ歌って踊るシャーロットの姿がある。

 外国人アーティストが日本国内で活動、活躍するというのが難しい(ガラパゴス化)と言われている昨今。NHK朝の連続ドラマ小説という国民的番組でヒロインを演じたこともあって、シャーロットはその様なある種の壁を易々と乗り越え、あっという間に「国民的女優」となった。

 そんな彼女が音楽活動をも開始した。真の音楽に向き合う―。もしかしたらシャーロットが静かなる黒船になるのかもしれない。  【文・小池直也】

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