先日、久々に紙媒体向けの原稿を書いた。ネットならば文字数制限はあってないようなもので、気にせずに書けるが、紙の場合は文字数が限られている。厳密に言えば行数に縛られている。言葉を取捨選択しなければならない。おのずと、読者が十分に理解、想像できる短い言葉が残っていく。

 演歌に向き合う機会があり、歌詞を読んだ。使われている言葉は少ないのに、物語の情景や感情の揺れが鮮明に描かれている。演歌歌手の歌唱力ばかりを気にしていたが、その言葉力は驚くばかりだった。

 例えば、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」。歌詞を見ると、まず文字数が少ないことに驚く。繰り返し部分もあるが、たった175文字である。そのなかから一部を引用する。

<上野発の夜行列車 おりた時から>
<青森駅は 雪の中>
<北へ帰る人の群れは 誰も無口で>
<海鳴りだけを きいている>

 上記の歌詞は出だしの部分であるが、これだけでどのような状況なのかが容易に想像ができる。歌詞は阿久悠さんが書かれたもの。多くの含みを持った短いセンテンスによる世界観を、石川さゆりさんはどのように表現しているのか。筆者の場合、注目が、歌唱力から表現方法に移った。

 そして、その歌唱表現。石川さんは冒頭こそ静かに歌うが、サビ部の<ああ 津軽海峡冬景色>の<ああ>は低音から這い上がるように力強く歌っている。この<ああ>に、曲の主人公である<私>の儚さや、やりきれない思いなどの感情全て詰め込まれているような気がする。

 この歌がリリースされたのは1977年。石川さんは当時19歳の頃。その若さでしっかりと歌の世界観を表現できたのだから、その才たるやまこと畏れ入る。年を重ねて、表現方法も変わっている。昨年のNHK紅白歌合戦では同曲を歌った。本番に先立っておこなわれた取材会で石川さんは「何回も歌わせていただいて、また違う『津軽海峡・冬景色』の景色をお見せしたい」と語っていた。この紅白で筆者は、表現によっても情景は変わることを感じた。

 こうして演歌と向き合って感じるのが、言葉の美しさ。ネットだから文字数制限がないと甘んじて、こうだらだら書いている筆者が恥ずかしくなってくる。満開を迎えた桜に、春ウララと浮かれている自身に戒めた次第である。【木村陽仁】