福島離れたら音楽はできないと思う、山猿 ベスト盤に込めた想い
INTERVIEW

福島離れたら音楽はできないと思う、山猿 ベスト盤に込めた想い


記者:小池直也

撮影:

掲載:16年10月29日

読了時間:約14分

福島で音楽を続ける理由は「僕は福島から離れたら音楽ができないと思う」と語った山猿

福島で音楽を続ける理由は「僕は福島から離れたら音楽ができないと思う」と語った山猿

 福島県在住の歌手・山猿が10月26日に、ベストアルバム『超あいことば‐THE BEST‐』をリリースした。同アルバムは、デビュー5年を迎えた、彼のこれまでの活動を集約した作品。「喜怒哀楽、春夏秋冬で飽きないアルバムにしたかった」と想いを寄せるように「山猿」へ改名する前の「LGMonkees」(エルジーモンキース)時代の曲から新曲までを収録したバラエティ豊かなものになった。5年という節目を迎えた彼の人物像や音楽ルーツに迫るため、今回のインタビューでは同作品にとどまらず、地元福島や震災の記憶などについて幅広く話を聞いた。

アルバムをめくるような作品になった

「超あいことば‐THE BEST‐」への想いを語る山猿

「超あいことば‐THE BEST‐」への想いを語る山猿

――ベストアルバム『超あいことば‐THE BEST‐』がリリースされました。率直に、手応えはいかがですか。

 自分自身、本当に色んなところで聴くんですけど、1曲1曲を自分で選曲して今回は収録させてもらいました。デビューの時に作った1曲目から、LGMonkees時代の楽曲も。昔の写真のアルパムを見ている様な幸せな気持ちになりました。車とかで最後まで聴いてみて、初めましての人が「山猿ってこういうアーティストなんだな」とわかる、自分の履歴書みたいなベストアルバムだと思います。

――曲順もご自身で決められたんですか?

 そうですね。何か新しいスパイスを入れたいなと思って、今回は新曲2曲を入れさせてもらったんです。あとは、春夏秋冬飽きずに聴けるアルバムにしたいなと。ベストアルバムだから、冬に書いた曲もあるし、夏に書いた曲もある。秋にしゅんとして人肌恋しくなって書いた曲もあります。だから季節は関係無しに聴いてほしいなと思って。並べ方も「この曲を聴いて、次はこれを聴いて」みたいな感じになっています。悲しい事とか泣いちゃう時や、友達といてハッピーな時も色々あるじゃないですか。そういう感じで喜怒哀楽、春夏秋冬で飽きないアルバムにしたかったんです。

――写真のアルバムをめくるように聴いてみて、改めて感じる事はありますか。

 これまではDJと一緒にやるスタイルでやってきたんですけど、今は本当に音楽で色々な事をやっているんです。だから音楽をしてきた5年間だったなと。大好きな事をして、やりたい事をやって。全国ツアーもバンドセットでやったりとか、挑戦してきた5年間だから、それが音に出ているなと感じました。以前は打ち込みの曲が結構多かったですけどね。自分自身も成長してきた5年間だったなと思っています。

――収録曲を眺めると、唯一の客演を招いた楽曲「Happy Days feat.華原朋美」が目を引きますね。

 あの曲は「Happy Days」というタイトルの通り、聴いてくれた人がクシャっと笑顔になるような曲を作りたくて。この曲は女性シンガーとやりたかったんですよ。それで東京から新幹線で福島に帰る時に、目を瞑って「誰とやりたいかな」と思った時に華原さんが浮かんだんです。

 小中学校の時に聴いていた神的存在の人ですからね(笑)。何回かライブでお会いしたことはあったんですけど、まあ挨拶程度で。まさかできるとは思っていなかった。でも本当に「やりたい」と思った事を今までやってきたし、「人に気持ちを伝える」というのを大切に音楽活動しているので、新幹線を降りた瞬間に「華原さんとやりたいです」とスタッフにお願いしたんです。そうしたら「おい、まじか。朋ちゃんか」と。そこから想いが通じて実現した客演だったんです。

――コラボしてからは、華原さんとプライベートでもお付き合いがあるとか。

 今では勝手に「お姉ちゃん」と言っているくらいですから。1週間に1回は電話来ますよ、夜中に。凄い緊張するので迷惑です(笑)。本人にも言っているんですけどね。だってあの華原朋美から夜に電話が来るですもん。着信が来ると、画面を3回見て「出るのどうしようかな」と思います(笑)。

ルーツは演歌、魂はAIR JAMから学んだ

「ルーツは演歌」とも

「ルーツは演歌」とも

――ところで、山猿さんの音楽的なルーツはどういったところなんでしょうか。

 自分では演歌だと思っています。美空ひばりさんとか。ばあちゃん家が「ルビー」というスナックだったんです。そこにカラオケがあって色んな楽曲を聴いていたんです。英語も全然わからないのにカーペンターズとか長渕剛さんとかをばあちゃんと歌ったり、聴いたりしていました。だからオールジャンルで音楽に触れていました。

 あとはミクスチャーバンドですね。僕はAIR JAM(編注=1997年から続く、パンクロックの代表的なフェス)世代なんですよ。中学校時代はそれで人生が変わったくらい。なんか楽器と歌がリンクしてラップも有りだし、演歌を歌っちゃってもいいし、ソウルを学んだなと。だから今はラップもするし、歌も歌うし、ダンスもしちゃうし。自分で言うのもあれですけど、カメレオンみたいな奴ですよ。一番影響受けたのはDragon Ashさんじゃないですかね。その前だとSCAFULL KINGやBACK DROP BOMBとか。

 2000年くらいの時、僕らもむしゃくしゃしていて、何か常に「世の中大丈夫かい!」と思っていた。その時に音楽のパワフルな文化が広がった気がするんですよ。当時は中学校1年生で携帯もパソコンも無い、ポケベルも流行る前。僕はスケボーをやっていたので、ずっと夕方から夜までずっとスケボーやっていたんですよ。それである日、先輩に「俺の家に来いよ、格好良いのがあるから」と見せられたのが『AIR JAM』の映像だった。98年頃かな? もうボロボロの擦り切れたビデオで。それを見たのが衝撃で。今まではスケボーしかやってなかったんですけど、その次の日からはいつも大きいラジカセを持ち歩いていました(笑)。多分音楽とリンクしたのがその時だったんですよ。

 中学校、高校の時は「俺はこのジャンルしか聴かねえ」みたいの強いじゃないですか。僕はスケボーやりながら、あみんの「待つわ」とか長渕剛とか掛けていました。だから不思議な奴でしたね、多分。スケボーチームとかも疑問に思っていたと思います。リズムに乗るというよりはただ流しているという。色んな曲を給食の時に放送したりもしていました。

――今のようにシンガーになろうと思ったのはいつ頃だったんですか。

 全く思っていなかったんですよ。今は運命だと思って音楽活動していますけど。僕はデビューしたのが遅くて、音楽を始めたのも22、23歳の時。それまで東京でサラリーマンをやっていましたし。東京に出てきて1、2年くらいで地元・福島に帰ったんです。その時、福島のライブハウスに友達のライブに誘われて、観に行ったんです。そうしたら友達が格好良くみえたというか、一生懸命に自分の想いを伝えようとしているのに感動して。東京に出てきてから人間関係だったりで、昔見ていなかった夜空を見るような毎日を過ごしていましたから。

 ずっとため息ばっかりついていたから、自分の言葉を歌に乗せれば、ため息と同じように空に消えていくんじゃないかなと。それから1週間で歌詞を書いたんです。メロディも付けて。それで、クラブのオーナーに「出させてくれ」と直談判しました。「じゃあ、やってみなよ」みたいな感じで、16小節のサビも無い曲を歌ったんです。テーマは「俺」。曲名も何も決まって無くて、レコードのカラオケトラックをDJさんにかけてもらいました。

 そこに今のレコード会社のスタッフさんもいて、そのとき「なんだおまえは?」という感じだったみたいです。俺は当時のことをあまり覚えてないんですけど「俺はこういう生き方でこういう事を思っている」という感じの歌で。日記じゃないですけど、その時に思っている事をマイクにぶつけた感じですね。緊張しましたけど、凄くすっきりして。人前で歌うなんて初めてだったけど、自分の中で何かがはじけた。悩みは人に話すと楽になるなと思ったというか。だから、自分を変えるために音楽を始めたっていう感じです。

 そんな殻に閉じこもっていた自分がいて、社会に溶け込めない。それから歌うようになって、それを変えるために何年もライブして、制作して、デビューしたんです。でも今は自分を変えるために音楽をやっているわけじゃなくて、同じ人にその気持ちを伝えようと思っています。今、悩みや痛みを持っている人に「大丈夫だよ」と。もしそれが若い人だったら「俺も君と同じくらいの年の時に同じ悩みを持ってたよ」とか「人はひとりじゃないよ」という事を伝えたくて音楽活動をしているんです。

――音楽活動はずっと福島でされているんですか?

 東京で会社を辞めてからずっと福島ですね。帰ってからはCOOPでずっと働いていました。福島で土日休めるところが工場かCOOPしか無かったんですよ。面接の時も「俺は福島で音楽やりますんで」と言ったら「音楽は普通、東京に出てやるものじゃないの?」と返されたんですけど「いや、福島じゃなきゃ駄目なんだ」と。そうしたらCOOPの偉い人が「わかった。君がデビューするかどうかわからないけど、応援するよ」と言ってくれて。土日じゃなくてもライブが入ったら休んでいい、ということになったんです。

 僕は「4号車のりゅうじ(本名)」と呼ばれていたんですけど、配送をしていました。配達先のおばちゃんとかも僕が音楽をやっているのを知っていて、「頑張れ」みたいな感じ。逆に仕事に行っているのに「おまえ、ライブは?」と言われたりとか(笑)。だから夢を追っていって、近所の人や商店街の人など、沢山の人が応援してくれました。今もCOOPの3号車の青山さんとか、沢山の人がライブに来てくれます。東京じゃなくて福島でデビューできて良かったし、この街に残って良かったなと思います。

――なぜ残ろうと思ったんですか。

 その時に思っていたのは、地元が好きだから。「福島の温かさを日本全国に伝えたい」と最初は尖ったところがあったんですけど。今は友達作りだと思ってやっています。事務所に来るまで、家から5時間半くらいかかるんですよ。5年前からもう交通費が大変で、スタッフさんが「早く東京に引っ越してこい」と言うんですけど「嫌だ」と言っています(笑)。多分、僕は福島から離れたら音楽ができないと思う。お洒落に作る音楽よりも、心から出てきた言葉とかメロディとか、フィルタをかけない直球なものが自分らしい音楽だと思うので。だから福島が一番良いですね。福島というか、地元かな。

震災で変わったコミュニケーション

震災がきっかけで「愛を伝えたい」と思うようになったという

震災がきっかけで「愛を伝えたい」と思うようになったという

――東日本大震災が自身の音楽に影響した側面はありますか。

 あの震災から「愛」を伝えたいなと思いましたね。もちろん歌詞もそうだし、制作の仕方も凄く変わりました。あとは、人の目を見る様になりましたね。今まで人に溶け込めない少年時代を送ってきたので。でも震災以降、避難している小学校の隣に寝ていたおじいちゃんやおばあちゃんとか、色々な人から愛を貰ったから。今回のアルバムも「愛」の言葉が沢山詰まったアルバムだから「あいことば」と言うんです。

 「愛」は壮大で、考え出すと頭を抱えてしまうと思うんですけど。難しく考えなくても友情愛とか恋愛とか家族愛とか地元愛とか、色々な愛が隣にあるというのを知ってほしいなと。自分で言うのも恥ずかしいですけど「愛」を伝えるアーティストになりたいと思いますね。

――福島の現状はどうですか。

 震災が起きてから時間が経って、まだまだ色々な問題がありますけど。地元の人たちは上を向いて、前向きに頑張っていますね。やっぱり笑顔が増えた。僕自身が人と話す様になったように、皆も当たり前の事を当たり前の様にやるというか。年配の方に話しかけるのは恥ずかしいじゃないですか。例えば、朝すれ違って「おはよう」って。当たり前の事なんだけど、当たり前の事が今まで出来てなかった気がします、近所の人なのに。でも今はちゃんと挨拶ができる。

 僕は髭も生えているし、背も高いのでおじいちゃんやおばあちゃんは多分怖いのかなって思うけど(笑)。こちらからも話しかけるし、震災以降コミュニケーションがお互いに広がったなと思いますね、東北は。自分のおばあちゃんから聞いたんですけど「戦後は人と人とが助け合って、隣に赤ちゃんが生まれたら自分の子どもの様に面倒を見て、お風呂も入れて、時には叱ったりもしてたんだよ」と。今、東北は本当にそうだと思います。

――その感覚で今、東京を見てどう思いますか。

 東京!?…知らねえ(笑)。でも、それこそ昨日、千代田線の満員電車に乗っていたんですよ。そうしたら、高校生くらいのちょっとお洒落なやんちゃ坊主が座っていて。不良とまでいかないんですけど。そこにマタニティカードを付けた妊婦さんが来たんです。その時にその男の子が、恥ずかしそうに妊婦のお母さんに「どうぞ」って席を譲ったところを見て「あ、何か東京も福島もそんなに変わらないのかな」とは思いました。

 やっぱり人が多すぎるから、そういう1つの幸せっていうか奇跡に出会えた事で僕自身笑顔になって。人って優しいんだなと。今暗いニュースが沢山ありますけど、そういう幸せもあるんだなと思いましたね。そのやんちゃ坊主は、その後、恥ずかしそうに違う列の方に歩いて行きましたけど。小さな幸せに1日1回出会えたらいいなと思っているので、東京も捨てたもんじゃないなって思いました。

――色々お話を伺ううちに、山猿さんのイメージが変わりました。

 僕、良い奴ですよ(笑)。さっき「東京知らねえ」と言ったのも、東北は山がいっぱいあるけど、東京はビルが競い合っているみたいにでかいじゃないですか。だから、東京に地方から夢を持って出てくる人も多いけど、本当に上ばかり見てプレッシャーに押しつぶされそうになっている人が多いなと。だからもっと下というか、小さな幸せを見つけて欲しいなと思いますね。皆が“せかせか”していて、もっとゆっくり歩いたらいいんじゃないかなと東京に来るたびに思います。

山の猿の様に自由に

「山猿」への改名理由は「素のままの山猿というアーティストに戻りたいな」

「山猿」への改名理由は「素のままの山猿というアーティストに戻りたいな」

――ところで山猿に改名した理由は。

 戻ったという感じですね。元々福島に帰って、山猿という名前で音楽活動をしていて。良く話すんですけど、デビューする時はいきなり「君はLGMonkeesだよ」と名前を変えられちゃった。そこから「あれ、俺って誰なのかな?」というのが1、2年くらい続いていたんですよ。それで、そうこうしているうちに10年目を迎えて「素のままの山猿というアーティストに戻りたいな」と名前を戻したんです。

 山の猿は自由に生きているじゃないですか。でも家族を大事にするんですよ。自由にキャッキャ笑っているのに、群れを大事にする。僕の地元にも猿がよく出るので「もし音楽を始めるなら、何にも捕われずに音楽活動したいな」と思って付けたんですよね。結局すぐしがらみに捕われて、改名しちゃうんですけど(笑)。

 でも改名してからも、ファンの100人中100人が僕の事を「LGMonkees」と呼んでくれなかったんです。皆「山猿」。なぜかというと、山猿でデビューしているから。山猿って呼びやすいし。あと本名の「りゅうじ」とも呼ぶ人も多い。そして、ふと「俺は誰なの?」とライブで言ったことがあった。そうしたら「山猿だよ」と誰かが言ったんですよね。その時に「初心に戻ろうかな」と思った。

――新譜のアーティスト写真では金色に塗られた山猿さんが印象的です。

 これは僕がやりたいと言ったんですよ。オリンピックもあったし、2020年は日本で開催されるから。曲もそうですけど、ジャケットからこだわりたくて。金は見た瞬間に幸せになるじゃないですか。金色見て嫌な顔する人はいないから、ジャケットから幸せになってほしいなと。

 誰だかわからなくてもいいですね。金のお兄ちゃんって。このメイクは、この状態では2時間半しか耐えられないですよ。皮膚呼吸できないし、体内の熱や汗を出せないから。だから2時間くらいで終わったんですけど、次の日見事に高熱出しちゃって。危ないですね、これは(笑)。死ぬかもしれないことをやったわけですけど、死ななくて良かったです。

――今回のアルバムで1番想い入れのある曲はどれでしょうか。

 やっぱり「DREAMER」ですね。杉村太蔵さんにミュージックビデオ(MV)に出てもらいました。今夢に向かって頑張っている人の背中を押したいな、と思って作った曲で。曲名が決まる前からライブで歌っているんですけど、どこの会場でもこの曲で皆が盛り上がってくれました。だからこの曲は魔法みたいなものなんじゃないかなと。どうせMVを作るなら、想いを伝えてくれる人がいいなと目を瞑って考えたら「太蔵さんしかいない」と。一休さんみたいですけど(笑)。

 太蔵さんには今回、先生役をお願いしたんですけど内容については2人で話し合いました。生徒に自分の想いが伝わらなくて、太蔵さんが悩むシーンがあるんですけど、そこで僕が登場して「先生が夢を諦めちゃだめですよ」と言うんです。そこで段々と2人が熱くなってしまって「このままキスするんじゃないか?」という事もありました(笑)。太蔵さんは大好きですけど、それは違うので。でも、本当に現場は楽しかったです。日本中を元気にしたいという気持ちを込めた曲になりました。

――最後に、次の5年の目標をお聞きしたいです。

 やりたいことがまだまだいっぱいあります。1個1個を実現していきたいですね。例えば、今ここで言ったら皆笑うと思うんですけど、いつか絶対に武道館でやりたいなと思っています。これは何年かかってでも、実現したいなと思っていますね。

(取材・小池直也/撮影・村上順一)

作品情報

山猿「超あいことば‐THE BEST‐」

山猿「超あいことば‐THE BEST‐」

「超あいことば –THE BEST-」10月26日リリース
▽初回生産限定盤(CD+DVD)/3900円(税込)
ジャケット絵柄違い三方背GOLDEN BOX仕様
Music video収録DVD
豪華16種GOLDENロゴステッカー封入
購入者スペシャルプレゼント応募券付きチラシ封入

▽通常盤 (CD)/3000円(税込)
収録楽曲
01.DREAMER
02.Happy Days feat. 華原朋美
03.イマアイ
04.3090〜愛のうた〜
05.朝7:30ちょうどにすれ違ったマドンナに恋をした
06.風
07.カジカ
08.赤い実ハジケタ恋空の下
09.宝島
10.Happy Birthday
11.180°
12.未来列車
13.NAGISA
14.きき手
15.赤い実ハジケタ恋空の下..part2
16.無口な明日を嫌わないで

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