劇中のワンシーン(C)2015, Silk Road Project Inc., All Rights Reserved

 世界的チェロ奏者のヨーヨー・マに密着したドキュメンタリー映画『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』(配給・コムストック・グループ)がBunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほか全国で公開されている。筆者は公開前に同映画を試写した。この映画では、ヨーヨー・マらをはじめとした伝統楽器奏者が、純粋に音楽を表現したいだけなのに、その国の社会的情勢など様々な事柄に翻弄される姿が描かれている。彼らが、音楽を通じて自身のアイデンティティを問いかけていく姿に、昨今、日本で議論を呼んだ「音楽と生活」「音楽と政治」問題に重ねている自分がいた。

切り離せない音楽と生活

 昨年、ネット上にこんな文字が踊っていた。「音楽フェスに政治を落ち込むな!!」。純粋に音楽を楽しむうえで、小難しいことに巻き込まれたくも、考えたくもない意識も、わからなくはない。でも、音楽と政治や社会。自分のアイデンティティを語るうえで「音楽と生活」を切り離せない。

 アメリカに目を向ければ、ベトナム戦争をきっかけに、戦争と音楽は反目する主張として存在し、今もあり続けている。フェス好きな日本の若者たちが敬愛する“パンクロック”も、イギリスの社会的状況に対して反旗を翻す(不満をぶちまける)レベルミュージックとして誕生している。今や日本では、心地好いダンスロックのようにクラブを中心に親しまれているレゲエなども、ジャマイカにおける、まさにレベルミュージックの象徴だ。

 日本でも、社会への反抗として音楽は存在し続けてきた。学生運動に端を発したフォークミュージックもそうだ。ちょうどアメリカのスリーマイル島やロシアのチェルノブイリでの原発事故もあり、広瀬隆氏の書いた本『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)に触発され、THE BLUE HEARTSなど多くのロックバンドが「反原発」の動きをインディーズという草の根の中から起こしていたこともあった。RCサクセションが、原発問題を取り上げたアルバム『COVERS』をメジャーから発売しようとしたところ様々な理由でとん挫、レコード会社を変えて発売になったこともあった。

 近年で言えば、東日本大震災で復興を支援するために多くのミュージシャンがライブや作品を通して活動をしている。これも立派な「音楽と生活」との密着だ。

 この話をし始めると本題を語る枠が少なくなるので、ここまでにしたい。ただし、この前置きがあったうえで、以降を読み進めてもらいたい。

ケイハン・カルホーン、ペルシャ・ケマンチェ奏者

劇中のワンシーン(C)2015, Silk Road Project Inc., All Rights Reserved

 映画の主人公である、ヨーヨー・マが1998年に立ち上げた「シルクロード・プロジェクト」、その中心軸を担っているのが、世界中の音楽奏者たちが集まり活動をおこなっている「シルクロード・アンサンブル」だ。

 チェロ奏者のヨーヨー・マは、中国にルーツを持ちながら、フランスで生まれ、アメリカで育ったアメリカ系中国人。彼が開いたワークショップに集まった面々には、多くの自国の伝統楽器を奏でる人たちがいた。

 ここで紹介しているドキュメンタリー映画『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』でも主軸の一人をなしているケイハン・カルホーンは、イラン(ペルシャ)の古典楽器・ケマンチェ奏者の第一人者。自国にとどまらず、世界中にペルシャ音楽の魅力を伝え続け、高い支持を得続けている人物だ。

 彼は、伝統音楽を自国で廃れないように後世へ継承したいと願っている。だが、紛争によるイランの社会情勢から音楽活動もままならない。更に、今の政府や社会情勢に異論を唱えるケイハン・カルホーンは、政府にとっては目の上のたんこぶ。彼の発言力が影響を与えるからこそ、彼は恋人さえ残し、母国を飛び出さざをる得なくなった。イランを愛し、イラン(ペルシャ)の伝統音楽を愛し、その音楽を後世に残したいと願いながらも、イランの今の社会情勢が彼を拒絶した。

ウー・マン、中国・琵琶奏者

 中国・琵琶(ピパ)奏者のウー・マンは中国生まれ。彼女もまたみずからの可能性を求め、渡米。いつしか「ピパが必要ならウー・マンを呼べ」と言われるくらいになる。彼女は、中国の伝統楽器と、さまざまな楽器と音楽スタイルを組み合わせ、音楽の国境という壁を次々と壊し、伝統楽器の魅力を高めていった。

 だが、海外で成功を収めた彼女も、今では母国へ帰ると「アメリカから来た中国人」と揶揄される。母国や母国の音楽・楽器を愛しながらも異邦人として扱われてしまう。自身も、今の中国の情勢とは異なる意識を持つからこそ、活動の拠点を海外に置く。中国人の琵琶奏者として自分を認めてくれる海外の人たち。中国人でありながらアメリカ系中国人のような扱いを母国で感じてしまうウー・マン。彼女もまた、自身のアイデンティティを模索している一人だ。

クリスティーナ・パト、ケルト・バグパイプ奏者

 バグパイプ奏者のクリスティーナ・パトは、スペイン北西部ケルト文化圏ガリシア地方で生まれ育ったバグパイプ奏者。ガリシア地方では伝統的なガイタ音楽が好まれる中、彼女の吹く情熱的な演奏は伝統音楽の垣根を越え、いつしかロックなど様々な異ジャンルとのコラボレートをおこないながら、その支持を世界中へ広げていた。

 クリスティーナ自身はバグパイプの演奏に人生を捧げている。だが、伝統を重んじる文化からの反発を受け、彼女も海外へと表現の可能性を求め飛び出さざるを得なかった。語り継がれてきたガイタ音楽と、バグパイプを用いた革新的な音楽を表現する人たちを集めたフェスティバルを、自らも加わって地元で開催しているが、クリスティーナも伝承する音楽と、音楽の持つ自由な表現の狭間で悩み続けている奏者である。

アイデンティティの主張と伝統楽器

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 他にも、シリア出身のクラリネット奏者であるキナン・アズメが、「こんな時だからこそ音楽は心に必要」とヨルダンにある難民キャンプまで出向き、子供向けの音楽のワークショップを開く場面もあれば、様々な民族音楽を奏でるミュージシャンたちや、いろんな理由から国境を越えて活躍する演奏者たちの声や行動を、この作品では映し出してゆく。もちろん、ヨーヨー・マ自身のルーツもしっかり紐解いていく。

 彼ら彼女たちはみな、文化やスタイルという音楽の壁の破壊どころか、社会情勢や自身のルーツへの問いかけさえも飲み込み、さらには宗教という人々の心の支えとなる生き方まで内包しながら、シルクロード・アンサンブルという集団が生み出す心を開放した自由な音楽を通し、自身のアイデンティティを主張してゆく。

 映画は冒頭、広場でのセッションシーンから始まる。中国琵琶やケマンチェ、チェロ、ヴァイオリン、クラリネット、尺八、笙、バグパイプ、ヴォイスなど、国境を越えた伝統楽器たちが心を熱く踊らせる演奏を見せてゆく。その音へ触れた途端に、ワクワクする衝動を抑えられなくなるはずだ。

 シルクロード・アンサンブルに参加しているアーティストたちは、自身が奏でる楽器を本当に愛していれば、その楽器をルーツに持つ音楽へ自分の生きる価値を投影している。

 登場するひとり一人は、ただただ純粋に音楽を愛している人だ。ただ、彼らや彼女たちの存在を、社会や伝統,偏見などいろんな目が阻害した存在として映してゆく。だからこそ彼らや彼女たちは、「自分は一体何者なのか?」と、みずからのアイデンティティを問いかける人生の旅を続けてゆく。

 そんな意識さえすべて取り払い、自分を100&ぶつけ、自由に音をコラボレートしている場がシルクロード・アンサンブルにはあるからこそ、ここに参加しているミュージシャンは、一番自分らしくいれる場として、この楽団に身を寄せているのかも知れない。

 そんなミュージシャンたちを受け入れてゆくヨーヨー・マもまた、自身の人種としてのルーツやクラシックという枠を超えた活動をしていく中での偏見や軋轢さえ受け止めながら、みずからのアイデンティティを探し続けている。その一つの答えを導く場が、彼にとっても、このシルクロード・アンサンブルだったのかも知れない。

 なぜ、シルクロード・アンサンブルなのかは、直接映画をご覧になっていただきたい。何より、純粋に音楽を表現したいだけなのに、いろんな事柄に人生さえ翻弄されてしまう現状がこの世界にはあることを知って欲しい。音楽を楽しみたいのは、世界中の誰だって一緒。ただ、楽しむ上で、その背景に隠されたいろんな現実にも目を向けてこそ、その音楽が持つ深みを理解できるのも確かな。それを、この映画は教えてくれる。(文=長澤智典)