「ブルーに生まれついて」公開記念で対談をおこなった菊地成孔と湯山玲子

 トランペット奏者でシンガーのチェット・ベイカーさん(1929年12月23日―1988年5月13日)の転落と苦悩、愛を描いた映画『ブルーに生まれついて』が現在公開されている。今月初めには都内で、ジャズミュージシャンの菊地成孔と著述家の湯山玲子によるトークイベントが開かれた。約30分にもおよんだトーク。ジャズ・シーンだけではなく昨今の米国社会情勢にまで踏み込んだ。その内容をほぼ全文書き起こして以下に紹介したい。

チェット・ベイカーを無毒化した作品

――本映画の感想を。

菊地成孔 僕はジャズミュージシャンですがジャズ評論家でもある。ここに劇場用のパンフレットがあります。これは非常に豪華な執筆陣で、村上春樹さんから、大谷能生さん、菊地成孔さんまで(笑)。私も書いていまして、これに私の申し上げたい事は以上でも以下でもなくて。だから今日は喋らなくてもいいかなって。

 なので、これを読んでください。これが全て。資料性も大変高い文章になっています。でも、そうだなあ。これはネタバレというか、でも既に評価として出ちゃっているので申し上げますが、これは自伝映画ではないです。自伝映画の体裁は取っていますが。

 今年はマイルス・デイヴィスとチェット・ベイカーというジャズ史上の2人のジャイアンツの「自伝映画風フィクション」というのが公開された、極めて珍しい年で。奇しくも2人ともトランぺッターなんですね。

 この映画は自伝風に出来ているので、自伝だと思われがちなんですが自伝ではないです。全く。「じゃあ、完全にフィクションか?」と言ったら、フィクションでもないんですよ。チェット・ベイカーの自伝というのは日本語で読める決定的なものが1冊だけなんです。英語で読める決定版も1冊しかないんですけど。

 「終わりなき闇」という本があって。あまりに暗いので「読み終わるとうつ病が発症する」とも言われているんですけど(笑)。その暗い、チャーリー・パーカー(サックス奏者)の自伝どころじゃない、ものすごいドロドロの分厚い本があるんですね。それをスタッフは熟知しています。

 そこから自由にエピソードを抜いて、それを好きなようにパッチワーキングしていますね。それによってチェット・ベイカーを実像よりも「遥かに良い人」というところに落とし込んでいます。チェット・ベイカーという方は後半、本当に駄目な奴で、最初こそハンサムでバブリーにやっていたんだけど、才能があまり無いから途中から駄目になってきて没落の人生なんです。

 ドラッグで結婚生活も何もかも上手くいかない。最後は有名な『レッツ・ゲット・ロスト』(88)という映画で描かれています。あの映画も相当気の狂った映画だったけどね、ゲイの性愛ファンタジーが凄い映画。あの映画の公開直前で亡くなったんです。ある意味悲痛な人生ですね。

 自伝もひどくて、葬式から始まるんですよ。沢山の彼の人生に関与していた女性が参列するんです。その中の1人が「彼は死んでからも私たちを苦しめ続ける事ができるのよ」というところでプロローグが終わって、チェット・ベイカーが生まれるところから始まるという物凄いくらいの自伝で。この映画は「何もそこまで」というくらいチェット・ベイカーを美化しています。

湯山玲子 言っちゃいましたね、それ(笑)。

菊地成孔 美化というか、無毒化しているんですよね。「言われるほど酷い人生じゃないよ」と。このくらいなら「ドラッグに負けちゃった可哀想な母性本能をくすぐる男」くらいに描いていますけど、とてもそんな話じゃない。

 あと、これも言っちゃって良いと思いますけど。この映画は「チェット・ベイカーの自伝映画が制作された本人役でチェット・ベイカーが出演する」という設定の撮影シーンから始まるんです。その映画は実際に制作されてないです。制作の話があったんですけど、様々な事情があって制作されなかった映画なんですよ。

 ディノ・デ・ラウレンティスという映画ファンなら誰でも知っているイタリアの大プロデューサーがいるんですけど、彼が「チェット・ベイカーの映画を作る」と言って前払いまでしたんだけど、結局できなかったんですね。「その映画が制作されていたら?」という体裁で冒頭は出来ています。

 ですので、根本の作りが現実と違うんです。とはいえ、現実に素材があるわけです。だから完全なフィクションというわけでもなくて、メタ・フィクションというか、現実を素材にパッチワーキングした映画だと思って見て頂くのが適正だと思います。

 それから登場人物が沢山出てきて、実在の人物が右往左往します。ディック・ボック(レーベルオーナー)とかね。全員実在するんですけど、肝心要の奥さん、この映画のヒロインである奥さんは実在しない人物なんです。

 それで、その奥さんがどこからやってきたか。ジャズファンならどなたでも知っている、ウィリアム・クラクストンという人が撮った有名な「ジャズ・シーン」という写真集があるんですよ。

 それのチェット・ベイカーのページというのは、綺麗なモデルさんと一緒にチェット・ベイカーが海辺で恋人みたいにイチャイチャしている写真なんですよ。凄くいい写真なんです、それは。その写真からインスパイアされて、無名のモデルと同じ服装と顔の人が奥さんとなって登場しているんです(笑)。

 だから唯一の架空の人物である奥さんも、ちゃんと写真から採られているんですね。完全な捏造が無い代わりに相当色々なフィクションが混ざっている、変わった映画になっていますね。実際は出来事の年が何年も飛んでいるのに、翌日の事のようになっていたり。

女性の生き方を描いた映画

菊地成孔

――湯山さんは女性から観てどうですか?

湯山玲子 この映画の根幹は「恋愛」ですよね。一般的に言いますよ、私の専門が「四十路越え!』だったり、「日本人はもうセックスしなくなるかもしれない」などのジェンダー論でございますので。

 最近は某歌手があんな感じになってしまいましたが。彼らは表現をする身だからこそ、現実の生活ができない。現実ができないからこそ、表現という才能、ギフトが天から与えられたという人がいますよね。もちろん、菊地さんもその1人ですけど。最近入れちゃいましたもんね、刺青ね。

菊地成孔 いや、これは別にそんな反社会的な事では(笑)。

湯山玲子 そういった人はある種、女性を惹きつけるものが昔からあります。もうひとつは女性のいやらしい目線といいますか、女性は「誰かの為に生きたい」という依存性に生きるというのがありますよね。今は「自立」と言われていますけど。

 ずっと「家に従い、夫に従い、老いては子供に従う」という様な、何かに依存しないと生きていけないという歴史が圧倒的に長いんですよね。「自立したいけど、やっぱり結婚しないというのはいけない」というのがある。

 依存というのは悪い言葉なんだけれども、その人の才能や生きがいの為に私が滅私奉公するという。私がその人の為にマネージャー役になるという様な欲望はこの私にすらあったんですよ。

 しょうがないですよね、この世の中。女の人がどんなに社会進出したとしてもですよ。そういう女心があるとすると、それの典型的なラブストーリーなんですよ。ヒロインの描き方も非常に細かくて、法善寺横丁(昭和の花街)みたいな女じゃなくて自分も役者を目指していて教育を受けている。

 だから、チェットをやっぱり真人間というか、演奏の第一線にカムバックするために自立させようとするんですよ。すごい良い女の生き方を描いた映画になっていますよね。

 これは少しネタバレになっちゃうんですけど、最後の方の結論は苦いです。愛ゆえに彼女はどういう決断を下して、チェットはそれをわかって。そこでのシーンというのは、私は名シーンだと思いますね。目と目でわかる決断をするというか。演奏中のあの場面は素敵でしたね。

ウィスパーヴォイス

――劇中はイーサン・ホークが実際に歌も歌って体当たりの演技をしています。

菊地成孔 この辺りはスタッフも名言しているんですけど、チェット・ベイカーの実際の音源は一切使ってないです。半年間のトレーニングでやったんですよね。

湯山玲子 役者は凄くて、渡辺謙さんの英語もそうなんだけど。20年英会話を習っても上手くならないですよ、私なんて(笑)。だから本当に役柄に乗り移るというのかな、そうするとできるようになっちゃうんですかね。

菊地成孔 チェット・ベイカーはお分りの通り、トランペットが3割、歌が7割という人なので「歌はどれくらいコピーできているか?」と言えば観てのお楽しみという感じです。まあ「歌は残念」という事です(笑)。

湯山玲子 ネタバレが難しいんだけど。歌がね、チェット・ベイカーの最初の悪評というかバッシングされ方って「女みたいに歌いやがって」ということですよね。

菊地成孔 物凄い声が高いんで「オカマだ」と言われたんだよね。アメリカの50年代のジャズ界は、未だにアメリカはジャズ界もヒップホップ界もマッチョですから。まあ「クィア・ラッパー」とか言って、ヒップホップの中にもクィア(セクシャル・マイノリティ全体を指す言葉)が出てきたリ、女装するラッパーが出てきたリ、時代は変わっていますけど。

 50年代の西海岸で「女みたいな声でなよなよ歌う」というその声が天使的と言われたり、オカマと言われたりしていたんだけど。イーサン・ホークは普通の男の声で歌っているので残念ということです(笑)。

湯山玲子 有名なのは、ボサノヴァのアストラッド・ジルベルト(歌手)のウィスパーヴォイスは彼女の発明というよりも、実はチェットの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴いて「こんな歌い方あるじゃん」とアイディアをブラジルに持ち帰ったっていうところもありますよね、いまやカヒミ・カリィまで続く。

菊地成孔 「カヒミ・カリィまで続く」って最近はほとんど活動されてないじゃないですか(笑)。

湯山玲子 だから元がチェットだったっていうのが面白くて。でも、やっぱり声が高いんだよね。

菊地成孔 高いですね。高くて、弱々しい。そのアンドロジナス(両性具有)的な歌声というのをどうするのかなとは思ったんですけど。「声帯は変えられない」というのもあると思いますね。

21世紀的

湯山玲子

湯山玲子 菊地さんはサックスの練習をされている時に、特にジャズなんて「この人のフレーズを吹きたい」とか「コルトレーン(サックス奏者)みたいになりたい」とかは考えていたんですか?

 クラシックは違うんですよ。「Take a Midol!(落ち着け)」と練習しなさいといいますか。「この人になりたい」という様な練習の仕方はしないから。ジャズの人はそういうのはあるんですかね。

菊地成孔 コピーから始まりますからね。最初はコピーから始まるので、特定のプレイヤーが吹いた特定のアドリブをコピーして。能力のあり方としてはぎりぎり物真似芸人さんと同じですよね。

 そっくりに発音して、そっくり同じ音を取って吹いていくというところから始まって、段々自分の物に移していくというのが一般的だと思いますけどね。

 あと僕が注目したのは、そうですね、ネタバレぎりぎりになっちゃいますけど「どうして、この監督とイーサン・ホークは、なぜ今さらチェット・ベイカーを、言うほどひどい人生じゃなかったよ、という映画を作らざるを得なかったのか?」というところに病を感じるんですよ。

 やる必要性があんまりわからないんですよね。「あいつがそんなに悪いやつじゃなかったっていう映画を作る必要ある?」と。でも20世紀というのは、さほど悪くない人間のさほど悲惨じゃない人生を悲惨に盛っちゃって、ものすごいドラマティックなエンターテインメントにするというベクトルがあったじゃないですか。

 この映画は逆になっているんですよね。そこが21世紀的だと思うんです。それは、なぜ今アメリカが疲弊しているかってこと。ミドルエイジ・クライシスがあって、イーサン・ホークだって病気だと思いますから(笑)。

 イーサン・ホークは1本前の映画が啓発セミナーぎりぎり。自宅でピアノを教えている人にパーティで会って感化されて、その人を紹介している『シーモアさんと、大人のための人生入門』という映画ですしね。

 彼はインタビューでも言っているんですけど「どのオーディションに行っても必ずリヴァー・フェニックス(俳優・93年没)がいて負けた」と。で、リヴァー・フェニックスに負け続けた。いつか追い越してやろうと思ったら、彼が突然死んじゃうわけです。

 だからイーサン・ホークはリヴァー・フェニックスが死んでから、ずっとおかしいのかもしれませんね。そのまま中年になってしまって、そこにミドルエイジ・クライシスが重なってきて、今の豊かな仕事ぶりがある(笑)。

 病むことは全然悪い事じゃないと思います。今のイーサン・ホークは油が乗っているっていうかね、病にあって油が乗っている状態で、そのうちの1本ですよね。じゃないと、こういう態度ではできないと思いますね。非常に21世紀的。

ジャズ文化と大衆音楽

湯山玲子 あとは「他ジャンルとジャズがなぜ違うか?」というのも問題点だと思うんですけど。チェット・ベイカーがバードランド(有名ジャズクラブ)でディジー・ガレスビー(伝説的トランぺッター)がいる、マイルス・デイヴィス(伝説的トランぺッター)がいるという中の初お披露目のシーンがありますね。

 あの場面を見ても、アメリカの文化ではジャズはポップスじゃないですか。大衆がその音を求めて来たから、こうなったという事に関してはですね、やっぱりどう考えてもモダン・ジャズの過激な音楽性は不思議でたまらない。

 もっと大衆音楽は、我が国日本のJポップの様にわかりやすいメロディ、4つ打ちビートとかになるものですけど。割とジャズはぶち壊し、ぶち壊してやってきたものが知的な層はもちろん、普通の女の子にもウケてたっていうのに昔から興味があるんです。

菊地成孔 ジャズは二枚舌で、要するにオスカー・ピーターソン(ピアニスト)みたいな奴とかビッグバンドとか、ああいうのはアメリカのポップスですよ。ただ、ビーバップ(40~50年代のジャズ)は地下の音楽です。

 特にアメリカは55年以降変わるんです。55年にエルヴィス・プレスリーが出てくるんですけど、ロックンロールですね。それと62年のビートルズの世界デビュー。それらによってジャズは大衆音楽の中心から周辺に吹き飛ばされた。

湯山玲子 R&Bも黒人音楽で出てきますもんね。

米男性の弱体化

菊地成孔

菊地成孔 そうです。でもまあ、ジャズクラブは小さいじゃないですか。ちなみに史実では、映画に出ていた「バードランド」ではなく、「ハーフノート」というクラブで演奏されたとされています。これはうんちくなので、どうでも良い事なんですけど。多少そういう考証の違うところもありますね。

 あと、あの時代、マイルス・デイヴィスはあんな服装はしてないんで。これはネタバレですけどね(笑)、映画の後半に出てくるマイルスは時系列的に言うとアフロです。あれは映画『マイルス・アヘッド』(マイルス・デイヴィスの自伝映画。日本では12月公開)のマイルス(笑)。

 エレクトリック期(69年以降)のマイルスなので。あんなスーツを着て、ディジー・ガレスビーとジャズクラブにいるわけがない。だからあそこは捏造ですけどね。

 でもこれは「ジャズ史家が考証に対して物を申している」という訳ではなくて。最初からファンタジーですからね。すごい変わった形のファンタジー。素材を事実からとった、凄くインターネット時代のファンタジーですね。ソースはあるんです。それを勝手に組み替えちゃっているんだよね。

 普通、それをすると物語が破綻する可能性があるじゃないですか。でも、それが「どの男性でも恐らく文句の無い理想の女性像」としての捏造されたジェーンという奥さんの存在によって駆動していくんです。

 いかに今のアメリカがミソジニ―(女性嫌悪)にやられていて「女はおっかないし、もう理想の女なんていない。せめてこういう人がいてくれたら」という叫びの様な物が聴こえてくる(笑)。ジェーン以外の人は全員実在の人物ですから。

湯山玲子 彼女はかなり物語の中核ですよね。かなり主人公に近い動きをするというか。男女とも、感情移入もしやすいと思います。

菊地成孔 だからあれは昔の女性の、湯山さんもおっしゃっていた「尽くす女性」の理想像。女の人も「駄目男に尽くしたい」という気持ちを燃えさせるし、男も「こういう女がいたらいいな」という夢を追っていますよね。だから相当、アメリカの40~50代の人の病理が出ている。

湯山玲子 トランプ大統領になっちゃったしねえ。

菊地成孔 『ブルーに生まれついて』のトークショーで話すのもアンフェアの様な、フェアの様な話ですけど。奇しくも映画『マイルス・アヘッド』は何度か結婚しているマイルスがそのうちの1人の事を引きずっているという設定なんですね。あれも相当荒唐無稽で。

 あれは、まずマイルスが離婚した傷で悲しんでいる上にピストルをバンバン撃ってギャング団と戦いますからね。

湯山玲子 大丈夫ですかね(笑)。

菊地成孔 大丈夫じゃないですよ。かなり少年ジャンプなマイルス映画になっています(笑)。その奥さんというのはフランシス・テイラーという最初の妻なんです。でもマイルスはその間にベティ・デイヴィスと結婚しているはずなんだけど、彼女が登場しないんです。

 だから最初の奥さんとの離婚を引きずっているという設定に勝手にしているんですよね。誰の許可も無く。あれも「最初の女房との離婚が一番堪えるんだよね」というアメリカ人の集合的な無意識なんじゃないかと。アメリカ男性の弱体化というかインポテンツ化みたいなものがもの凄い色濃く出ているんですよ。

湯山玲子 だから、映画が時代を映すと言えば今年は『シン・ゴジラ』ですよ。チェット・ベイカーだったら、『シン・ゴジラ』的に…。

菊地成孔 でも、この作品は50年代のアメリカの話なので、やっぱり女性が問題になってきますよね。そんな中で「ジェーンが捏造された。しかも美しい1枚の写真から」。これは言ってみれば神話みたいな話ですよね。

 そんな風にしてまで、今のアメリカの男たちが「チェット・ベイカーはそんなに悪い人生じゃなかったよ」と言いたい映画ですよ、これは。それをゆっくり味わって頂きたいと思います。

 より実像に迫りたい方は伝記を読むことをお勧めしますけど、うつ病を発症する可能性があるので読まないほうが身のためかもしれませんね。私は読みましたけど、うんざりしますね。チェット・ベイカーがどれだけ悪いやつかという。

アンビバレンス

湯山玲子

湯山玲子 あとは今非常に話題になっていますけども、某歌手の薬物事件で。大きくそのファクターは映画にも関わっています。大衆文化を考えるうえでドラッグは大きく関わってくる問題ですね。

菊地成孔 そこはそんなに自粛するところじゃないと思いますけど(笑)。これはドラッグ映画ですよ。問題の総点は「ドラッグをやめられるかどうか」で。50~60年代のジャズミュージシャンを描く時に避けては通れないですよね。「ドラッグやめられますか、どうしますか?」という。まあ想像はつきますよね。

湯山玲子 ブルースで言うとロバート・ジョンソン(ギタリスト)が悪魔と契約する代わりにギターのテクニックを入れてもらうという。そういう岐路に立つんですよね、ミュージシャンは。悪魔に魂を売ってしまう。

――これはとてもロマンティックな映画ですよ。

菊地成孔 そうですね。非常にロマンティックです。リアリストの目では見てないですよね。今、僕はさも適正なテキストであるかのように「終わりなき闇」という自伝を紹介しましたけど。その本も偏っているんですよ、異常に暗く書いているの。凄く詳細な評伝で、ジャズミュージシャンの本の中でも情報ソース度は高い。でも非常に暗い。

 つまり、尋常じゃないんですよね。過去に『レッツ・ゲット・ロスト』というチェットの映画を撮った監督も明らかに尋常じゃない。この映画も“老け専”とゲイのセクシャルファンタジーに満ちたドキュメンタリーだから尋常じゃないわけですよ。

 だからチェット・ベイカーというのは、あまりに美しすぎて、あまりにグロテスクすぎるので、人をもの凄い力で魅了する。だけど魅了するということは、尋常じゃなくさせるということだから。チェット・ベイカーを冷静に見つめるということは誰もできないんじゃないかというのが僕の結論で。

 じゃあ、適正に見つめられないとして、この映画がどの様に見つめているかというと。先ほども言った通り、健全に持ってこうとしている。それが不健全に持っていってドラマティックにしようとしていた20世紀に対して、「健全に持って行って何とか自分が落ち着きたい」とする21世紀というアンビバレンス。ここに1つのアメリカの現状というものが出ていると思いますね。

(取材/撮影・小池直也)

作品情報

▽物語=黒人アーティストが主流の1950年代モダン・ジャズ界において、その甘いマスクで女性を虜にし、ファンを熱狂させていたジャズ界の異端児、チェット・ベイカー。その後、麻薬に溺れどん底の日々を送っているが、自身の人生を描いた映画の出演で一人の女性と出会ったことをきっかけに、愛と償いの機会を模索する…。

▽出演=イーサン・ホーク『6才のボクが、大人になるまで。』、カルメン・イジョゴ『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』、カラム・キース・レニー
▽監督・脚本=ロバート・バドロー("The Death of Chet Baker")<短編>
▽サウンドトラック=ワーナーミュージック・ジャパン
▽配給=ポニーキャニオン/宣伝=ミラクルヴォイス
2015年度作品/英語/カラー/アメリカ・カナダ・イギリス合作映画/上映時間:97分
▽原題=「BORN TO BE BLUE」