ローランドの創業者、梯郁太郎氏(写真=ATV提供)

 電子楽器メーカーのローランドをご存じだろうか? もしかしたら海外ブランドというイメージを持たれている人もいるかもしれない。しかし、列記とした日本のメーカーである。楽器に触れたことがある人ならば一度は目にしたことがあるだろう。そのローランドの創業者である梯郁太郎(かけはし・いくたろう)さんが今月1日、87歳で亡くなった。

 梯氏は1930年大阪生まれ。戦後の1947年(16歳)に宮崎県高千穂町で「かけはし時計店」を開業し、時計の修理をおこなっていた。その後に発症した肺結核を乗り越え、1953年(22歳)には大阪市阿倍野区で、電器店「カケハシ無線」を開業する。ラジオやTVなどの組み立て、修理をおこなっていたこの店。規模は拡大し、「エース電気株式会社」となる。さらに、梯さんは電子オルガンの開発にも着手。これを機に会社を離れ、1960年に「エース電子工業株式会社」を設立。開発した電子オルガンを、ナショナルブランドとしての第一号「SX-601」を売り出すことに成功した。

 60年代、梯さんはリズム楽器の分野に挑戦。1967年の自動リズム楽器「リズムエースFR-1」の開発がきっかけで、大手オルガンメーカー・ハモンド社へのリズムユニット提供が決定する。これによって、一段の鍵盤にリズムが鳴るピアノ、という現在当たり前のスタイルの楽器が誕生した。1972年に、梯さんは自身が創設したエース電子工業を退社。同年に「ローランド」を設立する。社名は、自著『ライフワークは音楽 電子楽器の開発にかけた夢』(音楽之友社)によると「まだ電子楽器ではあまり使われていない“R”から始まり、世界中で同じ発音であること」などが決め手となったようだ。

クラブ音楽の形は変わっていた可能性も

梯郁太郎氏が開発に携わっていた「aFrame」(写真=ATV提供)

 梯さん率いる、ローランドはシンセサイザーからリズム楽器まで多くの名機を生み出してきた。特に「TR-808」(1980年)、「TR-909」(1983年)といったリズムマシンは今なお、多くの世界中の人々に愛されている。この楽器が無かったら、デトロイト・テクノ、ハウス、ヒップホップはもちろん、世界のクラブミュージック、ポップスでさえも、今と同じ形ではなかっただろう。最近だとピコ太郎の「PPAP」でも、この楽器の音が使われていた事が話題になった。

 また電子楽器の演奏データを機器間でデジタル転送するための世界共通規格である、MIDI(Musical Instrument Digital Interface)規格の制定(1983年)にも梯さんは尽力している。これにより、この規格を搭載する機材間で情報がやりとりできる様になり、今ではこれの影響を受けない電子機器はないほど。映像と音の同期が可能になったのも、このためだ。カラオケでテンポやキーを自在にコントロールできるのも、この規格によるものである。この功績によって、梯さんは2013年に、日本の個人では初めてグラミー技術賞を受賞している。それ以外にも、1991年には米国バークリー音楽大学から、名誉音楽博士号を授与、2000年にはハリウッドにあるロック・ウォークに手形を残し、殿堂入りした。

最後まで技術・製品開発に情熱を

 梯さんは2013年に、ローランドの全ての役職を退任している。その後は、静岡県浜松市で新たな楽器・映像メーカー「ATV」を設立し、代表取締役会長に就任。電子楽器と映像機器というユニークな2本柱で最後まで製品を送り出し続けた。その情熱、音楽愛は、氏が生み出した楽器を通じてミュージシャンに受け継がれている。

 ちなみに梯さんは、今年発売された、全く新しい電子楽器「aFrame」(エーフレーム)の開発にも参加していた。「産み落としたばかりの大切な楽器」と梯さんが語っていたという「aFrame」は、アコースティック楽器の感覚で演奏できるエレクトロオーガニック・パーカッション。独自開発の「Adaptive Timbre Technology」によって、打面を叩くだけではなく、押す、擦る、弾くなど、打楽器の伝統的な奏法による演奏・フレージングを可能にした。梯さんは最後まで「音楽の楽しさ」を広げる技術、機器の開発に情熱を注いでいた。

 なお、「梯郁太郎メモリアルセレモニー」は6月11日・日曜日に浜松市でとりおこなわれる予定。(文=小池直也)