<エンタメ界の30代 Vol.04>
 変革期を迎えているエンターテインメント業界。テレビ最盛期やミリオンヒットが続出した時代に青春を過ごした30代は今まさに、その最前線で活躍している。その30代は今何を考えているのか、その人の考えや業界の展望を、リレー形式でインタビューする本企画。今回は、SEKAI NO OWARIのチーフマネージャーを務める、株式会社TOKYO FANTASYの取締役・宍戸亮太氏。同バンドをどのように見出したのか、そして、マネージャーとしての心得は? 宍戸氏の変遷とセカオワとの出会い、そして今後の展望などを聞いた。【取材・企画=山本圭介山本圭介(SunMusic)/文・撮影=木村陽仁】

水のような存在に

 「『人と音楽を繋ぐこと』が活動の核にはあります。マネージャーとしての理想は、水のような状態になることだと思っています。『水を得た魚』という表現があるように、メンバーが活き活きするような水でありたい。あれこれ言わないで『流れ』という環境を作る、見えない無色透明の水のように」

 これだけ人気を集めるバンドを見出した功労者なのだからやや傲慢であっても良い所だがそんな様子は微塵もない。むしろ、バンドを語るときの表情はとてもピュアで、子供が親に語り掛けるような眼差しだ。その人柄にして彼はきっと同じ水でも、養分が豊富に含まれている川と海の水が混ざった「汽水」(きすい)のような人物なのであろう。此の親にして此の子あり。宍戸亮太氏、36歳。言葉の端々から伝わってくるのは音楽愛であり、バンド愛だ。

 SEKAI NO OWARIは4人からなるバンド。「スノーマジックファンタジー」などを代表に多くのヒット曲を生み出し、NHK紅白歌合戦には2014年から4年連続で出場するなどまさに日本を代表するバンドである。それと並行して社会活動にも積極的だ。そんな彼らを見出したのは現チーフマネージャーの宍戸氏。前事務所、ラストラムに入社して間もなかった同氏は新人バンドを発掘するためにほぼ毎日ライブハウスに通っていた。多くのバンドを観てきたなかで「ビビッ」ときたのが当時「世界の終わり」名義で活動していた彼らだった。

 「何が凄かったのかを言葉にするのは凄く難しいですが、良い意味で衝撃でした。ほぼ毎日新人の音楽を聴いていて、ちょっといいなと思うけど、声をかけようと思うほど『本当にこれいいな』というのがなかなかなくて、そんなときに彼らが出てきて。『これだ!』という感じでした。あの頃は原石のままというか。儚いけど強い、というか。今はもっとたくましくなりましたけど」

 セカオワが事務所として契約を結んだのは2008年。3年後の2011年に初の日本武道館公演を成功させているのだから、宍戸氏の見立ては正しかったことになる。それからの活動はまさに怒涛。あれよあれよという間にシーンの最前線へと駆け上がった。

 そもそもセカオワという原石を見つけた宍戸氏はどのような人物なのか。単刀直入に言えば好奇心旺盛で行動力がある“音楽少年”だ。小学生の頃はテレビやレンタルショップで借りてきた音楽をカセットテープに録音、繰り返し聴いていたという。そんな同氏はある出会いがきっかけで「音楽の道」を志すようになった。それは「Mr.Children」だ。

 北海道・札幌市出身の宍戸氏が中学1年生の時に、真駒内セキスイハイムアイスアリーナでMr.Childrenのライブがおこなわれた。宍戸氏にとっては初めて見る生のライブだった。「テレビで観ていた人達が目の前で動くというのも凄く不思議なことでした」。その時の事は今も鮮明に記憶しているといい、その感覚は提供側にいる今の考えのベースにもなっている。

 「2014年にSEKAI NO OWARIが同じ会場でライブをやりました。何となく僕が座った場所も覚えていて、リハのときに『中学1年生のときに観たな』という思いがこみ上げて来て。あの日のMr.Childrenがなかったらここまで音楽を好きになっていないだろうし、この仕事もしようと思っていない。さらには、メンバーにも会っていなかったと思います。あの日から色んなものが広がって繋がったのが凄く感慨深くて。1回の体験や感動が色んな影響があるんだなというのが今になって凄く思うことです。SEKAI NO OWARIのライブに初めて来る子も沢山いると思いますし、そういう子にとってこの瞬間が何十年経っても忘れられないかけがえのないものにしてあげたいですし、そうなるようにライブもセットだけではなくて、エンターテインメントを目指しています。それは当然、メンバーのアイディアが基盤にあってです」

 1回のライブで人生を変えられた宍戸氏はその後、音楽専門学校を経て大手レコード店に従事する。しかし、再び転機が訪れる。高橋歩氏の書籍『LOVE&FREE』(2001年出版、サンクチュアリ出版)に書かれていた「決断に必要なのは勇気ではなく覚悟だ」という言葉に感銘を受け旅に出る。それも原付バイクで北海道から沖縄まで縦断するというものだった。そのなかで中国、そしてモンゴルにも渡った。初の海外渡航となったが、この時にカルチャーショックを受ける。「常識が色々ブッ壊されて。僕の常識は僕の常識でしかないし、世界って広いなと思いました」。そして意識を世界へと向かわせる。語学留学のためにオーストラリアのパースに渡った。

 戻ってきて大手旅行代理店に勤めるが、ここでも人生を変える言葉に出会う。面接官に問われた「君は社会というフィールドで人生を賭けて何を実現したいんだ?」という言葉がどうしても離れない。入社後1カ月が経ってふと思った。僕にとってそれは、「人と音楽を繋ぐ仕事」なんじゃないか。

 「中学のときとかに友達に『これ、いいから聴いてみなよ』と言って貸すと、みんなが良かったと言ってくれるのが嬉しくて、そういう純粋なところ、自分が好きなものを人が喜んでくれたら嬉しいし、そういう出会いを好きな音楽で作れたら人生を賭けている意味があると思いました」

 行動派の宍戸氏はすぐに辞表を提出。そして、音楽事務所のラストラムに入社する。入社後に社長に言われたのは「お前何もできないんだから新人を探してこい」ということだった。レコード店でCDショップに出かけ片っ端から試聴し、ホームページもチェック。ライブにも頻繁に出かけた。そして、2カ月後に運命的な出会いを果たす。当時「世界の終わり」として活動していた彼らだった。

 様々な支流が合わさり流れ着いた先は河口。「水」と謳う宍戸氏の目前には世界へと繋がる海が広がっていた。

 ここからセカオワとの出会いから今後の展望、そして、マネージャーとしての志について一問一答で届ける。

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