聖飢魔IIが再集結終え魔界へ帰還

日本武道館公演で熱演する聖飢魔IIデーモン閣下(撮影・今元秀明)

 先月20日、東京・日本武道館でヘヴィ・メタルバンド聖飢魔IIのステージ『聖飢魔II ~地球デビュー30周年記念・期間限定再集結 大黒ミサFINAL~ 地球の再審請求』が行なわれた。1999年12月31日の解散ステージ以降、実に6度の再集結を重ねてきた彼らだが、この期間限定再集結を終え、再び魔界に帰還した。ほぼ満杯の上にライブビューイングやWOWOWの実況放送まで行われたこの日、彼らとの別れを惜しむファンが多く会場に集まったことはいうまでもない。

 聖飢魔IIといえば、80年代に登場したヘヴィ・メタルバンドであることはいうまでもないが、当時はLOUDNESSやアースシェイカー、ANTHEMなど、ジャパニーズ・ヘヴィ・メタルバンドは多く登場し、そのブームに沸いたファンも多くいた。その中でも特異なルックス、そして徹底した「悪魔」というイメージを持つ聖飢魔IIは、かなり異質な存在とも見られたが、今にしてみると一般に浸透し、長く語り継がれているバンドとしては、やはり聖飢魔IIが挙げられるのではないだろうか?彼らと同じように活動30年を超え、日本武道館のような大きな舞台に立つバンドは、実はそれほど多くない。

 それにしても「悪魔」というイメージが、これほどまでに受け入れられることを、誰が考えただろうか? 少なくとも私は、当初否定した一人だった。ヘヴィ・メタルという音楽、サウンドそのものは好んでいたが、どうやっても悪魔には「不幸」「凄惨な風景」「血」…と、普通であれば良いイメージはない。しかしこの30年で「信者」と呼ばれる彼らのファンは、爆発的な広がりを見せた。そんな一方で、ボーカリストのデーモン閣下はバンド活動の枠だけにとどまらず、時にはトーク番組のコメンテーターとして登場するなど、ミュージシャンという扱いとは一つ違う方向を見せている。もはや日本の文化の中でも、聖飢魔IIは時々気になってしょうがない存在であるともいえる。30年もの間、彼らがこのシーンに現れたことは、人々にどんな影響をもたらしたのだろうか?

マイノリティが生きるということ

 まず「悪魔」というモチーフは、何の象徴であるのかを考えてみたい。この日のステージで、デーモン閣下はこんなコメントを残した。「我々聖飢魔IIは、マイノリティの星でありたい(と思っていた)、または星であったかもしれない。そして我々はそのマイノリティの諸君たちの、未来への近道の道しるべを提供するつもりで活動していたり、マジョリティへのアンチテーゼとして、未来での形勢逆転の方法をいろいろと提示してきたりした集団だったかもしれない」。確かにたとえば彼らの一見奇抜な姿は、まさしく社会に存在するマイノリティの象徴ととることもできる。

 彼らの楽曲「EL.DORADO」のPVでは、ある女子高生たちの生活の中で、彼女らの顔が一人、また一人と聖飢魔IIのメンバーの顔と化していくというストーリー仕立ての映像が作られている。もちろん聖飢魔IIというバンドを世に示すための画でもあるが、そこに描かれている少女たちの姿は、まさにマイノリティ。その性質を生きていく上でどう判断するかのヒントのようなものも見える。

 このような作品をはじめ、彼らは様々な表現で多くの支持を得ながら、まさしくマイノリティが羽ばたく道しるべを描き、マジョリティに対当するような考えを主張してきた。しかし、たとえばロックという音楽が生まれたきっかけ自体も、そもそも同様にマイノリティの歴史でもあった。その意味では、聖飢魔IIの活動の歴史は、そんな宿命との戦いを表してきた歴史でもある。

 一方、彼らのこうした世間へのチャレンジは、近年様々なシーンでの登場の仕方と共通点が見られる。ジャンルは違えど、たとえばゴールデンボンバーは、「プレーヤーであるが、プレーしない、あるいはできない」というマイノリティ。

 BABYMETALは、かつてはメタルという音楽とはあまり交わることのなかった「アイドル」という、今までにない新たなコンセプトを持ったプロジェクトだ。それが彼らの影響かどうかは判断が難しいところではあるが、新たなコンセプトを持ったアーティストたちが世でブレイクする様は、その多くの例が聖飢魔IIの登場と類似する点が多く存在するとも考えられる。

ヘヴィ・メタルという存在の意味

 ここで、彼らが一般的にカテゴライズされているヘヴィ・メタルというものについて改めて考えてみたい。その発祥は、80年代初頭にイギリスで起きたムーブメントNWOBH(New Wave Of British Heavy Metal)がきっかけともいわれているが、実はそれ以前にもパンク/ハードコアの影響を強く受けたものが原点であるということも知られている。これらもまた初期にはマイノリティ的な、反骨精神を示す面を持っており、その意味ではヘヴィ・メタル自身もその精神を受け継いでいることは考えられる。

 やがてそのムーブメントは、L.A.メタルムーブメントを起こした。ここではどちらかというとグラムロック的な、廃退的なイメージを強く傾向として持っていたが、一方で、たとえばTwisted SisterやMOTLEY CRUEなどの一連作品のように、バッドボーイズ的なイメージの中で、ステレオタイプな学校のイメージに反旗を翻し、理不順に強く反発するイメージなど、強いメッセージを含むものも存在し、現在でも根強い人気を誇っている。

 こうした動きは、まさに聖飢魔IIというバンドが描いてきたイメージと共通する部分が多く存在するとも考えられる。そもそもの悪魔というイメージを、彼らは徐々に変化させていった。彼らの発表したファーストアルバム、セカンドアルバムでは悪魔、地獄というイメージを強く表現していたが、大胆な表現の改革を行ったサードアルバム以降では、それまでの動きと比較し「『悪魔』という言葉には『悪』という言葉が存在するが、そもそも彼らが表現する『悪魔』には、常に悪い部分しかないのか?また、彼らの存在はそもそも本当に「悪」なのだろうか?」という逆転的なイメージすら感じさせた。

ヘヴィ・メタルという音楽の衰退、その時代的な意味

 ただ、残念ながらデーモン閣下は、ステージでこんなことも語っていた「『殺せ』、『壊せ』、『犯せ』とか、『ぶっ潰せ』という(言葉)は、いわばその志を確認するためのスローガン、キャッチコピーのようなものだった。だが、いつかそのキャッチコピーばかりが先行し、中身はおろそかになってしまい、せっかくの未来への道しるべから、自らはなれていくものたちもいる」と。それは、80年代に隆盛を誇っていたヘヴィ・メタルが、2000年に衰退を見せた、その動きに同期しているようにも見える。

 もちろん、これは単に「音楽」という観点での意見であり、社会的な意味でそういったものが必要な時代なのかどうか? という模索も、合わせて考える必要がある。人によっては「そういうものが求められない時代になったから、『音楽』というものをやっていく上で訴える要素など必要なくなった」という考えもあるかもしれない。

 デーモン閣下は最後の曲「EL.DORADO」を歌う前に、信者たちに問うた「諸君は、まだまだ戦っていくつもりはあるのか?」という言葉は、まさしくそんな時代に対しての疑問と見ることができる。彼らの「説法」に少しでも共感した信者は、改めて彼らが現代の世に存在した意味、そして「彼らはまだ時代に必要な存在であるか?」という真意を、改めて考えてみてもらいたい。(文・桂 伸也)