今年5月に配信開始された平井堅の楽曲「ノンフィクション」が半年過ぎた今もiTunesのトップ10圏内にいるなど、ロングヒットとなっている。数多くのアーティストのリリースが頻発するなか、このロングヒットは異例とも言える。平井堅のヒットソングには「瞳をとじて」「POP STAR」など数多くあるが、なぜ、「ノンフィクション」はロングヒットとして響いているのか? その理由には、ドラマ『小さな巨人』のヒットともう一つ、人間の本質を突いた深い部分にあると思われる。

死から生をみつめたという楽曲

 「ノンフィクション」は、人間の本質をえぐるような感情を呼び起こす作品だ。この楽曲は、もう会えなくなってしまった人と、TBSドラマ『小さな巨人』の世界に合わせて書き下ろした歌詞が多くの人に共感を呼んだ。

 ドラマは、警視庁本庁と所轄の確執、警察内部の戦いを描いた内容で、長谷川博己が演じる主人公・香坂真一郎が自身の正義感を信じて悪と戦う姿が反響を呼び、総合視聴率25.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録、全10話の平均総合で当時民放ドラマ1位になった。毎回、ドラマの重要シーンで「ノンフィクション」が流れ、特に、香川照之演じる警視庁捜査一課長・小野田義信との対決、「この目を見て答えてみろ!」というシーンは強烈なインパクトを与え、そこで流れたこの曲も鮮烈なイメージを焼き付けた。

 ドラマの高視聴率もヒットの要因の一つにあるが、ここでは、曲本来が持つ魅力について分析してみたい。

 <僕はあなたに あなたに ただ会いたいだけ>。歌詞を読むと、ある種の“人間の結論”ともとれるような綴り方を節々で感じ取れる。死から生をみつめたという「ノンフィクション」は、絶望感と枯渇感、その裏で決して消えることなく燃え盛る希望という感情で塗りつぶされたような世界観が佇んでいる。

 ドラマでも描かれた、悲しみや、その中で生まれる希望、ドロっとした色の感情、それでも向き合わなければいけない感情、人間の力で、何とか美しい色に変えていくような感情は、それぞれが違う形で確かに持っているが、形や言葉として表現することはなかなか難しい。そんな奥底に抱える感情を掘り起こす力がこの楽曲にはあり、そこから深い共感が生み出されるのではないだろうか。ドラマにもあった、言葉にできない悔しさや怒りは、役者の表情、仕草、そして楽曲を通して絶妙に表現されていた。

“深い共感”を生み出す

平井堅

 多くの共感を呼ぶ楽曲の条件とは、ポピュラリティを含む言葉やメロディ、それらを選別して作品に落とし込むというのが、ある種「手っ取り早く」もある。懐かしいメロディラインや、合唱しやすい歌、聴き馴染みのあるアンサンブル。ほとんどの人に普及しているツールや、誰もが通るシーンを彷彿とさせる言い回しや、“あるある体験”、それらを取り込めば、簡単な共感を得ることはそんなに難しくはない。

 しかし、“深い共感”を呼ぶということは、決して簡単ではない。それは前述のコマーシャル的なアプローチでは不可能ではないだろうか。深い共感を呼ぶ作品、歌というのは、発する人間の深い体験や、向き合ってきた思考、なすがままにせざるを得なかったふがいない気持ち。それらを「そのままの形」ではなく、芸術として変換させる必要がある。

 その過程で、結果的に“シンプルな言葉”や“ストレートな楽曲”となった場合は、言葉やメロディの裏にある本質を、聴き手が無意識で察知し、その人なりの感情として個別に変換することができる。そのまま受けて「そうだよね――」ではなく、作品を受けて、人それぞれの景色、想いとして、もう一度感情が生まれ、鮮やかに再生される情念となる。

 その感情には、深層部分での共感があり、深いカタルシスが伴う。平井堅の「ノンフィクション」とは、そういった楽曲である。それはドラマを彩った役者もだ。“簡単には得られない共感”を楽曲から受け、聴き手自ら本質に辿り着く作品なのである。
 

ポップな平井堅とディープな平井堅の「伝え方」

 さて、TVやラジオで平井堅のトークを聴いたことがある方なら、それこそ少し“共感”して頂けるかもしれないが、彼の歌は、喋り声とそんなに変わらないトーンが大半を占める。しかし、いつの間にか、“歌”というゾーンに引きずり込まれる独特な流れがある。歌と言語コミュニケーションを掛け算したようなアプローチは、抑揚に感情をという「伝わりやすい」という側面を持つ。

 歌い手として「伝える」ということは重要項目だ。話して言葉を伝えること、歌って歌詞を伝えるということ、どちらも別種類の伝え方だが、平井堅の歌は、「喋り声」と「歌声」のバランスに長けているという点に注目したい。

 「ファルセット混じりのレガートな美しい声」が彼のパブリックイメージだろうか。それに加え、彼の歌は喋るように歌っていた声が歌声に変わる境界線が、あるようでない。じっくり言葉を聞かせるように歌っていたところから、気付いたらファルセットのメロディに耳を奪われる。最初から最後まで聴かせ、曲と思いを伝え切る、という平井堅の歌い方、伝え方は、シンガーとしての強固な資質だろう。

 Ken’s barなど、定期的なライブを含む公演活動、そしてメディアには精力的に露出し「親しみやすい」というキャラクターでもある平井堅だが、彼の精神面の奥底に潜むディープな感情は計り知れない。

 もしかしたら、そういった“どこか人を突き放した感”がある平井堅が軽快なトークやおちゃらけた面を見せたりするからこそ、メディアでのぞかせる彼の“POP STAR”なキャラには深みがあるのかもしれない。そして、自分の“暗黒面”をまんま晒すといったことは決してしない。

 そういった、アンビバレントな側面を持つ人物に対しては「わからない」という感情が起きがちである。簡単にはわからない、だからこそ「わかりたい」という自然な欲求が起きるのかもしれない。「何を考えているのかわからない人物」がここぞと伝えることは、本質を突いていることが多い。平井堅もそうなのであろうかといえば、少なくとも、彼の楽曲からそう感じることは多い。

平井堅のインサイドな面とは

 彼をよく知る身近なごく一部の人間、あるいは本人しか知らない平井堅のインサイド面は、もしかしたら本人ですら知らないのかもしれない。「ノンフィクション」のMVで観られる、舞踏家・工藤丈輝の舞い。それは、あまりにも楽曲と平井堅の深い世界観と同期していたように映る。平井堅のディープな面を直接知らずとも、歌、楽曲、芸術で表現された「ノンフィクション」という世界観として、その深い部分が聴き手に伝えられる。

 わかりたいけどわからない、でも、わからないといけない。気付いたら情念に包まれ、何かわかるけど、言葉にはできない――。それが“深い共感”であり、「ノンフィクション」は、それを優しく、残酷に引き起こす力がある楽曲だ。

 なぜ、「ノンフィクション」はロングヒットとして親しまれているのか。それは、平井堅が、“共通してある人間のディープな面”にダイビングして深く向き合い、人間の本質を垣間見た情念を、音と言葉の結晶として作品化させ、誰もが共通してある感情の最深部にドッキングする“ノンフィクション”にしたからではないだろうか。【平吉賢治】