今年11月18日にデビュー10年目を迎える歌手の南波志帆。今年は10周年YEARとして様々な活動をおこなう。その展開の一つとして、彼女は3月14日にベストアルバム『無色透明』を発売。今回は、そのベスト盤の魅力を探るべく彼女にインタビュー。「南波志帆の歩みと歴史を知って欲しい」と言うように、この10年間の歌手活動の軌跡を知ることができる1枚となっている。自分の声にコンプレックスを覚えていたとも明かす彼女だが、長い歌手活動の中で「この声だからこそ個性として歌えるんだ」と思えるようになったと話す。彼女のこれまでの歩みとこれからの目標を語ってもらった。【取材=長澤智典/撮影=冨田味我】

素敵な曲を歌い続けられたことに感謝

――3月14日に10年間の活動の軌跡を集大成したベスト盤『無色透明』をリリースしました。みなさんよく言われますが、南波さんも10年間という月日はあっと言う間でしたか?

南波志帆

 振り返るといろんなことがあったように思いますし、私は濃密な時間を過ごしてきたなと捉えています。デビューしたのが15歳の中学3年生のときで、あの当時は、何もかもに必死で、目の前のことに全力を尽くしながら活動を続けて、その意識の中で10年間の月日が経っていた感じなんです。

――当時、学校との両立は大変だったんじゃないですか。

 あの頃は、普段は学校へ行きながら、放課後になると音楽活動をしてという毎日でした。今振り返ると、あの時期が一番忙しかったなと思います。誰の陰謀なのか(笑)、あの当時はテスト期間とリリース時期の重なることが多かったんです。だから、リリースに伴うお仕事を終えて、それから徹夜でテスト勉強をして、時には一睡もしないで試験に臨んだり。両方とも絶対に手を抜きたくなかったから、ひいひい言いながら全力を尽くしていたことを思い出します。

――何事も手を抜きたくない性格ということですか。

 そうなんです。あの頃は勉強することも好きだったので、なおさら手を抜きたくなかったんですよね。

――『無色透明』を聞きながら、南波さんの成長に合わせ、歌の内容も変化してきていて、南波志帆の成長の歩みを記した作品ということを感じました。

南波 デビュー当時は年齢的にも若く、人生経験もそんなになくて、学生生活に合わせた内容の楽曲を歌うことが多かったなと思います。恋愛の歌詞にしても、あの当時は想像を膨らませて歌うことが楽しかったですね。恋愛系以外の歌でも、まだ自分が経験したことのない感情であればあるほど、楽曲を通してその気持ちへ触れられることが嬉しかったです。

 ただ、こうやって20代も半ばになると、「あの歌って、実はこういう意味だったんだ」というのを改めて理解出来るようにもなりましたし、その時々の南波志帆に似合う楽曲を、みなさん提供してくださっていたんだなとも感じました。何より、10年経った今歌っても、どの楽曲も違和感なく歌えて、どれも色褪せない名曲たちです。そういう素敵な曲たちを歌い続けられていることを本当に感謝しています。

――どれも、良質かつクオリティの高い楽曲たちですもんね。

 そうなんです。当時はまだ自分を客観視など出来なかったから、提供してくださる楽曲が持つハードルを毎回乗り越えていくことに必死でした。むしろ、高くなり続ける課題をどうやって乗り越えるかということに執念を燃やしていました。

 それが良かったんでしょうね。よく、他のアーティストの方々に「南波ちゃんの楽曲って、むちゃくちゃ歌うの難しいよね」と言われるんです。私、そういうことに無自覚なままで、あの当時から厳しく育てあげられていて良かったなぁと感謝しています。

――無自覚でいるから、レベルが高いという意識ではなく、それを当たり前のものとして受け止めて、乗り越え続けてきたわけですもんね。

 本当にその通りです。嬉しかったのが、「15歳の中学生だからとか、16歳になったばかりの高校生だから…」などと言って、妥協することなく、最初からみなさん全力でクオリティの高い楽曲を提供してくださったことなんです。

 そのおかげで、こうやって10年間活動を続けられている私がいるように、その環境にはとても感謝しています。南波志帆は、とても恵まれた中で活動を続けてこられたなと思っています。

――楽曲を提供してくださるみなさんが、南波さんの歌声によって、どんな独創的な曲の世界が生まれるかを楽しんで作っている感じですね。

 ありがたいことですよね。むしろ、みなさんのおかげで、私は自分の歌声に自信を持つことが出来ました。昔は、自分の声が嫌いだった時期もありました。自分の声にコンプレックスを覚えていたんです。だけど、みなさんのおかげで「この声だからこそ個性として歌えるんだ」と思わせて頂いて、今はこの歌声が自信に変わりました。

――なぜ、自分の声にコンプレックスを?

 10代の多感な時期って、人と違うことにすごく恥ずかしさを覚えるじゃないですか。私、自分の声を「ヘリウムガスを吸ったみたいな声だなぁ」と思い込んでいて、一時期は頑張って低い声を低い声をと意識していた時期もありました。カラオケに行っても、河島英五さんの「酒と泪と男と女」ばかりを歌っていたり。だけど、私の初代プロデューサーである矢野博康さんと出会い、この歌声でも生かせるジャンルがあることを教わり、大好きな歌の道で行こうと、腹を括れました。