<写真>文庫化された「エリーゼのために 忌野清志郎詩集」表紙

文庫化された「エリーゼのために 忌野清志郎詩集」表紙(角川文庫)

 2月5日、ロックミュージシャンの忌野清志郎さんがソロデビューした1987年から30年になる。RCサクセションとして、ソロとして、ミュージシャンだけではなく、絵画や詩でも才能を発揮、多くの人に影響を与え、そして、今も感情を掴み続けている。節目に際し、清志郎のもう一つの顔である「詩人」としての魅力の一端に触れてみたい。=以下、敬称略=

バンドマンとして

 清志郎は1970年、ロックバンドのRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビューする。以来、「雨あがりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」等のヒット曲を生み出した。1980年代前半は彼らの黄金時代だった。

 1982年には、坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発表。RCサクセションとしての活動のかたわら、数多くのユニットでも活動をおこなっていく。1987年2月5日にはアルバム『RAZOR SHARP』を発表し、この作品でソロデビューする。

 そして、翌1988年6月に、洋楽のカバーアルバムと銘打った、RCサクセションのアルバム『COVERS』を発表するも発売中止となる。洋楽のヒット曲に、清志郎による日本語詞をつけたものだが、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」で、核や原発問題に関することを歌ったことが中止の要因といわれている。

 『COVERS』で歌われる日本語詞は、原曲の訳詞ではなく、清志郎が新たに手を加えたオリジナル詞と言ってもいいもの。

 「サマータイムブルース」を書いた時は清志郎の父親の誕生日に、チェルノブイリ原子力発電所事故が起こったことから反原発の歌詞を書き、さらに『COVERS』製作時は、母親(清志郎が3歳の時にすでに他界)の遺品整理の際に第2次世界大戦中の恨みつらみの書かれた日記を発見。それが、反戦や社会批判のメッセージソングを歌い始めるきっかけだったという。

 ちなみに『COVERS』は世論などの後押しもあり、後にRCサクセションが以前所属していたレコード会社から同年8月15日の発売が実現した。

ブルースマン

 1991年、RCサクセションは無期限活動休止を表明。以後、俳優としての活動も始めた。彼の才能は音楽や芝居に留まらず、はせがわきりが文を担当した絵本『ブーアの森』(2002年、TOKYO FM 出版)では、清志郎が絵を描いた。

 そして、1983年には、彌生書房から詩集『エリーゼのために:忌野清志郎詩集』(のち2009年、に角川学芸から再出版)を出版している。この詩集のあとがきに清志郎はこう綴っている。

 ―ある日、変な男がやって来て、詩集を出さないかと言い出した。
 ―「でもなー、俺は詩人じゃないぜ。ただのブルース・マンだからな。」
 ―「えー、ブルース・マンなんですか?」
 ―「そうさ。ブルースが俺にとりついてるのさ。」
 ―「しかし……、まえはバンド・マンて言ってたのに。」

 これは1980年にRCサクセションがリリースしたライブアルバム『RHAPSODY』の表題曲でもある「ラプソディー」の歌詞で歌われる<バンド・マン♪>という歌詞から彼の代名詞ともなった「バンド・マン」にかけて書かれたものだと思われる。確かに彼は永遠のバンド・マンであり、生涯をかけて歌い続けていた。

 しかし、この著書の解説を執筆している作家の角田光代女史はこの解説の中で面白いことを書いている。

 ――忌野清志郎という人はバンドマンだった。音楽の人だった。(中略)忌野清志郎について何か書かせていただくことが増えてからも、私は決して、この人が言葉の人だとは書かなかった。この人の言葉は文学だとか、歌詞が詩だとか、慎重に書かないようにしてきた。失礼だと思ったからだ。だれに、って、自分を含むこの人の音楽を愛するすべての人に。――

 『エリーゼのために:忌野清志郎詩集』は一度絶版となっている。2009年に角川学芸出版から復刊され、角田女史はこの解説を書いた。ここには更にこう続いている。

 ――この本が復刻される今だから、私はもう言ってしまおうと思う。忌野清志郎は音楽の人だったけれど、でも、言葉の人でもあった。(中略)この人の選ぶ言葉、使う言葉は変わっていると思う。スラックスとかサルスベリとか、コールテンとかおかずとか、体操とか三途の河とか、日常的に馴染みはいいが、そのぶん、どちらかと言えばぱっとしない、古びた、ロックっぽくない言葉を多用しているのに、どういうわけだか、この人の手に掛かるとそれらは新しい光を放つ。(中略)でもほんとうは、そんな分類は馬鹿げているくらい、この人は確固として忌野清志郎であり、その名前は、強烈な表現者とつねにイコールなのである。――

 思えば、ブルースは、もともとアメリカ南部に、奴隷として連れてこられたアフリカの黒人たちによる音楽から派生したものだ。まだ根強い差別を受けていたアフリカ系アメリカ人は、身近にあったギターを抱え、日常の生活や恋愛を歌詞にして歌うことで、ささやかな幸せを見出そうとしていたのではないか。

 清志郎は、自身の独特の歌唱方法は、1960年代に活躍し、後のソウルミュージックに大きな影響を与えた、米歌手のオーティス・レディングから強いインスパイアを受けたのではないかと思われる。英バンドのローリング・ストーンズや、米バンドのグレイトフル・デッドなども彼の曲をカバーしている。清志郎自身、最も影響を受けたミュージシャンの一人としてオーティスの名を挙げている。ソウル・ブルース系の魂の様なものを彼は意識していたのではないだろうか。

感情の神経を掴む言葉

 ソロアルバム『RAZOR SHARP』は当初、RCサクセションとして英・ロンドンで録音し、リリースする提案だったが、他のメンバーが難色を示したため清志郎のソロデビュー作として制作されることになったとされている。

 タイトル曲の「RAZOR SHARP・キレル奴」は<俺がキレる奴、キレる奴、キレる奴、いつでも出番を待ってる~♪>と子気味良いロカビリー・ナンバーに乗せて歌う。

 同アルバムに収録されている「IDEA・アイディア」では、<寂れた街角 崩れかけたビルの谷間 光が差したかと思った 凍えそうな背中♪>と切ないメロディに乗せて清志郎の歌詞が染み入ってくる。これは、とてもブルースのやるせなさを感じさせる歌詞だと思う。

 「日本近代詩の父」と称される詩人・萩原朔太郎は「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」と述べている。まさに清志郎はバンドマンであり、ブルースマンであり、詩人であり、最後まで「忌野清志郎」その人であった。

 そして、彼が残した数多くの作品は今でも多くの人々に影響を与え続けている。昨年11月23日に発売された、清志郎に似る人物・ZERRYが率いていた覆面バンド、THE TIMERS(ザ・タイマーズ)のアルバム『THE TIMERS スペシャル・エディション』は、同年12月5日付オリコン週間CDアルバムランキングで14位を記録し、27年ぶりにチャートインした。

 ソロデビューから30年…この機会にもう一度、清志郎がその歌詞やメロディ、絵画や著作に残した感情の神経を掴む、心揺さぶる想いを感じてみてはいかがだろうか。(文・松尾模糊)