フォークロック
坂崎幸之助 それは僕らの時代では“フォークロック調”と言っていましたね。今はあまりフォークロックって言わないですよね?
――あまり聞かないですね。
高見沢俊彦 フォークなんだか、ロックなんだかはっきりしろ、みたいな(笑)。
――フォークロックはどういった変遷で今の音楽を形成しているのでしょうか?
高見沢俊彦 要するにメッセージ性の強いものというのが70年代の頃から出てきたというのがあって、何と言うか内容ですよね。最初、フォークソングというのは結構過激なものだったんですよ。プロテストソングというか、ベトナム戦争がありましたから。世界中でそういった反戦の歌を、というのがあったような気がします。一概に「フォークだから優しいもの」というイメージではなかったですね。フォークソングは結構過激なイメージがあった時代でした。そういうアーティストもたくさんいたし。
例えばボブ・ディランもそうじゃないですか? 内容的にはかなり過激な曲が多かったんです。それからだんだんと引き継いでロック調にしていくのがブルース・スプリングスティーンとか、そっちの方向にいくんじゃないかな。
坂崎幸之助 日本で言うと「ニューミュージック」というカテゴリーになっていましたね。今は「J-POP」と言われますけど。それはジャンルをわかりやすく言っただけで、内容的にはあまり関係ないかもしれないな…。
――呼びやすいようなジャンルを付けていった感じですね?
坂崎幸之助 だと思います。
身をもっと示すメッセージ
――よりメッセージ性が際立つ点でも、今回の歌詞は強烈でした。例えば<願ったことの百万分の一も 叶わないそれが現実>や<悩んだことの百万分の一も 報われないそれが現実>など。歌詞を通じて伝えたいこととは?
高見沢俊彦 歌って結局、一方的なものであると思うんですけど、聴いてくれた方がどう受け止めてくれたかというのが一番ですから、こういう歌だということを一応提示しますけど、「ここを聴いて欲しい」ということよりも、僕らが今でも元気でステージをやっていて、こういうシングルを出しているということだけを伝えたいですね。それはやっぱり結成45年の矜持としてという意味合いも含めてですけどね。僕らはここまできて、まだ出しているというところをメインに聴いて頂けると嬉しいですね。
僕らがデビューしたのは1974年ですけど、バンドブームだったんですよ。1年間で400組くらいのグループがデビューしているらしいんです。だから群雄割拠というか、そこら中にバンドがいた感じだよね。1974年はGS(グループ・サウンズ)以来だったらしいですね。それから45年ですからね。そこでデビューをした方々も、形を変えてやっている方もたくさんいますけど、バンドとして残っているのは本当に僕らだけくらいになっちゃったので、そういった意味ではそういう気持ちを伝えていきたいし、長くやっていくという諦めないことの大切さというのかな…。やり続けることの大切さというのか。そういったものを、僕らが歌っていることによってわかってもらえるといいですね。
――高見沢さんが言い続けている「やり続けることの大切さ」ということも含まれていますね。私にとって大事な言葉になっています。
高見沢俊彦 そう?
坂崎幸之助 高見沢先生の言葉が! それはもう書にして!(笑)。
高見沢俊彦 一筆書いて売りましょうか(笑)。
坂崎幸之助 やっぱりね、続けないと何も生まれてこないというか、続ければ必ず何かが起きる訳ではないけど、やっていないと起きないですよね。途中でやめちゃうとね…。さっき高見沢が言った、その当時400組、色んなところで一緒になったんですよ。オーディションとか番組とか。本当に同志という感じで。彼らはけっこうデビュー曲が売れたりしたんです。僕らは全然でしたけど。そういう連中もいっぱいいて、このくらいの歳になると当時の連中のことをけっこう思い出します。頑張らなきゃなっていうか。
高見沢俊彦 いっぱいいたよな?
坂崎幸之助 いっぱいいた。途中で挫折しちゃった。何をしているかなと思ったり。僕らがやっていれば「あいつら頑張っているな」って、きっとね、思ってくれているはず。
高見沢俊彦 そうだと嬉しいね。そういった意味で、僕らも頑張って来たんだから、みんなもどうか頑張ってという気持ちが強い。それを歌にした感じかな?
坂崎幸之助 そうだよな。