ロックバンド・THE YELLOW MONKEYの、2016年の復活からの姿を追ったドキュメンタリー映画『オトトキ』が、11月11日より全国公開される。この度、この作品を手掛けた松永大司監督にインタビュー。ファンだけでなく、彼らの姿を一般にも広く伝えたいと、感情移入は避けて、ありのままの姿を映すことを心掛けたという松永監督が見た、THE YELLOW MONKEYの姿とは。【取材・撮影=桂 伸也】

 吉井和哉、菊地英昭、菊地英二、廣瀬洋一の4人からなるTHE YELLOW MONKEYは、1992年にメジャーデビュー、「JAM」「楽園」「BURN」といった楽曲でヒットを飛ばし、98年の『PUNCH DRUNKARD TOUR』は年間113本トータルで55万人を動員とカリスマ的な人気を博し、日本のロックシーンに大きな金字塔を打ち立てた。

 しかし、2001年初頭に東京ドームで最後のコンサートをおこなった後、2004年に正式に解散を発表、伝説のバンドの一つとして数えられていた。

 映画では復活後のライブの模様とともに、復活を果たした4人の現在の心境や、解散直前の思いなどを語った証言映像など、バンドがいかに再集結を果たしたか、その経緯が時々に起こったライブのアクシデント、またはプライベートでの出来事などを通して描かれており、改めてTHE YELLOW MONKEYというバンドがどのようなものであるかを知る一つのヒントとなっている。

 今回は、この作品を手掛けた松永大司監督に、撮影のために彼らに密着した印象などを振り返ってもらうとともに、映画撮影に向けた狙いなどを明かしてもらい、松永監督が本作を通して描いた主題的なポイントを語ってもらった。

 まずはじめに松永氏のプロフィールを以下に紹介する。

 ◆松永大司 1974年生まれ。大学卒業後、俳優として矢口史靖等の作品に出演。2011年、現代アーティスト・ピュ~ぴるの8年間の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『ピュ~ぴる』を初監督作品として発表。2013年『MMAドキュメンタリーHYBRID』、2014年短編劇映画『死と恋と波と』(出演・岡山天音、門脇麦)など。2015年、初の長編劇映画となる『トイレのピエタ』(出演・野田洋次郎、杉咲花)が全国公開されスマッシュヒットを記録。第20回新藤兼人賞銀賞、第56回日本映画監督協会新人賞など。(映画『オトトキ』公式サイトより)

フラットな状態でイエモンを捉える

――このドキュメンタリーのオファーがあった時、どのような思いがありましたか?

 いや、特には。実は僕、THE YELLOW MONKEYに対して特に思い入れを持っていたわけではないので、衝撃が走ったとか、そういうことはなかったです。

――そうでしたか。今回の映画制作に関しては何かきっかけは?

 「THE YELLOW MONKEYのドキュメンタリー映画を撮ってみませんか?」という話が来たことが、きっかけです。それまでファンだということもなく、特に思い入れが強いということもありませんでした。でも逆に、僕がすごく思い入れのあるバンドだったら、撮らなかったと思います。だからこそ向き合えるのかと。それは当然メンバーにも伝えて知ってもらっています。

――知らないからこそ撮れる画があるだろう、と?

 そうですね。だから「すごく知っている」とか「すごい好き」だと、フラットな状態で映画を作るのは、相当に難しいだろうと思って。

――それはどういう目標の下で考えられたのでしょうか?

 僕がこれを撮るにあたって、ファンのためだけの映画にしたくなくて、このバンドを知らない人が見ても、何かしら伝わるようなもの、何かを感じるようなものにしたいという気持ちがあったんです。だから自分が思い入れを持ちすぎてしまうと、知らない人を置いてけぼりににしちゃう。僕はそういうものを作りたいと思わないので、自分が思うことを、とにかく一つ一つ積み上げて、撮って作っていきたいという感じなので。だからTHE YELLOW MONKEYと対面したのは、撮影の時が最初でした。

――でもTHE YELLOW MONKEYは一時代を築き上げてきたバンドです。それを撮るという話になった時に、思ったことはありませんでしたか?

 どの世界でも一つの高みに行く人たちは、何かしら魅力があって、何かの理由がないとそこには行けないと思うから、どういう人たちなんだろう、というものを見てみたいという興味はありましたね。

――プレッシャーはありましたか? うまく描けるかな、という…。

 それはなかったですね。同じ人ですから(笑)。同じ人だし、僕が特別な思い入れがなかったこともありますし。例えば僕に対して向こうがすごく高圧的だったりすると、多分途中で「つまんないから嫌だ」って言っていたと思います(笑)。でもそういう人じゃないとどこかで感じたし、やっぱり一流の人は、どこかに謙虚さなんかもある人たちなので。僕も一人の人として日常普通に生きているわけだし、そこに対して引け目はなくていいと思っているので、そこはちゃんと一対一の個人として向き合えばと、あまりプレッシャーというのは、なかったです。

音楽少年

松永監督

――映像で見られるバックステージでは、皆さんはいつもとても和やかな雰囲気でしたね。あれはもう、常に?

 そう、常になんです。カメラが回っていなくても。

――あれは印象的な部分ですね。

 もちろんドキュメンタリーとはいっても、そこにはフィクションというか、作り手の演出というか、作り手の見せたいものというのがあって当然だと思っているんですけど、なるべく僕が感じた魅力というものをカメラに収めていって、それをお客さんに見てもらえれば、ファンじゃない人が見ても、この人たちのライブを見てみたいと思ってもらえるのではないかな、と思っていて。そこは意識しましたね。

――重要なポイントですね。先程、“一流”というお話がありましたが、そういうアーティスティックな面で気づかれた点などはありましたでしょうか? フレンドリーである面に対して、映像では今まさに再結成、活動を始めるという人が、しかも50歳の方ばかりが、すごく攻めて活動をしようとしている感じもありました。

 その通り、何か本当に音楽が好きな人たちで「音楽少年だな」と感じました。本当に音に対する追及心というか、自分たちの奏でる音を追求する意識は、今その場にあぐらをかいている様子もなかったし、すごいと思いますね。

――常に、そういった感じで?

 もうずっと。本当にずっと楽器に触って、ずっと音を鳴らしていたんです。

――バンドは2001年に活動を停止し、その時、吉井さんは“辛い”と声を上げられていたという話もあったということですが、それから考えると、映像からはあの落ち着きようというか。特に『COUNTDOWN JAPAN 16/17』のライブで、吉井さんの声が突然出なくなるというハプニングがあった時に、普通であればパニックの状況でも、みんな結構落ち着かれていたのは、やっぱり現在バンドにすごく目指すものがはっきり見えているのではないか、とも思いました。

 そうですね。もちろん経験で培ったものもあると思いますが、4人で一つのことに向き合っていくというか、立ち向かっていくという感じに見えますよね。やっぱりみんながいる、という雰囲気は、すごく撮っていて感じました。

未来に委ねる復活した意味と答え

――去年、復活時のライブの映像を見ていた時に、観衆も熱い方もいれば、泣いている方もいっぱいいて、やっぱりすごい皆がこの時を待っていた、という感じが映像から感じられました。彼らが復活した意味というものは、松永さんの目からは、どういう意味を示していたものと思いましたか?

 僕にはわからないです。というか、まずこの映画では僕はそこを探していないから。僕が撮りたくて、見たいと思ったのは、復活することよりも、彼らが復活したその先に未来があるかどうか、といったポイント。確かに復活することも大変だと思うんですが。

 インタビューで応えていたお客さんの中で、“伝説のままでいてくれた方がかったのでは”と言った人がいましたが、そのとおりだと思いました。というのは、自分で自分を超えることが一番難しいから。僕が、自分が作った一つ前の作品をどんどん超えていくことが一番難しいのと一緒で、ある一つのことを築き上げて、さらに時間がたって、しかも年齢を重ねて…と、そうなってくると、要するに自分たちと比較されてしまうから、他者との競争じゃないんですね。同じように、ある程度の金字塔を打ち立てた人たちがもう一回集結するとなった時に、どういう覚悟で、どういうものを見て彼らは復活しようとしたのかということが見たかった。

 だからその復活の意味に関しては、僕はまだわからない。ただ、新しいことをやっていこうという気持ちがあるということだけはすごく感じたし、今迄積み上げてきたことに対してあぐらをかいてやっている、という感じではなかった、そのことに対して興味もあったし、すごいと思いました。復活した意味とか、そういうことがわかるのは、多分5年後、10年後とかもっと後になるんじゃないんでしょうか?

――映像には何かヒントはあるかもしれないが、それはまだわからないと?

 わからないですよね。もしかしたら、使っていない素材の中に何か大きなものがあるかもしれない。僕が1年撮らせてもらって、編集した時間の中で、僕が見て感じたことは、この作品の中には入っています。でもドキュメンタリーで面白いのは、時間がたたないと評価が出てこない瞬間があると思うんですよね。例えば東京オリンピック、ベルリンオリンピックのドキュメンタリー、東京裁判のドキュメンタリーって、今この時代に見て思うこともいろいろあると思う。作った人は、その瞬間に何かを提示したくて作っていると思うんですけど、多分時間がたった今だからこそ、そこにはすごく意義や意味があったりするものがあると思うし。

――長い時間を通して、いろんな人の目を通したということも…。

 まあそういうのもあるし、やっぱり進化の過程の中のある一点を描いているので。普通の劇映画も、実は何かどこかの瞬間のドキュメンタリーだと思っているんですが、ドキュメンタリーはそれよりもそういう性質が、もっとドキュメントという性質に特化していますよね。だからこの映画も、時間がたった後に見た時に、こういう人たちがいたんだということの一つの記録になるとは思いますけど。

「客なし」ライブはバンドの真実を見るため

松永監督

――映像ではところどころで、昨年からのライブステージの画が多く使用されている中で、映像の頭くらいから、THE YELLOW MONKEYの原点ともいえる渋谷のライブハウスLa.Mamaでプレーを見せるシーンがありましたが、あれはリハーサルの画ですか?

 そうではないんです。ライブをやっている画ですね、お客さんなしで。それ用のリハーサルは別の日にやってもらっていて、あれだけで普通に14~5曲、映画に使っていないところを含めて、プレーしてもらっているという。この映画の為にプレーしたライブなんです。

――それはバンドさんとそういう画を撮りたいという話を? どんな経緯があったのでしょうか?

 それは僕が撮りたくて、やってほしいと頼みました。まあ僕が映画をやっている、何かをやっている前に、普通の人と一緒であると同様に、ミュージシャンの方もそうですよね。日常お金がないと生きていけないし、同じような人間。その上で結果この4人の人たちは音楽をやっている。だからその手前の問題として人間であるということは、自分と変わらない。だからもともとミュージシャンのドキュメンタリーといえど「人を撮りたい」と思っていました。

 だからすごく乱暴な思いかもしれませんが、別に音楽のライブシーンはなくてもいいんじゃないか? くらいに最初は思っていたんです。なくても成立するはずだと。でも、結果メンバーのいろんな生き様というのは、ステージに現れているということも、すごく感じたんです。だからライブをちゃんと撮りたいな、と。

――撮っている間に、多くの自問自答があったのですね。

 それで、ライブをちゃんと撮るというのは、音楽を撮るんじゃなくて、ライブの中でのちょっとした表情やしぐさ、いわゆる人間としての姿を撮りたい。そうなると、いわゆるお客さんがいる中でのライブは、ステージと自分たちの距離が遠いのと、お客さんの前に入らなくちゃいけないので、撮れないんです。

 だから自分たちのためだけに、最初はお客さんを入れて撮影をするのを前提として、お客さんからは見えなくなるのを了承の上でライブをやろうかな、と思ったんですけど、それよりは「本来ライブってお客さんを入れてやるものだけど、お客さんがいないで自分たちのためだけで音楽を奏でるライブをやってもらえるか」と提案したんです。

――奇抜な感じでもありますが、意図は明確ですね。

 もしかしたら、全然テンションが上がらないのかもしれないし、お客さんがいる時とは違う顔が出てくるかもしれない。どうなるかはわからないけど、それを撮ってみたい。演出、場を作ることは僕の仕事だけど、その枠組みの中に入ってもらいたかったんです。それって、非常にドキュメントな瞬間だなと思って。

ポッと出た締めのメジャーデビュー曲

――でもそれはバンド側からしてみると非常に奇妙な感じもあったような気もしますが、バンドの方では何か思われたことはなかったのでしょうか? 何か意見されるようなことはありませんでしたか?

 なかったですね。それをお願いしたのが、撮影が始まってから半年以上たった時なので、皆さんが信頼してくれたんじゃないかと思います。僕が去年の年末くらいにその話をプレゼンして、お客さんがいない中でライブをやってほしいって。普通のライブと同じような曲数をやってもらって、La Mamaというこのバンドの、本当に初めてライブをやった場所でやりたいんだという話をした時に「まあいいよ」と言ってくれて。後から考えると、本当によくやってもらいましたね(笑)。「監督だからね」と言ってくれたんですが、信頼関係の中で「まあ監督がやりたいというのなら、どうなるかわからないけどやってみてもいいかな」と思ってくれたんだと。

――何か面白い画でしたね。正直、演奏と演奏の間の、MCなどでしゃべっているところは、ちょっとリハっぽくところはあるけど…。

 僕の中では、リハーサルだろうと、ライブだろうと、関係ないんですよね。どっちだっていい。でもあそこの方が本音なんです。僕はだから逆に言えばLa.MamaのMCが一番好きで、あそこはあまり切りたくないと思っていました。あそこでしゃべったようなことは、多分ライブのMCでは絶対に言わないはずだと思います。本当におっしゃったとおりに、リハーサルに限りなく近いライブなんです、あれは。それは本来の自分たちの姿に近い、まあどっちが本当の姿かというと、両方が本当の姿ですけど…でもライブでは絶対見られない、バンドの音楽にちゃんと向き合っている、限りなく自然体の姿なので、それを撮りたいと思っていました。

――なるほど。何か冗談を言い合って笑いあっているようなシーンもありましたが、絶対ライブでは見られないだろうな、というような…。

 まあ、そういうシーンとか、こうなんだろうな、ここで始まってみたいなこととか、そういうことって、普通のライブじゃ多分言わないですよね。何か普通に見られないもの、僕でしか見られないものを見て撮っていくことが、僕が撮る意義だと思うから。どうやったらこのリハーサルのような友達4人というか、音楽少年4人の姿が撮れるかな、ということでもある、ということは、あると思うんです。だからスタッフがあのLa Mamaのライブを見ている時に、「本当に限りなくリハーサルに近い本場だよね」って。当然みんな緊張もしているし、リハーサルとは違うんだという。それはでも自分が意図していた者だったりもするんですね。

――映像の最後に、THE YELLOW MONKEYのメジャーデビュー曲「Romantist Taste」をプレーされていました。あのシーンには、何かまだ再結成して攻めてます、という姿勢の表れとして、最初から意図しているのかな?と思ったんですけど…。

 いや、意図はしてないんじゃないかな? 意図はないと思います。というのは、実は間に何をやろうか、みたいなことをずっとウダウダやっていたので(笑)。そのウダウダはカットしているのであんな感じなんだけど、あそこの「じゃあ何をやろうか」というみたいなところは、それなりに時間がありました。だからあれは意図してなかったですね。意図していたら、もっと早くポッとやっちゃっているから(笑)。

作品にも現れた「当たり前がある日突然宝物に」

――ドキュメント映画を撮る時、現場に入り込んでいくと、アーティストに入り込んでしまう傾向があり、それを一歩置くというのは難しい作業だと思うんですけど、どういう風な気持ちで現場に入られたのでしょうか?

 確かに。今回も僕はそれを一番気にしていました。現場に入り始めて、最初はいろんなことが新鮮に見えて来たことがあったんです。「この人たちはこういう人たちなんだ」「この曲はすごくいいな」とか。もちろん前から聴いている曲もある一方で知らない曲もたくさんあって、ライブで聴いたらこの曲はいいなと、いろんなことが新鮮になる。その中で、ずっと毎日のようにライブに付き合っていると、ある時から自分にもいろんなことが当たり前になって来てしまう。だから撮る中で自分は、身内にならないようにしようということを強く意識していました。意識しないと、新鮮なことが無くなっちゃうので。

――ドキュメンタリー制作としては重要なことですね。

 またライブといっても、どこかでルーティンワーク的なところでもあるので、日常になっていくと、「これはいつもと同じ景色だ」とその時に思っちゃうと、(カメラを)回さなくなっちゃうこともある。でもドキュメンタリーって、編集の時になって初めて、その何でもない日常の素材が、宝物になる時があるんです。僕はドキュメンタリーの経験でそれを知っているから、とにかく毎回それは、今日この瞬間にしか起こってないことなんだと思わなければいけない。そうするためには毎日なるべく自分をニュートラルに戻して、それを真っさらにして撮っていくということをしないと、一年撮る意味がないんです。

 かいつまんでいけば、一応何かの説明はできちゃうでしょう。ただ例えば今回映像の中で、菊地兄弟のお父さんが亡くなった時のエピソードがありますが、その無くなる前と無くなった日、翌日のライブの、控え室の映像って、全然雰囲気が全く違う。あれはあの日だけ撮っているわけではなく、ずっと同じように毎日ライブに入って会場に入ってきたからわかるんです。同じようにあの姿というのは、僕は全ライブ、全会場で撮っていたんです。

――なるほどとは思いますが、気の遠くなりそうな作業ですね…。

 その意味で僕のスタンスは、やっぱり言い方は何ですけど、テレビ的にこうかいつまんでいくわけではないから、非常にしんどいんです。毎回とにかく撮っていくから。そのためにも、ちゃんと自分を毎日リセットして新鮮でいられるように言い聞かせています。

――その時に、気づかれることもあれば…。

 ほとんどのことは気づかないですよね。気づかないというか、歴史と一緒。後からしか考察できないから。例えばこうやってインタビューに答える時、インタビューされた後に僕が死んだとしたら、これは僕の最後のインタビューになる。そうするとこの瞬間に、普通のインタビューではなくなるんです。多分普通の時と一緒なのに。この瞬間がどういう風なことになるかは、それはもう半年後、1年後、5年、10年後にしかわからないでしょうし。だからよくいわれていることなんですが、当たり前のものが当たり前じゃなくなる瞬間があって、その積み重ねだと思う、日常というのは。本当に時間がたってみないと、あの時あの光景が特別なものだったということが、予知できないですし。だからとにかく残しておくという。すごくアナログな作業だと思うし、非常に骨が折れるというか…。

――それはどんなドキュメンタリーでも同じやり方で?

 そうです。僕は基本的にはそう撮っています。だから二度とやりたくないといつも思って(笑)。まあ大変ですよ、ずっとそこにいるのは結構大変なことだと思います、結構気も使うし。プロデューサーの方も、ライブの撮影の時にはいつも一緒に来てくださっていたんですが、その日の撮影が終わると、「じゃあ松永さん、ちょっとご飯でも食べに行きませんか?」といつも言ってくれたんだけど、もう疲れているから、ほとんど食べられない(笑)。コンビニのおにぎりで十分、もう寝たい、みたいな。それくらいもうパワーを使いますね、僕は撮っている時に。