<記者コラム:オトゴト>
 「清春とは何か」そんな一端が垣間見えた。昨日21日、ロックミュージシャン、清春さんのコンサート『MONTHLY PLUGLESS 2017 KIYOHARU LIVIN’ IN Mt.RAINIER HALL「elegy」』の最終公演を見た。同一会場で66公演をおこなう異例のコンサートシリーズ。清春さんはMCで「サラリーマンの気持ちがわかった気がする」と話していたが、同じ環境でやり続けることの凄みを改めて体感した気がした。

 エレキギターとアコースティックギターだけのシンプルな形態。その中心に立つ清春は歌をもって曲の世界観を映し出す。会場となったMt.RAINIER HALLは、ホールともあって天井が高い。清春さんの歌声は、天井と客席との間にある空間に、様々な情景を映し出しているようだった。

 恥ずかしながらも、正直話せば、あのコンサートを言葉に表現するのは難しい。ただ、インタビューで「絵を描くのとおなじ」という話があったので、それを使わせていただくと、その空間というキャンパスに、様々色を使って絵を描いているようだった。

 同じ場所で歌う。それは自身との闘いでもある。時に勇ましく見えるのはそうしたところからもだろう。

 セットリストはその日や第一部と第二部によって異なるが、曲という絵具を使って、清春さんは時に感情的に、時に冷静に、時に荒々しく、時に静かに描いていく。使う絵具の順番は異なっても、描かれる絵の本質は変わらない。けれど、その時の空気感によってやや異なる絵の表情を見せる。

 歌詞もそうだ。同じメロディにのる言葉も、清春さんのその時の感情が加わり、違った側面を見せる。1公演1公演、魂を込めてその時の状態の完璧を目指す。同じ場所、同じ演奏スタイル、同じ曲だがどこか違う。改めて生きていることを感じさせるのである。“生”という際どさ、繊細さ、そこに美しさを覚えた。

 人の心は常に揺らぐ。確固たる自信があってもだ。そのとき、どうあるべきか。それを照らす一つの光がこのコンサートにあった気がする。最後、クラシックコンサートのように、割れんばかりの拍手が長く続いていたという光景をみても、それがうかがえた。「清春と何か」。それを体感してほしいと思うのである。【木村陽仁】