板橋駿谷「今まで歩いたことがない道を歩いている」あまりの忙しさに難聴も
INTERVIEW

板橋駿谷「今まで歩いたことがない道を歩いている」あまりの忙しさに難聴も


記者:木村武雄

撮影:

掲載:19年11月20日

読了時間:約11分

過去の経験を役作りに活かした

――さて、本作ですが、板橋さんが演じたのは新人理学療法士・宮下遥(宇野愛海)の先輩、田口勝という役です。彼はどういう人物でしょうか。

 明るさは持っているけど厳しさもある役というか。日野課長(山中聡)を上司に持つ、新人を育てる中間的な立場。遥を明るくサポートしたいけど、新人はまだ経験が浅くて周りが見えていない部分もあるから出来ないこともやりたいと言う、そういうことをきっちり抑える役目もあります。それに加え、患者さんに安心感を与えられるようなどっしり構えた存在でいる、というところはかなり意識しました。

――役作りはいかがでしたか?

 俺自身が膝をけがして手術を受けたことがあって。そのリハビリのために、理学療法士の方にお世話になった過去がありました。「どうやったら安心感をもってもらえるのか」ということに対しては、なんとなく肌で感じていたので、それをしっかりと出せるようにしました。「患者さんに寄り添う、でも寄り添いすぎない」。「リハビリしている時にきっちりと声をかけていく」。実際そうなんですよね。現場でも割と大声でハキハキと話されて。それが嫌にならない大声と言いますか、患者さんそれぞれに合わせた感じで声をかけられる。その温度感をすごく大事にしました。

――板橋さんの声はもともと柔らかい感じがします。

 どうなんでしょうね、自分ではあまり分からないです(笑)。その柔らかさも、声のちょっとした変化ですごくきつく出てしまう。オラオラ感が出てしまうのでそうならないように丸みのあるような声を意識しました。

――役の気持ちとしてはいかがでしたか? 患者をサポートするなかで焦りを感じるところもありそうですが。

 サポートする側が一番焦らないようにするというのは大事なところです。監修の療法士さんに大事なポイントを3つくらい教えてもらって、そのポイントだけはやれるようにしました。例えば、サポートするときに身体がずれて転倒しそうになることもあるので、骨盤をしっかり抑えながら倒れないように支えてあげるとか。それは自分もやりながら不安でした。やりすぎてしまうとその人のためにならないから、支えるギリギリのラインで力をかけることは意識しました。

――ところで膝をケガされたのはいつ頃ですか?

 両方ケガしているんですが、左足は3年前の舞台でした。ステージからジャンプして降りたら、切っちゃって、前十字後十字をやってしまって。右足は酔っぱらった先輩と後輩が飛び乗ってきて、それも前十字後十字をいってしまって(笑)。でも生まれつき膝は弱くて。ラグビーだけでなく、空手も柔道もやっていましたが、膝が弱いからあまり筋トレが出来てなくて…。他の筋力が上がっていくのに膝まわりの筋肉が足らないから。もともと弱いのに動けるから動いちゃって。気持ちが焦って。

――現役を辞めた人が当時の勢いでやるとそうなってしまうのはよくある話ですね。

 大学を卒業して舞台で色々ずっとやっていますけど、体がきくから動かしたらずっと足に負担がかかっていて。ずっと足が痛いなというのはあったんですよね。すぐだるくなったり。それって足の筋力がないから、だるくなっていたということを、膝が悪いからということのせいにして。そのせいでどんどん悪くなっていって。一気にいっちゃった(笑)。

――全治どれくらいでしたか?

 完治するのに1年。その1年で、やっとある程度普通の生活を出来るようにした状態。運動ができるようになるのは更にその1年後でした。

――共演者とのコミュニケーションは?

 山中さんとかもすごく優しくておおらかな方。お喋りしやすくて色んな事を聞けたし、僕の撮影日数は2日くらいだったんですが、その中でも山中さんは先輩みたいな感じで、役者の先輩というのと、理学療法士の先輩というのが重なって、器が大きい人っているんだなって(笑)。

――板橋さんの演じ具合も器の大きさを感じました。

 自分がリハビリを受けたときに、新人と先輩の立ち方みたいなのは空気感で分ったんですよ、それを思い出したり、見たりして勉強しました。実際、大きく見せないと患者さんに不安を与えてしまいますし、不安を与えるのは一番ダメですからね、それは演じる上でも気を付けました。それと上司として山中さんがいたので安心して芝居ができて。人が重ねた人生の年輪でしか出せない器もあるから勉強になりました。

――この作品でも、脳卒中で左半身不随になった柘植(落合モトキ)を通して「気持ちの持ち方が大事」と伝えています。

 そうです。柘植自身の心の持ちようもそうですし、彼をどうサポートしていくのか、というのが大事。その柘植が新米の宮下遥(宇野愛海)に「僕治りますかね?」と聞くんですけど、答えられないのも正解だと思う。遥は後に「歩いて何をしたいのかが大事」と返しますが、治らなくてもその先には人生があって、このリハビリがその人の目標に沿っているのかということも、近い距離になりすぎないでちゃんとやれるのがプロなんだということを改めて感じました。

――何かを失って初めて気づくこともあります。

 もし柘植みたいに左半身不随なったら生活も含めてすごく大変。でもなってしまったし、そればかりを考えて立ち止まっていたら前に進めない。ケガや病気は自分自身を見直す良いきっかけになるんです。出来る事、出来ない事が明確になっていくなかで、そうなる前のことを考えて「なんであれをやってこなかったんだ」と後悔ができて自分の人生を見直せる。それで「ならこれからはやっていこう」という気持ちが出てきて前に進める。結局当たり前が当たり前ではないことを忘れてしまっていてどんどん雑になっていると思うんです。

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