歌謡界の歴史に残る豪華歌手陣のもとでおこなわれた美空ひばり記念コンサート

 歌手の美空ひばりさん(享年52歳)生誕80周年を記念した『大丈夫よ、日本! ふたたび 熊本地震・東日本大震災復興支援チャリティーコンサート』が4月5日、東京ドームで開かれ、3万人を動員。2011年11月11日の23回忌におこなわれて以来、約5年半ぶりの開催。司会に徳光和夫フリーアナ、高島彩フリーアナ、石井大裕TBSアナの3人。出演者に五木ひろし、AKBグループメンバー32人、きゃりーぱみゅぱみゅ、氷川きよしなど世代やジャンルを超えた総勢22組が集まり、美空ひばりさんの楽曲29曲とそれぞれのオリジナル曲22曲、計51曲を披露。歌謡界の歴史に残る一夜限りのコンサートとなった。ラストは「愛燦燦」を出演者全員で歌い上げ、コンサートを締めくくった。この模様は4月10日にTBSで午後7時から放送される。

エピソード映像とともに名曲をカバー

AKB48グループメンバー

 生誕80周年を祝い、2回目の開催となったチャリティーコンサート。前回は2011年11月11日、ひばりさんの23回忌の年に開催された。今回のコンサートは、前半戦をひばりさんの生い立ちを綴る、エピソード映像とともに、「お祭りマンボ」や「真っ赤な太陽」など名曲をカバーし、後半戦は出演歌手がそれぞれのオリジナル曲やカバー曲を届けた。前半と後半の最後には「川の流れのように」と「愛燦燦」を出演者全員で熱唱した。この日は東北から1500人、熊本から50人の、計1550人の被災者の方々が招かれ、ドーム入り口には募金箱が設置され、日本赤十字社を通して寄付されることとなっている。

 定刻になり壮大なSEが流れる。司会の徳光和夫フリーアナによる開会宣言から、美空さんが13歳の頃の懐かしい映像が流れた。そして、きゃりーぱみゅぱみゅによる、「キャリーDance〜チェーサー」で記念コンサートの幕は開けた。きゃりーはピンク色の衣装でキュートに踊った。

 徳光アナは「ミッツ・マングローブの叔父、徳光でございます」と自己紹介し、会場を和ませた。そこから、美空さんの数々のヒット曲とともに、生い立ちを追っていくヒストリー映像とともに人生の道のり振り返る。

 AKB48から32人が登場し、その人数を生かしステージを端から端まで使い、「悲しき口笛」「越後獅子の唄」「あの丘越えて」の3曲を、フレッシュさ溢れるパフォーマンスで魅せた。グループ総監督の横山由依は「ひばりさんの歌に触れて、その素晴らしさと歌うことの楽しさを再認識させていただきました」と美空さんの歌で再認識できたと語った。

 美空さんが歌うジャズでの英語の発音は、外国人がネイティブと間違えるほどの発音だったというエピソードから、Crystal Kayと18歳の頃の美空さんの歌声とのコラボレーション。ジャズスタンダード曲の「A列車で行こう」を披露。世代を超えたハーモニーと歌声で、一気にドームをジャズクラブのような空間に変えていった。Crystal Kayは「尊敬しているシンガーと一緒に歌えたことを光栄に思います。この曲はすごく難しかった。ひばりさんの歌を初めて聴いた時、アメリカのシンガーなのかなと思ったくらい、素晴らしいスキャットだった」とコラボの喜びを述べた。

美空ひばり記念コンサート

 ここで、美空さんが女性専用トイレの普及に一役買ったというエピソード。美空さんは女性専用トイレがあるところで、積極的にライブをおこなったという貴重な話から、E-girlsから7人が登場し「港町十三番地」を披露。お家芸であるダンスこそないものの、凛とした歌声で美空さんの歌を届けた。徳光アナからの「ダンスがないのはどうでした」という質問に、「なかなかない経験でした。歌の持つ力がものすごくある楽曲なので、こういう素敵な場所で歌わせてもらえるというのは、本当に幸せだなと思いました」とコメント。

 ブラジルの日系移民のためにチャリティーライブをおこなったというエピソード。美空さんは「私の歌を聴きたいという人がいればどこにでも行きます」という思いのもと、過密スケジュールの合間を縫って、ブラジルのサンパウロまで2日かけて赴いたというエピソードから、ゴスペラーズによる「真っ赤な太陽」へ。体を揺らすグルーヴィなコーラスワークで、楽曲の持つ情熱的なエネルギーを、余すことなくドームに響かせた。ラストは「ルパン三世のテーマ」のワンフレーズを盛り込むアレンジも見せ、タイトルに合わせた真っ赤な衣装も印象的であった。

 ゴスペラーズの村上てつやが、「アマチュアの頃にインパクトのあるアカペラをやってみようと、恐れ多くもカバーさせていただいていたんです。デビューしてからもヒットが出ない頃から、色んなところで歌わせて頂いて、この曲に助けてもらったことがたくさんあったんです。ひばりさんに少しでも恩返しできるようにと、歌わせていただきました」と、この曲への思い出を語った。

 家族である母の喜美枝さんと、実弟のかとう哲也さんと香山武彦さん、そして、親友の江利チエミさんを立て続けに亡くしたエピソードに徳光アナは、「お母さんが生み育てたプロデューサーだとすると、哲也さんはひばりさんの新たな魅力を引き出したプロデューサー」と述べ、その哲也さんがプロデュースした、「おまえに惚れた」を堀内孝雄が歌い紡いだ。間奏で「サンキュー!」と力強く感謝を叫ぶ堀内。美空さんへの思いを堀内は「今歌ってもブルブル震えますね。私にとっても偉大な方なので、もう歌えるだけで幸せです」と、喜びを語った。

 続いては、美空さんが病魔と闘っていた時のエピソード。10歳の時、バスの転落事故による足の付け根がすり減る激しい痛みと間質性肺炎を患っていた美空さん。完成したばかりの東京ドームのオープニング公演の話が舞い込んだが、この大腿骨のすり減りでは、一歩踏み出すのも困難と担当医からの言葉。そして、間質性肺炎による肺の状態も芳しくなく、それはプールの中で歌っているような苦しさだという。それでも、ひばりさんは歌わせて欲しいと懇願したという。1988年4月11日におこなわれた『不死鳥コンサート』にかける思いが伝わってきたエピソードであった。

 そのコンサートの1曲目に披露された「終わりなき旅」をEXILEのSHOKICHIが伸びやかに歌い上げる。SHOKICHIは「身にあまる光栄です。敬意を持って一生懸命歌わせてもらいました」と、ひばりさんに敬意を示した。

 昭和54年に発表された、人生の応援歌「人生一路」。『不死鳥コンサート』のラストに披露された楽曲で、美空さんは満身創痍の中、39曲を歌いきり100メートルの花道を歩ききった。終演後には加藤和也氏の胸に倒れこんだというエピソード。この楽曲を氷川きよしが美空さんの歌声とコラボしながら、笑顔で歌い上げた。徳光アナが「ひばりさんがご存命だったら、きよしくんは可愛がられたんじゃないかな」と話すと、氷川は「僕も可愛がられたかったです。ひばりさんの生き方や歌を勉強して、さらに努力をしていきたいと思います」と精進していくことを述べた。

 前半戦ラストは「川の流れのように」を出演者全員で披露。ワンフレーズずつ回しながら名曲を届けた。最後のサビの全員によるユニゾンは圧巻の響き。徳光は「いま川の流れは昭和から平成へと繋がったようです」と語り後半戦へ。

ラストは出演者全員で「愛燦燦」を披露

美空ひばり記念コンサート

 後半戦のトップバッターはLittle Glee Monsterのメドレー。FUNKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」、DREAMS COME TRUEの「何度でも」、いきものがかりの「風が吹いている」、Superflyの「タマシイレボリューション」、中島みゆきの「ファイト」、小田和正の「たしかなこと」と6曲のカバーメドレーを、若さ溢れる力強いハーモニーで届けた。

 AKB48は「ヘビーローテーション」、「365日の紙飛行機」、「恋するフォーチュンクッキー」とヒット曲メドレー。「365日の紙飛行機」では花道を通り、観客に笑顔を振りまいた。「東京ドームの皆さん、私たちと踊ってください」と投げかけ「恋するフォーチュンクッキー」へ。トップアイドルグループとして相応しいパフォーマンスで、観るものに元気を与えてくれた。

 さだまさしは「風に立つライオン」を披露。この曲を選んだ理由に、「ひばりさんに届くように、感情が込めやすいこの曲を選びました」と語り、荘村清志のガットギターとともに、言葉をかみしめるように歌い紡ぐ。美空さんへの想いがこもった歌唱であった。

 後半戦の大トリを務めたのは五木ひろし。楽曲は「契り」を披露。“五木節”とも言える歌唱法で、粘りのあるこぶしは、人々の感情を揺さぶっていく。五木の遠くを見つめる眼差しは、優しさに溢れていた。

 徳光アナは「ジャンルを超え、世代を超えた共演は美空ひばりさんだからできた」と総括。ラストは出演者全員で「愛燦燦」を、ひばりさんの歌う姿の映像とともに届けた。多くの歌手たちによって、改めて美空ひばりさんの楽曲と歌の持つ力の、素晴らしさを感じることが出来た、多くの人の記憶に残る一夜となった。「みなさん温かいご声援、本当にありがとうございました」と美空さんの声。

 アウトロが流れる中、『不死鳥コンサート』で見せたひばりさんと同じように、100メートルにも及ぶ花道を通り、手を振り感謝を伝えながらステージを後にする出演者たち。感動のフィナーレで、生誕80周年記念チャリティーコンサートは大団円を迎え幕は閉じた。

(取材=村上順一、撮影=冨田味我)