ディズニー・アニメーション『美女と野獣』『アラジン』『塔の上のラプンツェル』などを手掛けてきた伝説のアニメーター、グレン・キーンが初の長編監督を務めた夢と感動のファンタジー・アドベンチャー、映画『フェイフェイと月の冒険』がNetflixで独占配信中だ。幼い頃から“月には女神がいる”という伝説を信じ続ける少女フェイフェイが、月への幻想的な冒険へと旅立っていくストーリーが展開する。
グレン・キーンは、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオで40年近く第一線で活躍し続けてきたアニメーション界の巨匠であり、『リトル・マーメイド』ではアリエルのキャラクターデザイナー、『美女と野獣』『アラジン』『ターザン』ではスーパーバイジング・アニメーター、『塔の上のラプンツェル』では製作総指揮も務めてきた伝説のアニメーターだ。そのキーン監督に、長編初挑戦の想い、映画と音楽の関係性や幾田りらが歌う日本版エンドソングの感想などをを聞いた【取材=鴇田崇】
初長編作品の監督の構想
――今回の初長編作品の監督の構想は、ディズニー在籍時代からお持ちだったのでしょうか?
まずお話をすると、ディズニーにいた頃、僕は“ナイン・オールドメン”(ディズニー・アニメーション初期の伝説的な9人のアニメーター)に師事していましたが、彼らはディレクティング・アニメーターと言って、それぞれのセグメント、シークエンスを自分たちで演出していました。アニメーションのチームをけん引するリード・アニメーターでもあり、物語もレイアウトもすべての面で関わり、映画を作っていく人たちでした。
僕のキャリアも同じ立場でずっと仕事をしてきて、たとえば『リトル・マーメイド』の主人公アルエルが歌う「パート・オブ・ユア・ワールド」の部分は自分で演出して、アニメーションを手がけました。つまり、その拡大版の作業が監督作品になるわけで、まわりには自分が信頼できる人間がいて、彼らから自分が学べることができれば、すごくいい体験になるだろうと思っていました。
なので監督がずっとしたかったというよりも、自分にとって何か真実を感じる物語と出会った時、自分がこの物語を伝えないとと思わせてくれるものでなければいけなかったし、今回がそうだからこそ長編の監督をしたいと思ったわけです。
面白いことに今回の作品には、プロデュースのチームに入っているペイリンとメリッサ、それぞれパール・スタジオとネットフリックスの人間ですが、アヌシーの映画祭で僕が子どものように考えようというテーマでトークをした時に、「この人に絶対アニメーションを作ってもらおう」と思ってくれたそうなんです。というのも今回の物語は、その時のトークのテーマでもあった“不可能なものを信じる”、というものを持った作品だったからです。
幾田りらのエンドソング絶賛
――幾田りらさんが歌う日本版のエンドソング「ロケット・トゥ・ザ・ムーン~信じた世界へ~」を絶賛されていたそうですね。
彼女の声の中に、本当に僕たちがこの作品でアニメーションしたかったものを感じました。それは言葉に落とすならば、輝く欲求というか願いというか、不可能なものを可能に思うこともできる力、すごく甘やかな声ではあるけれども、そこにイノセンスも感じると同時にパワーも感じる。彼女であれば、願いをきっと達成するだろうと感じさせてくれました。そこが好きです。本当に気に入っています。
――これは日本版のエンドソングですが、映画と音楽は密接な関係がありますよね。監督が思う、いい映画音楽の条件について教えてください。
高校生の頃、僕はリレーをやっていてアンカーでした。なので最後にバトンを受け取るわけですが、当然リレーはスムーズにいかに次の走者にバトンを渡せるかということが大切になってきて、音楽もこれは大切だと思っています。自分がアニメーションで伝えたい物語があり、たとえば音楽をその中で使いたい場合はスムーズに移行しなければいけない。自然に、決して強制されたものではいけないわけです。
たとえば劇中で「ロケット・トゥ・ザ・ムーン」を使っているところは、もちろんフェイフェイが歌い始めることは僕はわかっているわけだけれども、観客にとって急に音楽が侵入してきたと感じさせずに、どういう風に自然に行けるかと思った時に、このシーンの場合は風鈴の音が鳴り、それがこの曲の最初の音になる。そういう移行、自然の動きを考えました。そういうことが大切だと思っています。
――曲については、イメージを伝えて作曲してもらうのですか?
そうです。先にイメージを伝えます。ただ、すべての曲は、だんだんと育っていくもので、時にどうしてこの曲がその場所で必要なのか誰にもわかってもらえないこともあり、そういうことが今回も何回かありました。たとえばゴビが歌う「ワンダフル」という楽曲は、これはカエルの背中に乗って歌う曲だけれども、あの場所にどしても加える曲が必要だと僕は思いました。映画を見ている方がちょっと一呼吸をする。すべてが一瞬止まって、じっくり聞けるような瞬間ですよね。
ゴビはキャラクターの中でも真実を語るキャラクターであり、その瞬間は僕が家族と一緒にアメリカを縦断していた旅の記憶を思い起こさせました。BMWのサンルーフを開けていてワイオミングを通りながら、僕の子どもたちがそこから頭を出して空気を感じているような、雲や星がはっきり見える夜で、まるで夢を見ているような一瞬でした。
ゴビの歌う歌詞は、フェイエイが物語の真実を理解しなければいけないことだけども、まだ心の準備ができていない。でも物語的にはこの場所でタネを巻かないといけなくて、書いたのはヘレンだが、意外な曲を持ってきてくれました。ウクレレを使って、すごくシンプルな楽器ですよね。ほかの楽曲とはちょっと違う感じがする。クジラのように大きなカエルたちが、月面の世界で浮遊していく。緑に光るクリーチャーが「ワンダフル」という曲を歌う。そういう曲になりました。
ナイン・オールドメンから受け継いだもの
――前述のディズニー時代、ナイン・オールドメンから受け継いだものは、今回の作品にはどのうように反映されていますか?
今回の作品は、特にフェイフェイとチャンウーのキャラクターから、すごくエモーショナルな演技が要ることはわかっていました。ナイン・オールドメンから学び大事だと思っていることのひとつで、アニメーションは行動をアニメーションするのではなく、彼らが感じていることをアニメーションするということ。それは、アニメーターたちはキャラクターの中に入り切って動かさなくてはいけないということで、今回は参考になるものがあればいいと思い、フェイフェイをひとりの俳優さんに演じてもらおうかと思ったけれど、それぞれのアニメーターが自分たちでキャラクターを演じて自分を参考にすれば、自分がエモーションを感じることになるから、いいだろうと。でも、それは正しかったです。どのアニメーション作品よりも、さりげない演技や表情が生まれていると思います。
それは日本のアニメーションに影響も受けていて、宮崎駿監督は初期の段階で物静かでデリケートなアニメーションだけれどもインパクトを起こす表現をしていました。細田守監督の作品もリアルで真実の瞬間を、シンプルだけれどアニメーションに起こしています。そういったことはアメリカのアニメーション界は苦手としていて、避けようとするきらいがある。でも僕自身はどんどんそういうことに挑戦したいと思っています。
――みなさんが作り出した作品はキャラクターは、たとえば東京ディズニーランドで美女と野獣エリアやアトラクションに受け継がれるなど、芸術の広がりや可能性を感じます。生みの親として、どう受け止めていますか?
僕はそのアトラクションをまだ観ていないのですが、僕はキャラクターをデザインした後、まるで自分の子どものようにそれ自身が命を持ち始めて、自分の人生を歩み始めるという感覚なので、誇らしく親のような気持ちです。キャラクターが愛されれば、喜びで心が満たされます。