サウンドデザイナーの染谷和孝がサウンドスーパーバイズを担当する映画『相撲道~サムライを継ぐ者たち~』が10月30日に公開。本作は"男を磨く"境川部屋と"個を磨く"高田川部屋の対照的な二つの部屋の稽古場や大相撲場所の取り組みに密着した、世界初“大相撲”のエンターテインメントドキュメンタリー。ドルビーアトモスの第一人者としても有名な染谷氏に、大迫力の映像と臨場感あふれる音とともに強き男たちの生き様を描いた本作のイマーシブオーディオの魅力について迫った。インタビューではドルビーアトモス仕様のドキュメンタリー映画(または作品)としては国内初となった本作の音楽面や、映画の見どころなどについて、本作が初の映画監督作品となる坂田栄治監督と染谷氏に話を聞いた。【取材・撮影=平吉賢治】(※高田川部屋の「高」正式表記は、はしご高)
リアリティを再生するドルビーアトモスとは
――本作は音響面でドルビーアトモスという方式を使われたそうですが、これはステレオ、サラウンドよりもさらに広い手法なのでしょうか。
染谷和孝 そうです。今まで平面だったサラウンド音響、前後または横の動きはできたんですけど、さらに天井が追加されて、より立体的な音響表現が可能になりました。没入型(イマーシブ)のオーディオのフォーマットであるドルビーアトモスやDTS:X、Auro-3D、NHK22.2などがそれにあたります。中でもドルビーアトモスはオブジェクトベースですから、音源の位置情報がとても重要なんです。基本的には7.1.4chのBeds Trackに118のObject Trackで構成され、シネマでは最大64のスピーカー配置(劇場の大きさによります)によって立体的に音像表現を可能としています。また仮に劇場が7.1chにしか対応できなくともDolby社のシネマプロセッサーによってAtmosデータを7.1chにレンダリングして再生することが可能です。この汎用性の高さがオブジェクトベースの大きな利点です。
――ドルビーアトモスがどうやって5.1chで出るのかという疑問がありまして。
染谷和孝 5.1chへのダウンミックスの選択をするとすぐ5.1chに変換してくれます。仮に2chを選択すれば簡単にステレオになりますよ。もちろん、ドルビーアトモスで作ったものはドルビーアトモスで再生して頂くのが一番いいんですけど、劇場によっては劇場に合ったダウンミックスが必要になりますからね。
――それを本作で取り入れようという発想があった上で映画を制作されたのでしょうか。
坂田栄治 この映画で絶対外せなかったのは「絵の美しさ」と「音の面白さ」なんです。配給会社も何も決まっていないまま映画を撮っていて。それで東映さんに知り合いがいたのでそこに持って行って話をしたら、営業の方がドルビーアトモスを紹介してくれたんです。その時はドルビーアトモスのことは全然詳しくなかったのでDolby Japan(ドルビージャパン)さんに行きました。
そこでドルビーアトモスの音を聴かせてもらった時に「これは映画で使用できたら面白いことになる」と思いました。これを使えば僕が両国国技館で感動した衝撃音や観客の声を映画館で再現できるなと思ったんです。日本に関心を持った海外の方がこの映画を観たら、海外のドルビーアトモスの劇場で両国国技館を体験できて面白いなと思って。
――監督と染谷さんのご関係は?
染谷和孝 監督のご親族の方が僕と知り合いでそのルートで今回の映画の話を伺って、そこからドルビーアトモスというものもご紹介したりして、より現実的になったという感じです。監督は最初から音に対するこだわりを凄くお持ちだったので、僕も「手法としてドルビーアトモスみたいな新しいフォーマットで表現された方が、国技館の雰囲気などもよりリアルに表現できるんじゃないですか」と、打ち合わせの時にお話しました。
――実際にドルビーアトモスで本作の音響制作をする過程は?
染谷和孝 まずオープニングの5〜7分くらいのものを作って監督に見せて方向性を決めてもらおうと思いました。国技館のものに関しては、様々なマイクや相撲協会からご協力を頂いた収録素材を臨場感があるように配置してお見せしたんです。監督がどう感じられたかを知りたかったので、それから本編の方向性みたいなものを具体的に決めていった方がいいんじゃないかと。もちろん頭の中にはあったしお話もしましたが、言葉では伝わらないじゃないですか? だから最初に5〜7分くらいのものを作ってお見せして「じゃあこの方向性で行きましょう」ということになって進んでいきました。
――そのサンプルを聴いて坂田監督はどういう印象を受けましたか。
坂田栄治 もう、「両国国技館になる」と思いました。音の反響も計算しているんですよね?
染谷和孝 そうです。最初にロケで国技館に行った時の雰囲気をなるべく出そうと思って。お相撲をあまり見たことがない人でも「国技館ってこうなんだ!」というのが伝わればいいかなと思ったんです。僕はお相撲から凄くアットホームという雰囲気を感じました。
坂田栄治 格闘技でもありスポーツでもあるんですけどお祭りの空気ですよね?
染谷和孝 自分のご贔屓の力士を応援しにきて楽しんでいる感じがあって、でもそこで戦っている力士は命がけで、その雰囲気をみんなが作っているんですよね。
坂田栄治 ご贔屓の力士の名前を大声で呼んだり、そういうのを込みで両国国技館の楽しさというか。
――確かにその様子は本作から伝わってきました。
染谷和孝 それを間違いなく伝えたいと。でもライブではないじゃないですか? 収録したものをあたかもライブのようにリアリティをもって再生する方法としてドルビーアトモスが最適なんじゃないかなと思ったんです。
今作を表現するのに最適だったドルビーアトモス
――本作はドルビーアトモス仕様のドキュメンタリー映画(または作品)としては国内初となりますね。
坂田栄治 僕はドルビーアトモスを決めた時は日本初というのは全く考えていなくて(笑)。普通に再現をやりたかったらたまたまだったので、狙いもしていなかったんです。表現するのに一番いいやり方がドルビーアトモスでした。
――今作は力士の稽古や取組、プライベート面から国技館のお客さんの様子など、あらゆる場面があって臨場感満載と感じます。ピンポイントな場面ですが、ちゃんこ鍋を作るシーンでもサウンドにこだわりがあると思いました。
坂田栄治 あのシーンもそうですね。野菜をザクザク切る音がね?
染谷和孝 あそこは監督のプランがあって、映像がスライドしていくんですけど音は残したいというアイデアがあったんです。
――凄いこだわりですね。
坂田栄治 そういう遊びも映画であると面白いじゃないですか? あれは遊び心もあるんです(笑)。
サウンドデザイナーとは
――サウンドデザイナーのお仕事について、その源流をお聞きします。
染谷和孝 サウンドデザインというのはウォルター・マーチさんという方が初めてこの大切な称号をクレジットされたことから始まります。映画『地獄の黙示録』でフランシス・フォード・コッポラ監督は、映像編集を担当していたウォルターさんに「音も担当してほしい」と依頼します。もちろんコッポラ監督は、友人でもあるウォルターさんの音響に対する才能を高く評価してのリクエストです。内容は「音で空間をデザインしてほしい」ので「サウンドデザイナー」となり、そこから歴史が始まっているんです。
――お仕事の内容は?
染谷和孝 音のプランニング、効果音制作、全体を見たりするような位置付けで始まりました。今は細分化されてきて、例えばゲーム作品におけるサウンドデザイナーと映画におけるそれは少し意味合いが違ったりします。一概にサウンドデザインという言葉は僕が言ったことにあてはまらないところもありますが、おおもとの起源としてはそこからです。
――広義的な捉え方ができるのですね。
染谷和孝 そうです。今の役割としては、内容に合わせた複雑な効果音を創ることがサウンドデザインと言われています。
――「フォーリーサウンド」もその中のひとつ?
染谷和孝 効果音の中の重要な一つの役割がフォーリーです。足音や衣摺れなど、撮影の時は収録できなかったりするものをきちんとあとで創り直してあげるんです。日本で言うと昔は“効果音アフレコ”というんでしょうかね。
――インタビュー形式で監督が力士の方に話を聞くシーンもありますが、感触はいかがでしたか。
坂田栄治 質問するのが難しかったです。どうやって本音を聞き出せばいいのかなと。
――監督が思われる本作の見どころは?
坂田栄治 「映像と音」です。大画面で美しく撮った絵を見て頂いて、大迫力の音をと。BGMも僕は好きなんですよ。そういう音楽、効果音も含めてですね。
――ポップな音楽もありましたが、狙ってそうしたのでしょうか。
染谷和孝 そうですね。監督から指示を頂いて「こういう曲を」と。
――それが合っているのがいいですよね。
坂田栄治 遊びを作らないと飽きちゃうから、土俵作りのシーンは曲に合わせて作りたいなどご相談をして。
――土俵作りのシーンは個人的にお気に入りです。
坂田栄治 僕、一番好きなシーンです!
――すると野菜を切るシーンと土俵作りのシーンは重要?
坂田栄治 そうですね(笑)。
無音も一つの音
――染谷さんが最近の音楽シーンについて思うことは?
染谷和孝 先日エディ・ヴァン・ヘイレンさんが亡くなられたのが凄く悲しいです。あとは、新しい作曲家の方達がいっぱい出てきてほしいなと思います。
――機材面などの発達について、例えばAIがマスタリングなどをする機能があるそうですが、この先どのようにテクノロジーが進化していくと思いますか。
染谷和孝 AIはiZotope(オーディオテクノロジー企業)などが導入して色んなことをされていますよね。今回はiZotope のノイズ除去プラグインの「RX」がなかったらこの映画はできてなかったので。今回「RX8」が出て、僕はそのデモンストレーターをやっています。「RX8」は凄いですよ。AIはどんどん進化していくんじゃないでしょうか。私たちエンジニアリング側の人たちはAIに負けないように頑張るしかないと思います。
――坂田監督がお好きな音楽は?
坂田栄治 こだわりがないというか。でも、「ここにこうしてほしい」というのはあるんです。
染谷和孝 監督な色々経験なされてその中で選択されているので実は明確なんですよ。「こだわりはない」と仰いますけど頭の中に明確なプランがありますよ。だからこそ、今までとても多くのヒット番組を作られています。
坂田栄治 「こういう時はこういう曲がいいな」というのはあるけどマニアではない、というくらいでしょうか。でも、映像には絶対素晴らしい曲と効果音が必要だし、音は映像を引き立てるし、クオリティ的にはそこは欠かせないものです。
――音があってもいいと感じるシーンでBGMが入っていないシーンは、あえてそうされたのでしょうか。
坂田栄治 「曲はどうしようか」など、頭の稽古のシーンから話しましたよね?
染谷和孝 そうですね。ドキュメンタリーって音楽を入れすぎるとつまらなくなっちゃうんですよね。説明しなくて映像や現場の音から拾いだせるものは説明を過度にしない方が観ている人が感動しやすくなる傾向にあるので。
――「音の間」という感じも魅力の一つと感じました。
染谷和孝 無音というのも一つの音なんです。音がないことも一つの音として捉えていくと次の音が活きるというか。
坂田栄治 国技館の「シーン」としているところ好きですよ。あの静かな感じがいいんです。そこからブワッと上がるのがよくて。「シーン」というところにあえてこんなに尺を使うんだと思って。
――音の「間」や「呼吸」とも感じられる部分は大切なのですね。
坂田栄治 どれくらいの間が気持ちいいのかというのは、「これくらいだろうな」というのはありますよね。
――確かにそうですね。染谷さんが新しい音楽家の方々に伝えたいメッセージはありますか。
染谷和孝 僕は大学で非常勤などやらせて頂いているんですけど、そこでいつも教えるのは「音響は学問です」ということ、また「感性と知識」は車の両輪のようなものだということです。感性だけが大きくても、知識だけが大きくても車は真っ直ぐ進めないので、きちんとしたバランス「知識10、感性10」という感じで、そのように両方を学んでくださいとお伝えしています。感性だけでやっていると、どこかで廃れるんですよ。それを助けてくれるのは知識なので。そういったことを若い方々に考えて頂けるとありがたいです。
――監督から本作をご覧になられる方々にメッセージをお願いします。
坂田栄治 日本人として誇らしく思ってほしいなと思います。本作を観て何か前向きになることを感じてもらえたら嬉しいです。
※ドルビーアトモス対応劇場での上映は現在調整中です。
(おわり)