山下久美子が21日、デビュー40周年を記念したアルバム『愛☆溢れて! ~Full Of Lovable People~』をリリースした。今作は新曲「Morning Star」を加えた全15曲のDISC1、2018年に行われた『Love You Live Sweet Rockin' Best of Live 2018』のライブ音源を収録したDISC2、1984年にリリースされた7枚目のアルバム『アニマ・アニムス』の楽曲で構成された53分にも及ぶ全編ストーリー風ビデオクリップ『黄金伝説』を初DVD化したDISC3の3枚組。インタビューでは40年間を振り返りながら、シンガーとしてのターニングポイントや、“総立ちの久美子”のキャッチフレーズもつくほどライブに定評のある山下のライブの思い出、『アニマ・アニムス』と『黄金伝説』が生まれたエピソードなど、多岐にわたり話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】
一皮むけたのは今かもしれない
――40年の活動でターニングポイントとなったこと、シンガーとして一皮むけたと感じた瞬間はありましたか。
一皮むけたのは40周年を迎えた今かもしれない。それは周りの判断に委ねるものなのかもしれないけど、自分自身が歌っている時の感覚、体感がまさに今かなって。10、20周年くらいまでは特に何も考えずに歌っていたようなところがあって。でも30周年を超えてくると「歌えるかな? 私、明日声出るかな?」とか、歳を重ねていくことで不安や自分自身の変化を考えるようになってきて。だんだん歌に対する気持ちが真摯になってきました。
――そうだったんですね。デビュー曲「バスルームから愛をこめて」を改めて聴かせていただいたんですけど、すごく大人びた歌だなと感じました。
私自身もそうでした。当時は大人の世界観も全くわからないし…今ようやく掴めるような感じですけどね。
――もしかしたら20、30年先を見越して作られた曲なのかなとも思いまして。キャリアを重ねてもデビュー曲が歌いづらくならないように、という想いもあったのかなと。
普遍的にどんな時代でもちゃんと存在しているものを目指したんじゃないでしょうかね? 仰って頂いた「長く歌っていけるいいデビュー曲」ということは、いつの時代でも変わらない想いがそこにあるんじゃないかと思って。20、30、40、50代、それぞれの時代で気持ちが違ってくるので、その時代にフィットするようになって、だからずっと歌ってこれた感じもあると思います。
――その「バスルームから愛をこめて」を作曲された亀井登志夫さんが、今作に収録されている「Morning Star」を作られています。
「Morning Star」は私の還暦の誕生日のプレゼントだったんですけど、一昨年の大晦日の夜にいただいたんです。「いつか形にしよう」と言っていたのが今回形に出来たので、私と亀井さんも「本当に嬉しいね」と話していて。亀井さんにはこれまでも曲はたくさん書いて頂いているんですけど、レコーディングでプロデュースをしてもらうのは初めてで、次のステージに行くという楽曲になったんじゃないかなと私も亀井さんも思っています。「未来が見えたね」と“未来へのラブコール”みたいな感じなんです。
――楽曲のプレゼントはサプライズだったんですね。
「Morning Star」はもともとあった曲なんですけど、色々作っている作品の中の一つで凄く贈りたい曲があるということで亀井さんがプレゼントしてくれたんです。詞は亡くなられた亀井さんの奥さんの知永子さんなんです。そのお二人の作品だからより一層深く私の胸に届いて受け止められたと思っています。これからも歌い続けていきたい曲ですね。
一番忘れられないライブとは
――配信ライブをやられて生ライブとの違いをどう感じましたか。
3回ほどやらせていただいて、1回目は初めてのことだったので楽しかったんです。「面白いかもしれない!」って思いながらやっていました。配信ライブでもチャットでみんなのメッセージが入ってきたりするので、そこで繋がっているのを感じて、想いを飛ばす気持ちでやっていました。なにしろそれまで歌えない時間が長かったから、歌える場所があるだけで凄く幸せでした。これが新たなあり方なんだなと感じながら楽しくやれました。
2回目はもっと凄く近く、本当にいるというような感じでグッとくる気持ちで、みんなが笑顔になっていることを感じることができました。だから「これはこれでありだ」と思っていたんですけど、3回目になるとだんだん物足りなさを感じまして(笑)。やっぱりお客さんがそこにいてほしいと思ってしまって。でも、みんながそれぞれの場所と時間で楽しんでくれているんだと、ちゃんと認識した上でやると配信ライブは面白いと思います。それこそ世界中で繋がれるので凄いなと思います。
――40年間で沢山のライブをやられていますが、一番忘れられないライブは?
“総立ちの久美子”が生まれた瞬間です。ずっとライブハウスをまわっていたんですけど、初めてのホールということで日本青年館で開催したコンサートでした。そこから本当に私の歌う人生が改めてスタートした気がしているので、忘れられないライブになりました。
――“総立ちの久美子”ですが、このフレーズがついた時はどう思いましたか。
当時はみなさん必ずキャッチコピーみたいなものがあったんですよ。私もいくつかあって“学園祭の女王”や“元祖学園祭の女王”、デビューする時に「胸のここんとこがキュウンとなるような歌を唄いたいのよね…」と盤の帯に書いて“胸キュン娘”など。なのでキャッチコピーに関しては普通に受け止めていました。
――フレーズ自体には驚きはなかったんですね。ハプニングと言いますか、野外で雨が降ってきた場合はいかがですか。
逆に燃えちゃうみたいなタイプ! ミュージシャンは楽器を持ってるから大変ですけど、私は雨が降っている中でびしょびしょになりながらすっぴんになって、というのも何度もありました。そういうのは全然嫌じゃないです。
――ライブでびっくりしたことはありますか。
80年代にツアーで年間100本ライブをやっていたことがあって、ステージ上のハプニングも全てがライブで、私は何があっても全然大丈夫だと思えちゃうんです。例えば客席から誰かがステージに登ってきたりしても別に私は平気で(笑)。そのなかで、沖縄に初めて行った時、ライブがすごい盛り上がって、軍人さんがステージ前まで来てオレンジジュースを私に差し出してきてくれたことがあって、それを私は勢いで飲んじゃったんですけど、あとでマネージャーからすごく怒られたのをいま思い出しました…。
――それは怒られると思います(笑)。それにしても年間100本は大変そうですね。
思い返すと100本ライブは面白かったなって思います。私の場合、忙しければ忙しいほど遊びたくなるといいますか、寝る時間を削っていっぱい遊んでました。アフターステージというか、ステージが終わってからが元気みたいな感じでしたから(笑)。
『黄金伝説』のみどころ
――アルバム『アニマ・アニムス』をPV化された『黄金伝説』が初めてDVD化されましたが、着想はどこから?
『アニマ・アニムス』が、あまりにもわかりにくい作品になってしまった、ということからでした。今までのポップスというわかりやすさが全くないアルバムを作ってしまったから、そこでなんとかしなきゃということになって映像を作ろうとなって(笑)。その時のプロデューサーがそういうのが好きな人で、ポンペイ島(当時はポナペ島と表記)に行こうとなりました。ストーリーは景山民夫さんが考えてくれたんです。亡くなられてしまいましたが、「こんな不条理な話みたことない」と、当時言ってました。自分で作っておいて(笑)。そういう素晴らしい人の手で生まれた作品なんです。
――そもそもそういったアルバムが出来てしまったというのは何があったのでしょうか。
それは「赤道小町ドキッ」が出来て、『Sophia』というアルバムを作っていて、私が「『赤道小町ドキッ』路線でずっといくのは難しい」って。
――そうなんですか?
その路線を維持していくには、ずっと細野晴臣さんにお願いしないと難しいなと。なかなか「赤道小町ドキッ」は超えられないんですよ。それでちょっと反骨精神がでちゃって。当時一緒にやっていたディレクターがそういうのが大好きで、後藤次利さんと一緒にアルバムを1枚作ろうということになって『アニマ・アニムス』が出来たんです。でもちょっと乗りにくいアルバムになっちゃって、ライブでやるとみんなどうやって乗ればいいのかわからない感じになって(笑)。申し訳ないなと思いながら、やってましたけどね。
――でも、完成度は高くて評価されるアルバムですよね。
今聴くといいんです! だから20年くらい早かったアルバム(笑)。このアルバムは賛否両論あって、それまで振り向かなかった人が振り向くとかね。逆にそれまでずっと見てくれていた人が離れるとか。そういう色んな面白い現象が『アニマ・アニムス』の時にありました。
――それにしてもPVが53分もあるというのは珍しいですよね。ところで、なぜ『黄金伝説』というタイトルなのですか。
それがなんでかわからない(笑)。景山さんやプロデューサーが『黄金伝説』というストーリーを作って、島に私が流れ着くみたいなところから始まるわけです。きっと『アニマ・アニムス』はそういうことを思い描いてしまうアルバムなんですよね。アルバムからインスパイアされたものが『黄金伝説』という感じで。
――DVDのみどころは?
やっぱり、植木等さんとの共演でしょう! そこはぜひ観てほしいです。映像のけっこう後半なんですけど「なんでここに植木さん?」という感じで登場します(笑)。しかも植木さんは「私はね、若い人の頼みごとは断らないんですよ」と破格のギャラで出演していただいたみたいなんです。凄い時代だったなと思います。今そんなことはたぶんありえない話で。
――すごいお話です(笑)。ちなみに撮影は何日くらいだったのでしょうか。
二週間くらいかな…もう私は現地の人かなというくらい肌が焼けてましたけど(笑)。スタッフの方なんて日焼けが酷くて一晩中唸っていたというくらい。私はああいう所に行くと、楽しくなってしまって水を得た魚のようになります(笑)。島の人達はすごく可愛いし優しいし本当に素敵で、島の女の子や男の子もお父さんお母さんを呼んで二週間、家族みたいにずっと一緒にいましたから。
――また、ポンペイ島に行きたいと思いますか。
凄い行きたいですね! そんな遠くないのになと思って。
――無理と言われるかもしれないのですが、是非『黄金伝説2』を…。
無理でしょ(笑)。じゃあ、今回DVD化されて蘇った『黄金伝説』が大好評で、ものすごい売れたらやります(笑)。
――次作を見たい方は今作を買っていただいて(笑)。さて、40年という節目を迎えて、どのようなシンガーを目指したいという展望はありますか。
どういうシンガーを目指したいみたいなものは、はっきり言ってもうないんです。ただ、自分が本当に自分の中で歌に対する気持ちをちゃんと届けられる人でいたいと思っています。
――そう思われたタイミングは?
それはデビュー当時からずっとそうです。歌に対する想いというのはずっと変わってないなって自分の中で思います。やっぱりちゃんと言葉を届けられるシンガーでいたいと思っていますし、詞が聴き取れないというのは嫌なんです。いいメロディを届けるというのと同時に詞をちゃんと伝えることができるシンガーでありたい、自分らしくいつもいられたらいいなと思っています。その私を好きになってもらえたら嬉しいなと。
――その中でチャレンジしたいことはありますか。
ここまで色んなことをやらせてもらってきて、ドラマは2回ほど出演させていただいたんですけど、舞台ってまだやったことないんですよね。この間、たまたま夜遅くにTVをつけた時に、女性が延々と一人芝居をしていました。それが半端ではないくらい長いんです。もう凄すぎちゃって絶対無理だなって思いました(笑)。
――舞台をやってみたいという思いも?
そういう世界観が描けるというのは素晴らしいなと思いますし、何か表現者として可能性があったらそれはトライをしてみたいと思っています。でも、今はもっと歌うことに集中したい、新たに歌う姿勢をもっと見つめていきたいですね。
(おわり)
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