BOφWY(提供写真)

 氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことによるロックバンド、BOφWYが今年、メジャーデビュー35周年を迎えた。8月7日にはそれを記念してライブ作品『“GIGS” CASE OF BOφWY』が発売される。『CASE OF BOφWY』は1987年7月と8月に神戸と横浜で開催されたレパートリーの全てを演奏する2公演だけのライブ。それを終えた翌月に最後のアルバム『PSYCHOPATH』をリリース、その作品を携えた全国ツアーの最終日、12月24日・渋谷公会堂で解散宣言した。当時はまだ解散は公になっておらず、重要な位置付けのライブだった。今回発売される同作品には、初めて、両日の全演奏が収録される。活動期間たった6年にも関わらず、今もなお人気を集める彼ら。その秘密とは何か。そして彼にとって『CASE OF BOφWY』とは何だったのか。作品を担当する、ユニバーサル ミュージックの藤原繁樹氏に話を聞いた。

BOφWYの存在

――そもそもBOφWYとはどういう存在なのでしょうか。

 シンプルに言えばBOφWYは、82年にデビューして、87年に解散した4人組ロックバンドです―ということで、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、いまだに支持されている。更に言えば、新たなファンを獲得しながら、音楽シーンに影響を与え続けている稀有なバンドである、ということです。

 その時代に活躍したロックバンドやアーティスト、アイドルもそうですが、それぞれ異なる魅力やパワーを放っていたと思います。ただ単に音楽や曲だけではなく。BOφWYの立ち位置や存在、もっと言えば解散の仕方とかも。そういったものがおそらくその時代の、同じ世代のファンの人たちに何かしら刺さって、結果的にそれが今現代にも棘みたいに残っています。

 氷室さんもライブのステージで言っていましたけど、私共も良く言うのは「伝説にならない」ということです。「伝説」の意味はそのまま、事実として人々に伝え渡っていくことです。ただそれは博物館の展示物のようにその時の事実というのは生きていないわけです。しかし、BOφWYについてはいまだにファンだけでなく、皆の中で生き続けています。伝説になっていないんです。

――確かにBOφWYのライブステージで氷室さんは「俺たちはまだまだ伝説にはなんねえぞ」という名言を残されました。当時、氷室さんはそういう意識「解散後の先も生き続ける」という意識はあったのでしょうか。

 間違いなくあったと思います。当時も色んなバンドやアーティストがいましたが、皆様々な音楽的影響をいろいろなアーティストから受けていて、BOφWYも例外ではないと思いますが、BOφWYの音楽にはその要素が感じられず、軽々と自分たちのオリジナリティを出していました。

 意識的には「伝説」=「古くなる」というのがあったかもしれません。そうした意味では、そういう時代の経過によって古くなってしまうような音楽は作っていないという自負と言いますか、意識はたぶんあったと思います。それは氷室さんや布袋さんだけでなく、松井さんやまことさんも、皆思っていたと思います。

――確かにBOφWYの楽曲はよく8ビートロックや16ビートロックと言われますが、ファンクの要素もあれば、ソウル、ダンスの要素もあり、当時のシーンでは希少でした。

 BOφWYにしましても突然変異的に曲が出来たわけではなく、氷室さんも布袋さんもこれまでに聴いてきたものやその世代のものを吸収していますし、それこそ音楽だけでなく、衣装やメイクも、ステージのパフォーマンスも含めて何かしらの影響は受けていると思います。でも、そうしたことも、氷室京介あるいは布袋寅泰、松井常松、高橋まことのフィルターを通すことによって、誰にも真似できない、圧倒的なオリジナリティだったと思います。

 彼らの音楽はパンクでしたが、そのパンクに対してビート感というものを意識していた。彼らの取捨選択も上手かったと思うんです。ただ、それを一個一個明かす必要もないわけで。限られた情報の中でファンは色んなふうに読み取っていく。その関係性も良かったと思います。

氷室と布袋の関係

“GIGS” CASE OF BOφWY at Kobe(提供写真)

――布袋さんのギター、結成当時、評価を低く見ていた人もいたと聞いたことがあります。

 そんな話は聞いたことがありませんが…。これは有名な話ですが、氷室さんが東京に出てきて活動(注釈=BOφWY結成前の氷室はデスペナルティやスピニッヂ・パワーで活動)したけれど、これはもうだめだ、故郷の高崎に帰ろうと思ったときに、野音でやっている忌野清志郎さん、RCサクセションのライブを見て、新たなバンドを結成することを決意するんです。

 その時に真っ先に電話した相手が布袋さんですからね。言い換えるとファンクだとか、ソウルとか、ロックの捉え方は個人差があると思います。当時、そうした意見があったのかもしれませんが、少なくとも氷室さんは自分の横でギターを弾いてくれる人間を、数多いなかで布袋さんを選んだ訳ですから。

――解散の理由はいまだに明らかになっていませんが、噂として出回っているなかに、不仲説があります。

 氷室さんは俺の隣でギター弾くのは布袋だ、という意識は絶対にあったと思います。ギターが上手ければ良いというわけではなく、歌もそうですが、歌が上手ければヒットするか、と言ったらそうではないわけで。人の心に響く、情感に訴えるものが重要なわけで。そう考えても少なくとも氷室さんは、布袋さんのギターにパンクだったり、ビートだったり、スピリット的なものを感じて相手として選んだわけですから。

CASEの意義、決まっていた解散

――さて『CASE OF BOφWY』の話に移りますが、このライブがおこなわれたのは解散宣言した87年です。その前の年の11月に発売したアルバム『BEAT EMOTION』で初のオリコン1位を獲得。迎えた87年は、4月発売のシングル「ONLY YOU」で4位、7月発売の同「MARIONETTE」が初のシングル1位を得ました。『JUST A HERO』で確立した彼らのが音楽は『BEAT EMOTION』で更に昇華し、商業的な成功を収め、その流れで7月・8月に『CASE OF BOφWY』をおこない、9月にアルバム『PSYCHOPATH』(1位)をリリース。それを携えてのツアー最終日となる12月24日の渋谷公会堂で解散を宣言。この一連の流れのなかで、『CASE OF BOφWY』はとても重要な意味を持っていたと思います。

 後付けになりますが、『CASE OF BOφWY』は、『PSYCHOPATH』のレコーディングは「これが自分達にとって最後のアルバムだ」という気持ちで臨んでいたと思います。87年には2月24日に日本武道館でファイナルを迎えた全国ツアー『ROCK ’N ROLL CIRCUS TOUR』(注釈=86年11月11日・石川厚生年金会館が初日)がありましたが、87年の初めにはメンバーのなかでも解散の二文字はあったと後に聞きました。

 自分達は「ライブバンドだ」という確固たるものを示したかったと思います。BOφWY人気の転機になったのはEMIに移籍して初めてリリースしたアルバム『BOφWY』。これ以降、飛躍していくんですね。初のホールツアーも成功させていますし。ただ、それまでにリリースした楽曲はライブハウスという規模では演奏はしてきましたが、大きな会場になってからは一部を除いてはやっていない。『CASE OF BOφWY』は、そういう初期の頃も含め、自分達が作った楽曲全てにもう一度、命を吹き込むといいますか、大勢のファンに曲を聴いてもらいたかったという気持ちがあった。「ライブバンド」としての自分たちを証明するために『CASE OF BOφWY』をおこなったと思います。

――いまでこそ全ての楽曲が受け入れられていますが、バンドとしての頂点の時に初期の楽曲をおこなうというものは勇気がいることだと思います。もし、会場の反応が、あるいは自身が納得のいくものになっていなかったら、その先の歴史は変わっていたと思いますか?

 ライブに絶対の自信はあったと思います。強いて問題点を挙げれば、直前のインタビューで体力の話はしていました。全曲演奏するわけですから。ただ「体力は大丈夫ですか」という問いに、まことさんは軽々と「問題ない」と答えているんですよ。その自信は、売れる前から「自分達はライブパフォーマンスをやっているバンドだ」という圧倒的な自負と、キャリアがあったからだと思うんです。当然、やったことはないじゃないですか、全曲演奏のライブを。でも自分たちの手応えとして、それだけのライブができる、という確信があったと思います。なので、その先の歴史は変わっていないと。

ライブバンドとしての自負

“GIGS” CASE OF BOφWY at Kobe(提供写真)

――作品としてライブ盤も売れるというのは当時珍しかったとも言われています。

 ライブはライブ、スタジオはスタジオと言い方があるように、それぞれで楽曲が異なる表情を見せるというのはあります。アルバムを作るときにレコーディングをして、そのアルバムを引っ提げて全国ツアーをする。それぞれで環境が違うわけです。公演数何十本というツアーのなかで演奏されて曲はどんどん成長するし進化していく、自分達の血となり肉になっていくんです。

 ただ、その逆、ライブに重きを置かないアーティストも沢山います。もちろんライブは大事だけど、自分達のやりたい音楽を100%のパフォーマンスで発揮するためには、地道にスタジオで録るほうがいいという考えも。THE BEATLESはまさに66年にライブをやめて、スタジオ・ワークを重視、67年にスタジオアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしました。もうツアーはいいと。落ち着いてじっくり曲を作りたいっていう気持ちにもなって。でもそれを言っていたポール・マッカートニーは、70年にもう一回ライブをやろうとライブ再開を提案して、最後には解散という道になりましたが。それはザ・ビーチ・ボーイズもそうだと思いますし、色んなバンドがそういう葛藤があった。

 BOφWYに関しては、圧倒的にライブバンドとしての自負がありました。アルバム『PSYCHOPATH』を出したあと、全国ツアー『DR.FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』をおこなったわけですから。BOφWY の87年のライブスケジュールをカレンダーに落とし込んでみました。本数も凄いですけど、公演毎の間隔が短い。前出のツアーは9月16日に始まって12月24日で終演。約3カ月間で36公演。単純計算で1週間に3公演ですよ、そこに移動が入る。12月24日まで怒涛のように走り抜けたということが分かります。

生き続けるBOφWY

「“GIGS”CASE OF BOφWY-THE ORIGINAL-」ジャケット

――初期の頃の楽曲も含めて数多く演奏したのが『CASE OF BOφWY』。ライブハンドとしてのBOφWYを明示したわけですが、彼らにとっては得たものがあったのでしょうか。

 これは想像の域ですが、87年の頭には解散を決めていて。それがあって最後のアルバム『PSYCHOPATH』を作る。『CASE OF BOφWY』では、当時、大規模会場のライブでほとんど演奏されてこなかった初期の曲を4人で演奏しているわけですよ。その時の4人の思いたるや。どんなことを考えながらステージに立っていたんだろうと思うと…。当然、当時解散を知らないファンは良いライブが見られているという感覚だけで。メンバーはそれぞれ群馬や福島から出てきて、何年も売れなくて、いろんなことを思いながらやっていたでしょうね。ゴールをわかっているのはステージにいる人たちだけ。

 当時は関係者でもごく限られた人しか知らされていなかった。本当に分かりませんでしたからね。当然のことながら当時SNSはありません。解散が公になっていなくても不穏な空気は感じ取られていたわけです、口コミを通じて。だから最終公演、解散宣言した12月24日は渋谷公会堂公演が凄いことになった。チケットが取れなくて、大勢の人が詰めかけて公会堂を囲んで、ドアガラスが割れるということまで起きて。もし、当時、SNSがあれば不穏な雰囲気は瞬時に広まりますから。そのなかで広げる人と否定する人がいっぱい出てきて。もっと凄いことになっていたと思います。

――もし、BOφWYが今の時代で現役だったとしたら凄いバンドになっていたと思いますか?

 たぶんもっとなっていると思います。それは存在として。CDの売上枚数など計数化できるものについては正直分かりません。ゲーム業界でも映画業界でも、時代が経てば経つほどサービスは多様化し、お客様の選択肢は広がるわけですから。映画でしたら昔は映画館でしか見られませんでしたが、今はネットでも見られます。

 音楽もそうです。ですので、CDが当時のように売れたかはわかりません。でも、少なくともストリーミングやダウンロードなども含めて拡散力や、拡散するだけのとてつもないエネルギーや力はあったと思いますので、もっとすごいことになっていたと思います。

 私は思いますが、その時代に発表された音楽は、今もこの時代のなかで戦っていると思うんです。1942年に制作されたアメリカの映画『カサブランカ』があります。名作とうたわれている映画ですが、42年に作られた割にはいいよね、と思う人はいないと思うのです。今もいいからその映画を観て泣くわけです。

 それは絵画でもそうで、1500年代に描かれた「モナリザ」も今の時代に見ても優れた作品だから見られるわけです。クラシックをはじめ、音楽も同様だと思います。風雪に耐えているから今がある。今残っているのは良い曲だからです。

――そう考えますとBOφWYの曲は今も生きているわけですね。

 そうです。最初にお話ししたことにもなりますが、まだ伝説にはなっていないと。

【取材=木村陽仁】

参考

<1987年の動向>

▽2月24日 日本武道館で「ROCK 'N ROLL CIRCUS TOUR」ツアー終了。
▽4月6日 シングル「ONLY YOU」発売(オリコン週間4位)。
▽7月22日 シングル「MARIONETTE」発売(オリコン週間1位)。
▽7月 31日 神戸でライブ「“GIGS” CASE OF BOφWY」を開催。8月7日には横浜でも開催された。
▽8月22日・23日 グリーンピア南阿蘇アスペクタでおこなわれたライブ・イベント「BEAT CHILD」に出演。
▽9月5日 アルバム『PSYCHOPATH』発売(オリコン週間1位)。
▽9月16日 宇都宮市文化会館で「ROCK'N ROLL REVIEW DR.FEELMAN'S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」開始。
▽10月26日 シングル「季節が君だけを変える」発売(オリコン週間4位)。
▽12月24日 同ツアー最終日渋谷公会堂でのライブ中に解散宣言。