映画監督の原桂之介氏が脚本・監督を手がけた映画『私の人生なのに』が7月14日に全国で公開される。本作は、東きゆう著、清智英原案の人気小説が原作。新体操の選手として将来を期待された一人のヒロインが、脊髄梗塞という突然の病で選手生命を絶たれながら、幼馴染みとの音楽での交流を通し、生きる意味を取り戻していく姿を描く。主人公・金城瑞穂役を女優・歌手の知英、瑞穂の前に再び現れ、音楽を勧める幼馴染み・柏原淳之介役を、俳優の稲葉友が演じる。

 原監督は、2014年に映画『小川町セレナーデ』で監督デビュー、第19回新藤兼人賞の銀賞受賞を果たす。また2016年に手がけたオムニバス・ムービー『全員、片思い』の一遍『片思いスパイラル』では知英が主演として出演しており、今回再びのタッグとなる。

 一人の女性に起きた大きなハプニング、その事故によって抱く主人公の様々な身上を、日常の他愛もない風景を中心としてナチュラルに、そして繊細に描いたこの作品。音楽を通して自身の人生を見つめなおすテーマにも、大きなポイントが置かれており、劇中では稲葉や知英がアコースティックギターでの弾き語りも披露、その曲の詞を原監督自身が作詞するなどの、興味深い点が様々に見られる。今回は原監督に、本作制作の経緯やストーリーに込めた思い、また知英という役者に対しての印象などを語ってもらった。【取材・撮影=桂 伸也】

好みの集大成みたいなところは、あると思います

――本作の個人的な印象ですが、近年の映画やドラマでは、セリフで、ある程度ストーリーのバックグラウンドや経過の説明を補完してしまうケースが多い傾向に感じます。それに対し、この『私の人生なのに』では、画だけである程度の説得をおこなおうとしている傾向が見えて、とても面白いと思いました。そんな面で、映画を作られる上で普段何か考えられていることなどは、あるのでしょうか?

 ありがとうございます。そう言っていただけると、正直嬉しいです。ただ例えばテレビは、家事をしながらでも分かるように考えられてセリフが作られていたりしますし、映画は映画館でお金を頂戴して2時間お時間を頂いてからご覧いただくものという風に、違う部分があると思うんです。

 今の時代は、携帯で撮影しても映画館で上映出来る画質になる。だからちょっと言い方は悪いけど、せっかく2時間ほど暗くて無音の映画館に閉じ込めて映画をご覧頂くわけですから(笑)、画で分かることは敢えてセリフにしなくてもいいんじゃないか? みたいなことは思っています。

(C)2018『私の人生なのに』フィルムパートナーズ

(C)2018『私の人生なのに』フィルムパートナーズ

――ご自身のセンス的な部分で、“こういう見せ方のほうが良いんじゃないの?”という思いに従っているだけ、と…。

 センスというとすごくカッコいい言葉過ぎてちょっと照れちゃうんですけど(笑)。“画で分かるだろ?”と思って台本を書くと、実は伝わらなくてよく怒られることもあるんですよ、「これは何ですか?」って(笑)。最近よく思うのは、演出は好みということ。正解は無いですし。

 自分が好きなものの傾向として、画で分かることはセリフで語らない作品が好きというのはあります。スタッフとして映画の仕事をしていると“画で分かるだろ?”という場面に直面することが、結構多いんですよね。なので、多分好みの集大成みたいなところは、あると思います。

 一方でセリフで説明することの面白みもあると思う。撮影現場で“こっちのほうがいいんじゃないかな?”みたいなことを、スタッフは多分、みんなそれぞれ抱いていると思います。決して否定するということではなく。逆にそういう気持ちがないとどんなスタッフもダメだと思いますし。そんな思いを抱いて、せっかく自分でやらせていただくんだから、と撮影に向かいます。

――確かにセリフで説明するという手法も、方法論の一つかな、とは自分としても感じました。ただ、この映画ではそれとはまた違う印象をすごく感じました。

 全く喋っていないわけではないですもんね(笑)。会話も“日常”を意識したものがすごく多いので、とてもありがたいご感想です。

――映画の原作も見ましたが、ストーリーは原作をベースにしつつ、原作から物語の視点かなり変わっている印象を受けましたが、脚本を構成する上では、どのようなことを考えられたのでしょうか?

 まず“これ、やるなら連ドラだろ?”と思いました(笑)。原作は小説ですから仕方ないんですが、やっぱり長い。普通のテレビドラマみたいに12話、でなくても6話くらいとかでも。そのくらいの尺になるじゃん、と思って。

――映画の尺で表現するには、エピソードが多い印象もありますね。

 まずは設定だけ借りて、一回自分なりに台本にすることから始めました。一昨年の8月末だったかな? その頃に“台本を1週間で書け!”と言われて(笑)。そのときは12月撮影の予定でした。その台本は、自分的には正直不安なところもありました。取材を出来ないままに一回台本を書いて、凝縮した形に一回落とし込んで、ということから始めて。

 台本を一回書き終えてから取材を始めたんです、実際の脊髄に障害をもつ方々から。で、いろんなことが分かってきたけど、分かりきれるわけはない、12月撮影ってメチャメチャタイトなスケジュールになっていたし。そんなこんなで準備していたら、日程が延びちゃって。今となってはラッキーだと思うんですが、一度先が見えなくなってしまい、期間が空いてしまったんです。だからその期間に知り合った方々に取材を続けさせていただきました。

――基盤をもっと固めようという感じで…。

 そうですね。再開の際に、それまでの台本だと実現できないので規模縮小のために台本を変えようということになって。それまで取材したことを盛り込んで、いろんなことを変えていけたというか。それで視点が変わっていった感じでしょうか。