<記者コラム:オトゴト>
 先日、会社の近くで、ドラマの撮影がおこなわれているのを見た。出演者やスタッフを乗せたロケバスに、撮影機材等を積んだトラック。その周辺には人だかりがあった。

 後に、この撮影が、現在放送中のフジテレビ系“月9”ドラマ『民衆の敵〜世の中、おかしくないですか!?〜』だったことがわかった。そのシーンは、余 貴美子さんが演じる河原田晶子市長(元)の演説で、ほんの数分だった。

 たった数分のシーンのために、これだけ大掛かりな撮影が必要なドラマに頭が下がる思いだった。こうした努力は結果的に、視聴率という形で評価されてしまうのは、もどかしい気持ちにもさせられた。

 音楽でもセールス数などが一つの物差しになっていることがある。「ミリオンセラー達成」となれば多くの人から評価を得ていると直結したくなる人もいようが、数字はあくまでも結果であって、その作品の良し悪しはそれぞれの感性でしっかりと向き合い、判断しなければならないと思うのである。

 よく、ドラマなどで、陶芸家が「ああ…これではだめ、これではない!」とせっかく作り上げた陶器を壊すという場面が見られるが、今ある作品はこうした失敗作(本人からすれば)の上に成り立っている。音楽でいえば、音や言葉の足し算引き算の繰り返しで、出来上がる。

 確かに数字は分かりやすいが、そうしたところにも思いを寄せられたら、より、今ある作品の価値が高まるのではないかと考えるのである。

 ある女優のインタビューで「涙は、感情が高まった時に流れる」という趣旨の話をしてくれた。涙は形であって、その形が生まれるまでの感情が心のなかにある。形だけではなく、その背景を感じるのは良いことだと思う。【木村陽仁】