<記者コラム:オトゴト>
 アルバムには、1曲目がインストや環境音だったり、途中で「この曲要るか?」と、人によっては感じてしまうような楽曲が挟まれていたり、その1曲だけをピックアップして聴くと「?」となる楽曲が収録されていたりする。

 逆に、リードトラックと呼ばれる曲はシングルカットされるように、そのアルバムのミュージシャンを象徴する楽曲だったりする。グラミー賞授賞式で「アルバムをまだ覚えているかい?」と口にしたプリンスさんは、その「リードトラックばかりを聴いて満足していない?」ということも言いたかったのではないかという気もする。

 もちろん、それはそれで決して悪いことではなく、むしろ、美味しいところを拾い集めて楽しめるという、現代の音楽鑑賞の環境の最たる利点だろう。

 少々脱線するが、太宰治の「恥の多い生涯を送って来ました」という一文で始まり、「ただ一さいは過ぎて行きます」とリフレインされる言葉で締めくくられる小説は、何となく、これらの部分だけでも太宰治が内罰的なパーソナリティの人間で、厭世観に苛まれた人生を送ってきた人物で、そういったことを書きたかったのだろうかと意識することができる。

 小説を全て読んでみると、何故、「恥の多い生涯」などと自虐的なことをイントロで言ってしまうのか、どういった境遇が重なれば、人間であることが失格などと絶望的に考えてしまうのか、何故、薬物にどっぷりハマってしまうのか——「これは、俺のことだ」と、読者が共感してしまうほどの、人間の持つ危うい脆さをリアリティたっぷりに綴られており、その世界観に浸ることができる。

 作者の主観と読者の客観、共感、問題提起もその一冊に含まれている。それは、ある一部分の“結論”を抜粋しただけでは、決して味わえるものではなく、その作品の世界を楽しむ(あるいは苦しむ)ためには、あくまで一冊全てを読み切る必要があるように思える。

 アルバムに話を戻すと、シングル曲などのリードトラックを2曲くらい聴いてシビれる、という楽しみ方ももちろんアリだが、アルバムは、そのミュージシャンの伝えたいこと、感じたことの素晴らしさや絶望感、「みんなはどう思う?」という問いかけ、アルバム全編を聴くことで、リスナーに新たな世界を作って欲しいという願い、これらが全て十分に味わえるのが「アルバム」なのだろう。

 アルバムには、1曲目のイントロから最終楽曲まで、一つのジャンルに特化したミュージシャンのアルバムでも、様々な色の楽曲が収録されている。

 「捨て曲」とリスナーが感じる楽曲であっても、それは作り手の意図的なことであったり、ある種の行間であったり、山場をフルボルテージで楽しむための布石であったりする。

 小説や映画、舞台などでも、やはり退屈と感じる場面もあったりするが、一つの世界を十分に表現するためには必要なことなのであろう。

 故・プリンスさんの「アルバムをまだ覚えているかい?」という言葉は、アルバム作品には、ミュージシャンのそのときの宿命全てと、みんなを楽しませたり文化的に深く豊かになって欲しいという思いが凄く込められているからね、行間から何かを感じとるということを忘れないでね、というメッセージなのかもしれない。【平吉賢治】