CDが売れないと言われているこの時代に、普段は音楽会社の社員として働きながらも、総売上枚数130万枚超を記録しているDJがいる。それは、DJ和(でぃーじぇーかず)だ。2008年にメジャーデビューした彼は、これまでにミックスコンピレーションCDなど24枚リリース。今年8月にリリースした2000年代のヒットナンバーを36曲をミックスした『ラブとポップ ~好きだった人を思い出す歌がある~ mixed by DJ和』は17万枚を超えるセールスを記録している。彼の作品が人気を集める要因の一つには“邦楽縛り”がある。今でこそ当たり前になりつつあるが、彼らが活動を始めた2000年代中期は邦楽を使用したプレイはご法度の空気があったという。なぜ、邦楽にこだわったのか。そして、配信やサブスクリプションの利用が増え、音楽の消費方法が変化している今、あえてCDでの販売に限定している。それはなぜだろうか。そもそもDJ和とはどういうミュージシャンなのか。彼に話を聞き、その変遷を辿った。【取材=村上順一】

渋谷のクラブに通いやすい学校を選んだ

 一般的でいうところのDJとして活動するDJ和は、選択する楽曲を邦楽に絞っている。DJはテクニックも必要だが、選曲のセンスも問われる。彼の場合はあえて、選択肢を邦楽に狭めることで、他者との差別化を図っている。また、“邦楽縛り”にしたことで海外のイベントにも頻繁に呼ばれている。

 そもそも、DJに興味を持ったのは高校生の時だったという。親にお金を借りてターンテーブルを買い、その活動を始めた。その後、大学へ進むが「渋谷のクラブに通いやすい学校を選びました。渋谷に行くまでの定期代の欲しさもありましたね」とDJ活動をおこなうための進学だったというから驚きだ。本人も「大学はどこでも良かった。そんなことを言ったら親にバレたら怒られるけど…」と自省している。

 そうして迎えた大学時代での“クラブ生活”は、ひたすらDJブースの前に張り付いて、他者がおこなっているプレイなどから、機材やテクニック、センスを盗み学んだという。「ずっと見ているとその人の癖がわかってくるんですよ」。“課外授業”の熱の入れようはこの言葉からも伝わってくる。

説得力は楽曲を理解せずに曲をかけるところからは生まれない

 そんな彼が、武器となる“邦楽縛り”の原形を手にしたのは大学2年生の頃だったという。この頃からプレイする機会も増え、クラブの世界でいうところの、深夜2時から3時のゴールデンタイムでプレイできるDJを目指していたが、回を重ねていくことで疑問にぶち当たった。それは「似たようなイベントが多い」「どこかこのシーンがリアルなようでリアルじゃない」ということ。

 「(当時の)ヒップホップはノリで聴いていることが大半で、DJ側も歌詞を理解している人は少ない。曲のプレゼンターとしてそれで良いのか。テクニック的に上手い人はたくさんいたけれど、プレゼンターとしての説得力がある人がいなかった。自分が思う説得力は、楽曲を理解せずに曲をかけるところからは生まれない」

 そこで、思ったのが「邦楽で盛り上がれるシーンもあっても良いのでは」ということ。しかし、邦楽の楽曲を選曲するのは簡単なことではない。当時のシーンは邦楽をかけることがタブーとされている空気もあったという。クラブによっては洋楽至上主義で邦楽はかっこ悪いという風潮も少なからずあった。そこで、まずとったのが、洋楽の中に邦楽も数曲混ぜてのプレイだった。

 ただ、邦楽を入れ込むだけでなく、当時は流行っていなかったダンスクラシックミュージックを選曲していた。それは“イロモノ”ではない一つのスタイルとして認知されたいという強い思いからだった。その活動が実り、徐々に邦楽をメインとしたイベントが出来るようになった。やがて、シーンにも波及していく。邦楽の強みは「歌えること」とし、「全員が歌えるということは音楽の根本の強さだと感じています」と話した。

デビューのきっかけ

 そんな彼は2008年にメジャーデビューした。そのきっかけは、JUJUなどを手掛けてきたプロデューサーの木村武士氏との出会い。「なぜか僕らのイベントに木村さんが来ていたんです。僕のやっていることを面白がってくれて」。自主制作のミックスCDを木村氏に渡した。それがレーベル内で話題になった。

 メジャーデビューは自身からの売り込みだったという。というのも、邦楽のミックスCDは「絶対売れるという自信がありました」という確信があったからだ。しかし、2007年にDJ KAORIの『DJ KAORI’S JMIX』がリリースされた。

「先を越された」とDJ和はすぐに木村氏に電話。木村氏も同じような感覚を持っていたようで一気に企画が進み、2008年3月に『J-ポッパー伝説 [DJ和 in No.1 J-POP MIX]』をリリースすることになった。2010年末にはレーベルに所属し、スタッフとして働きながらアーティストも続ける二足の草わらじを履いての活動となった。

ミックスコンピレーションCDの難しさ

『ラブとポップ ~好きだった人を思い出す歌がある~ mixed by DJ和』

 そんな変遷を辿ってきたDJ和。彼の作品をよく見てみると、レーベルの垣根を超えて様々なアーティストの楽曲が並んでいる。作品として楽曲を使用するには、各レーベルの許可を得なくてはならない。どうしているのか。

 「最初はミックスCDというもの自体を説明しなければいけなかったので大変でした。リスナーにとってはレーベルとか関係ないんですよね。そこが大人の都合で出来なかったというのは極力無くしたい。リスナー目線でCDを作りたい。レーベル関係者の皆様にはそれを理解してくださいました」

 リスナー目線で作る彼の作品は支持を集め、これまでに総売上枚数130万枚を超えている。特に、今年8月にリリースした『ラブとポップ ~好きだった人を思い出す歌がある~ mixed by DJ和』は、女優の広末涼子がCDジャケットを飾った話題性も手伝って17万枚超をセールス。自身の記録を更新中だという。

 昨今の音楽シーンは、配信やサブスクリプションの登場で“データ”で購入するスタイルが浸透しつつある。しかし、彼はCDで届けることにこだわりを見せる。なぜだろうか。

 「やり方によってCDはまだまだ売れると思います。ミックスCDなので配信リリースがなく、CDを買うしかないということもありますが、僕の場合は、シチュエーションなどに合わせた聞き方を提案しています。例えば、このCDがあればドライブの車内が盛り上がるや、同窓会のBGMでかければ思い出話に花が咲くなど、CDに応じた用途を伝えるんです」

 その姿勢はジャケットにも表れている。今回の作品は2000年代のJ-POPだった。それを象徴する人物として考えたのが広末涼子だった。90年代に登場し爆発的な人気を集めた広末は、2000年代は女優としての頭角を現す。なかでも2008年に出演した映画『おくりびと』は第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞している。ジャケットオファーは断られることを承知の上だったようだが「基本的に当たって砕けろ精神で、常に理想を追いかけていたいんです」と臨んだ。

最短距離でCDを届けたい

 そのCDだが、届けた方にもこだわりがある。通常のCDショップだけでなく、高速道路の海老名サービスエリアでの実演販売もおこなっている。それは、一般的なアーティストと違い、リリースライブが組まれないことからのアイデアだったが、もう一つ「最短距離でCDを届けたい」という思いもあったという。

 この“販売手法”は、1枚目の作品『J-ポッパー伝説 [DJ和 in No.1 J-POP MIX]』からおこなってきたが、ゴールデンウィークに1日300枚ほど売り上げ、この効果でオリコン20位に入ったこともある。「車にはCDデッキが搭載されているものも多くて、CDショップで売るよりも早く聴いてもらえる」という。旅行など外出時は高揚感が高まる。その気分に合わせた、知っている曲がずらりと並ぶ“邦楽”のコンピレーションCDを販売することで、手に取ってもらいやすいのだという。

 そして、コンピレーションという作品は息の長いものだと語る。CDショップでもリリースから4カ月以上たった今でもランキングに登場。新しい曲を売っているわけではないこともあり、長期にわたって展開できる。その理由を「お客さんと出会えた瞬間が全てなんです。手に取ってもらうにはその出会うタイミングを増やせばいいだけで、CDというものに触れ合う回数を増やしてCDの使い方を提案します」と語る。

 また、“邦楽縛り”によって海外からも注目を集めるようになった。2012年頃からアジアを中心にアメリカやイタリア、ドイツなど海外の大型イベントにも参加。ジャパニーズカルチャーとして認知度が高い、アニソンなどの楽曲をイベントでプレイしたところ反応は上々。「コアなものほど熱量が高い」といい、ボーカリストのLiSAなどはアメリカやヨーロッパの外タレと変わらないほどの人気をアジアでは誇っていることを肌で実感したようだ。

 そんななかDJ和はどのような未来を夢見ているのだろうか。

 「日本の曲をかけるDJは年々増えていて、すごく嬉しいです。クラブのジャンルに、EDMやロック、レゲエ、R&Bなど様々ありますが、J-POPやアニソンも世界的なジャンルの一つとして認知してもらいたいという夢があります。日本は徐々にそれができているのですが、それを世界標準にしたい」

 それを実現するには、自分たちが海外のDJやイベンターたちの“憧れ”にならなければならないという。「まずはしっかり日本からアジアへ広げていきたいです。そして、このコンピレーションで知ってそのアーティストへの架け橋になれたら」と力強く語った。

 リスナー目線を考えたCDづくり。彼の視野は今、世界に向かっている。

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